2010/2/23 日中は優雅に図書館で、夜はランタンフェスタに繰り出す [平日]

7:00 教授をいつものように待つ(Dr.許、Mrs.ティン、私の3人で)。他の2人はやることもあるが、自分はこの時間結構手持無沙汰なのだ。手帳を開いて今後の予定を立てたりして過ごす。
7:10 回診を始める。昨日の術後患者が10人以上もいるのだが、それ程みな重篤感はない。手術時間が脊椎でも1時間ちょっとなので大手術という認識がないのかも知れない。術後の疼痛管理(麻酔科看護師が行う)もしっかりされているためと思われる。日本みたいに医者がなんでもしているような国では効率良く管理するというのも難しいだろう。
7:50 回診終了し、その足で今日の手術予定を手術室技術員の部屋に見に行く。それ程興味を惹かれる手術が今日もない。暇だったら手術をさせてもらおうかなとも一時期考えたこともあったが、最近はそういう気もあまり起きなくなってしまった。もうありきたりの手術では、そんなにがつがつ経験しようとは思わなくなっているのかも知れない。それよりマイクロや皮弁の手術を、本当はもう少し経験したいんです。。。
8:10 地下で朝食を食べる。途中、レジデントのDr.呂やDr.温も買いに現れる。2人とも結婚しているのだが(台湾のドクターは比較的結婚が早い印象)、朝ご飯は家では食べてこないようだ。
9:00 医局に戻り、自分のPCを持参して総務課に出向いてみる。地下ではワイヤレスのインターネットが使えるということが解ったので、自分のPCでも設定さえすればつなげるかも知れないと思ったからだ。しかし、色々と担当者に電話などで問い合わせてくれたりもしたのだが、Windows XPまでなら設定できるが、Vistaやセブンはまだ対応していないのだとか。同じく病院のLANケーブルへの設定に関しても同じ回答だった(これは以前も聞いたことあったが)。何で今時、Vistaもダメなのだろうか?病院自体は新しく綺麗なのにここら辺の整備は遅れていると言わざるを得ない。インドでは出来たのに。おそらく設定させすれば出来るのだろうが、それを理解している人間がいないのかも知れない。
10:00 仕方ないのでいったんドミトリーに戻る。今日はdutyがないのでfree行動なのだ。確認しなければいけないメールがあったのだ(4月からの外勤の件や骨折治療学会への台湾からの演題登録の件など)。いろいろとメール関連の仕事を済ませる。
12:30 再び病院に戻り(部屋のドアから病院玄関までは普通に歩いて6-7分)、地下に昼食を取りに行く。今日は夕方から街で開かれているランタンフェスティバルに行こうということになっていたので外食になるだろうからと、昼間は簡単に済ませることにした。
13:30 図書室に出向く。今日は色々と文献を探すことにしている。図書室の受付の男性(2人とも色々と親切に教えてくれる。英語力そこそこ)に電子ジャーナルの探し方やコピーの仕方を詳しく教えてもらった。図書室にはあまり雑誌のバックナンバーの在庫がないと思っていたら、電子ジャーナルとして保管されているようだ。この方が実に効率的で便利である。コピーの手間が省けるというものだ。今時、雑誌をいちいちコピーするというのは時代遅れなのかも知れない。
14:00 欲しかったジャーナルの論文を次から次へと印刷していく。簡単にできてしまうので(病院関係者しか当然できない。暗号入力などが必要なので)コピーし過ぎた。読まなければ意味がない。
15:00 医局に戻って論文を少しずつ読んでいく。最近は、辞書を使わなくてもある程度のスピードで読めるようになっている。やはり何でも慣れが必要なのだと思う。論文も必要な部分とそうでない部分があるので、全部を読破する必要もない。この辺りは要領かも知れない。今まで苦手だった論文を読むと言う作業も少しずつ克服していかねばと思う。
17:00 そろそろ外来も佳境は過ぎたかなと思い、立ち寄ってみる。下腿軟部組織欠損に対してGlacilis muscle free flapをした若い女性が処置室ベッドで待っていた。軟部は綺麗にカバーされて(少しbulkyではあるが)いるが、足関節の可動域制限があるようだ。まだ創外固定を装着している。Flapの手術は素晴らしいが、やはり問題は初期治療にあるのだと思う。日本では全国的に平均すれば台湾の平均よりは上であるということは言える。諸外国はトップと底辺の差が激しいので、よりトップが目立つということに他ならない。そういう意味では日本の医療は良いと言えるのかも知れない。
17:30 レシデントのDr.呂(昨日当直だったので本当は帰っても良かったらしい)とプロパーのLilyと高雄市内で開かれているというランタンフェスタに向かう。Lillyは以前、家族を交えて台南周辺を案内してくれた少し変わった女性だ(良く喋るがちょっとくどいか・・)。彼女のお母さん(日本語でカラオケしてくれた)が頭痛持ちだからということで、日本の頭痛薬を買ってきて欲しいと言われていたのだ。まだ外は明るい中、病院を離れるというのは少し気が引けるが(まだ教授は外来しているし)。。。
18:40 途中、多少渋滞があり時間がかかったが、街中に到着する。まずは腹ごしらえということで、地元の麺類の店に行く。Lillyが外来からもらってきたというカラスミと一緒に付け合わせるネギ、梨、りんごなどを持参している。今日のお金も教授が既にLillyに渡しているとのこと。Dr.呂も漁夫の利かも知れない。カラスミは相変わらず美味い。。。でも、やはり食べ過ぎは良くなさそうだね。
19:30もう既に暗くなっており、川沿いに正月の雰囲気を残している感じで露店や手作りの灯篭、人形(今年の干支の虎の形が多い)、ランタンがずらっと並べられており圧感だった。3人でふらふらと見ながら歩く。台湾は露店などで試食をさせることが多い。しかも半ば強引に。商品がなくなってしまうのではないかと思えるくらい。
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19:50 たくさんのパフォーマーやらもいる。川の中に特設された浮島ではサーカスのような催し物をしている。クレーンで男性と女性を夜空に釣り上げてライトをあて、パフォーマンスをしている。上のクレーンを見ると、私の会陰部周囲が吊りあがる感じがしてきたので見るのを止めた。。。
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20:20 歩いて少し離れたバーのようなところに連れていかれた。そこにはLillyの友人という女性とその知り合いの男性もいて食事していた。この男性は45歳ということだったのだが、両親が日本語を話せるということで、少し日本語を話す。日本から留学生が来ているから、日本語を少し話せる彼を連れて来たのかも知れない。この2人は煙草を吸うので、いささか閉口する。
21:20 Dr.呂も初対面らしくあまり面白くないようだ。そろそろ自分も帰りたくなっていた。もう一軒だけ知り合いの店に行こうということになり連れて行かれる。そこは11月の学会の時に日本人Dr.Tmと一度来たことのある店だった。
21:50 お客の中に小さいマウスを財布に買っている女性がいて、連れの男性とともに見せにくる。キーキー泣いていて可哀そうな気がするが。。。遺伝子操作でもしたマウスなのだろうか?結構小さい(まだ生後20日目とか言っていたが、体長7-8cmくらいか?)。間違って潰してしまいそうなくらいだった。
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22:30 そんなこんなでそれ程盛り上がりもしない(あまり話にも加われない)飲み会は自分の提案で帰ることにした。Dr.呂と一緒に帰路についた。今日は少し歩きたくもあったので、MRTを使って病院まで戻ったのだった。

2010/02/22 形成外科ドクターと遭遇、スーダンのDr.Salimにも久しぶりに再会 [平日]

7:00 回診。1週間の始まりなので今日は少し早めに到着して待っていた。教授がお世辞にもあまり似合わない赤色のジャンパーを着て登場する。あまりファッションには拘りがないようだ。
7:30 今日の手術は外来手術を入れて14例予定されている。11人が新たに入院してきている。先週まで患者が3人しかいなかったが、一気に24-5人に膨れ上がっている。患者の回転も早いので、入院してもいつの間にか退院してしまっている。この周りの早さは経営的にはかなり有利だと思われる。日本みたいに退院を遅らせて欲しいと粘る患者もたまにはいるようだが、保険の問題などもあって、それ程多くないようである。日本の場合は国民皆保険のせいで多くの人間が甘えてしまっているのだ。医療はタダで当然みたいな。
7:50 手術室で朝食をとる。朝から少しこってり系のチャーハンおにぎりみたいな物をもらった。
8:30 今日のスタートは何と3列である。脊椎後方固定、TKA、腱板損傷。腱板の方は準備セッティングを済ませておいて、脊椎が落ち着いた頃に教授が登場するスタイルだろう。レジデントと技術員がスタンバッていた。
9:20 ある程度目処がついたのだろう、教授が腱板の方に現れる。こちらを見学したが、断裂の程度が大きかったので、今日はacromioplastyだけではなく、しっかり腱板をmobilizeして上腕骨大結節部にエチボンドで縫着していた。閉創の際にdeltoid muscleをかなり大きく展開したからということで、splitしたmuscle fiber方向の間に埋め込む形で人工靱帯を挿入して縫合していた。Original techniqueだそうだ。。。Deltoid contructureを防ぐためらしいが。日本ではまずできないだろう。こういう症例は通常関節鏡でするだろうから。
10:00 少し時間が空くのでいったん医局に戻り、病院PCでメールcheck(Dr.呉が日本の骨折治療学会に登録する予定の抄録を私のメールアドレスに送ってくれているとのことなので)。Dr.馬の分と合わせて2人分しっかり添付されていた。しかし問題は、使用言語が主に日本語に限られているということだ。スライドも殆ど日本語なので、彼らには少し厳しいかも知れない。招待講演で外人も来るがそれ程多くはない。日整会なら英語セッションも設けられているが、骨折は今まであまり一般公演で日本人以外が喋っているのを聞いたことがない。でもきっと良い機会だと思われるのでapplyしてあげることにした。後日、学会事務局に問い合わせて、英文抄録の件について問い合わせてみることにしよう。せっかく日本で発表したいと言ってくれているのだから何とか応えてあげねばなるまい。
10:30 spine1例目が珍しく遅れていた。もう終わっていたかと思ったのだが、インプラントで何か不具合があったようだ。TKAの方は2例目が始まろうとしていた。今日もレジデント2人と技術員、器械屋でテキパキこなしていた。どうもこの中に手洗いして参加する気にはなれない。
12:10 TKAが終了し、Dr.許たちとともに昼食をとる。脊椎は2例目が今度は順調に進んでいた。
13:00 図書室にて、pubmedで文献検索を行う。今度の骨折治療学会発表のための下準備である。Free journalをインターネットからダウンロードしてコピーする。思いがけず、図書室の受付でお金を請求された(インターネット使用とコピー代、20NTDと安かったが)。
14:00 文献を持参して再び手術室に戻る。脊椎は2例終了し、踵骨骨折の変形癒合に対する、外側膨隆部の骨切り、腓骨筋腱周囲の癒着剥離、後距踵関節部(足根洞周囲)の滑膜切除、denervation、加えて人工骨を用いて後距踵関節の部分関節固定を行っていた。日本でここまで変形癒合になっていること自体が珍しいのだが、それに対するサルベージ手術の1つとしてオプションとして覚えておいても損はないだろう。特に足根洞周囲のdenervationについては強調していた。ここが痛みの原因となっているそうだ。
14:30 4つ目の部屋(外来患者用手術室)で手根管症候群(CTS)の患者が待っている。踵の閉創をMr.シーに任せてこちらにやってきた。彼はカメラを向けると陽気に答えてくれる。礼儀も正しくイイ人だ。
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日本でも多いこのCTSに対する教授の手術はどのようなやり方なのか気になっていた。この手術自体はこの病院ではあまり見られない。このような疾患に手を煩わせる時間はあまりないのかも知れない(儲からないから?)今日は2例も予定に組み込まれていた。手術自体は実にtraditionalな方法で、wrist creaseでカーブさせて比較的近位までopenで展開していた。近位から遠位に向かって横手根靭帯を切離していたのが印象的だった。確実ではあるが、手を付くところに皮切が入ってしまうのでpillar painが気にはなる。しかし、正中神経の皮枝や母指球枝を確実にみる方が重要だと言っていた。それも一理あるかも知れない。皮切自体は、日本で行っていたやり方(遠位から近位に向かって切離)の方が小さいしレーズナブルのような気がする。神経には極力触れず、屈筋腱の剥離なども殆どしていなかった。癒着を避けるため、多くの症例で横手根靭帯の切離と充分なreleaseのみに留めているそうだ。
14:50 Floraが買ってきたコーヒーやパンで休憩に入る。レジデント、Mr.シー、Mrレイなどが揃った。教授はこのような休憩がないと息が詰まってしまうであろう。
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15:10 先ほどと似たような踵骨骨折の変形癒合後の症例の手術が始まる。休憩後にすぐに手術を始められるこの環境が何とも羨ましい。休憩中に全て準備が整っているのだから。やはり麻酔看護師の存在は大きい。日本でも麻酔看護師を作ろうと言う動きがあるようなのだが、医者(おそらく麻酔科?)が反対しているのだそうだ。おそらく本当の現場を知らない愚かどもが、ただ反対しているだけに違いない。きちんと法整備をして資格を与えてあげれば下手な医者よりも断然使えると思うのに残念である。ここら辺が日本の嫌なところ(変化を望まない行政)。
15:40 3つ目の部屋で、尺骨神経麻痺(外傷後)の筋膜下前方移行術が始まる。この手術には手洗いをしてルーペ装着で参加させてもらった。40代後半の女性で外傷後に外反肘となっており、尺骨神経が易脱臼性である。痛み・しびれが強いようだ。肘関節周囲炎も伴っていると考えられた。皮切はオーソドックスに内上顆と肘頭の間やや前方よりで少し大き目に展開していた。前腕内側皮神経は確認できなかったが、尺骨神経は既に前方に位置していた。神経周囲を伴走静脈とともに前方に移行すべく剥離する。関節内からのeffusionや滑膜増生、瘢痕形成が著明であり、ここが疼痛の1つの原因であると考えられた。また尺骨神経本幹から関節に向かう分枝(神経刺激で運動神経でないことを確認)を凝固焼却した。この手技は疼痛を除くためには有効な手段であると考えられる。全体的な手技の中で重要なポイントとしては、剥離し展開していく際に、神経の分枝と思われるものは全て神経刺激で運動神経ではないことを必ず確認してからcutしていくことである。このような細かい確認が術後症状を更に改善させるために重要なのだと思われる。
16:20 上腕骨内上顆部でsubfascialに(神経にtensionがないことを充分に確認して)神経を前方に移行する。この際、関節内からの瘢痕様組織で関節包周囲を簡単に縫着していた。皮下ではなく、筋層下でもない理由としては、皮下はirritation painが出易いことをあげ、筋層下だとmuscleのcontructionによって神経が刺激されることがあるので筋層下が良いとのこと。
17:30 TKAの4例目が終わっていた。脊椎もいつの間にか4例目が始まっている。暫くみていないうちに。。。状況は不明。合間に休憩室でゆっくりしていると、早口で喋るドクターが挨拶してくれた。形成外科の先生で(まだ若そうだが)かなりactiveに手術をしている先生のようだ。英語名Alexだそうで、台南の成功大学でラボも持っているらしい。マイクロや手の外科なども扱っているらしく、色々と症例をデジカメで見せてくれた。この病院には設立当初の6年前から勤務しており、その間に形成のボス(院長)のもとで多くの手術を執刀してきたと言って自慢げに話してくれる。かなり自信家の先生のようだ。趣味は自転車をパーツから作ったり、バイクに乗ることだと言っている。良く時間があるね?と問うとまだ独身だから自由なんだと言っていた。いったい年齢はいくつなのだろうか(実は同じくらいなのかも知れない)。自分に自信があり、チャレンジをしようとする人間は、良い人間もいるが野心家で患者本位の考えでなかったりもするので、少し様子をみておこう。初対面でこれだけ自慢されると少し閉口してしまう。悪い奴ではなさそうなのだが。深くは付き合いにくいタイプかも知れない。
18:00 続けて、スーダンからの研修生Dr.Salimも現れる。Long time no see !とハイタッチして挨拶。何故か彼は自分に友好的だ。同じ穴のムジナと思ってくれているのだろうか。しばし正月中の話などで盛り上がる。4月まで台湾にいて、いったんスーダンに戻り、お金の工面をした後に今度は東京に研修に来るのだそうだ。東京に来たら必ず連絡すると言っていた。
18:10 手根管の2例目も合間で済ませ、あとは最後のばね指(何で外来の小手術が一番最後になっているのかも不明)を残すのみとなっていた。
18:25 かなり疲れた様子で(脊椎4例目もほぼ終了したよう)教授が本日最後の手術に現れた。
母指のばね指で珍しくもないが、なぜかレジデント含めみんな残っている。心なしか教授にパワーがなく、手間取っている。傷が小さすぎるようにも思えた。アシストもイマイチだったのもある。疲れた様子で今日はお開きとなった。
19:00 暫く、形成外科の手術室にいた。下顎~口腔癌摘出後の再建で、血管柄付き遊離腓骨移植が行われている。Dr.Salimも外から見学している。腓骨のharvestingにかなり時間がかかっている。この執刀医はあまり慣れていないのか?と思われるくらいだった。自分はドイツでcadaverの経験しかないが、もう少し解剖は解っている積りである。近位から遠位まで可能な限り腓骨を切除していた。遠位側にモニター皮弁を付けていた(perfolator vesselsを確認しつつ)。muscleは血管周囲に多少なりとも付けて剥離しなければならないのだろうが、あまりにも筋肉を犠牲にし過ぎのように思えた。一度本当に上手な人(たぶんDr.Tuは上手と思う)の手技を見てみたいと望むのであった。
19:30 何となく執刀医の機嫌が悪く、看護師との間にも少し険悪な空気が流れていたので、その場をおさらばすることにした。こういう時は退場しておくのが賢いというものだ。
19:50 地下のフードコートで少し変わったメニューをオーダーしてみた。オムライス(ご飯は普通の白は飯)にカレーのようなルー(味はカレーではない)をかけて食べるのだ。たまには気分を変えてみるのも良いかと思ったが、イマイチだった。

2010/02/04 何と台湾で牙科(歯科)診療を体験する! [平日]

8:30 今日は、朝の回診には来なくても良いということで、この時間に手術室に集合ということになっており、朝はゆっくり出てきた。教授は早めに来て回診や会議をしているらしかった。
8:45 本日はDr.Tuの手術日ではないのだが、朝1例のみ、他のDr.の手術室枠をもらって行うことになっている。以前、下腿軟部組織欠損に対してfree flap(Gracillis muscle)を行った症例に対するSTSG(分層植皮)を行う。21歳と若い女性だが、下腿はCosmeticalには可哀そうだとは思うが見事に血流の良い軟部組織で十分にカバーされている。しかし、受傷時の軟部組織ダメージの影響でflap周囲の皮膚は壊死を起こしていたので、同部もデブリを行う。皮下の脂肪組織からは良好な出血が見られているため、植皮も問題なく生着するであろう。
9:10 大腿前外側部よりデルマトームで採皮を行う訳であるが、若干足りなくて追加で採皮する。アキレス腱直上をカバーすることもあり、若干厚めの皮膚 を採取した。Meshを入れているため、整容的には少なからず目立つしbulkyであることは否めない。ドイツでALTのfree flap術後にbulkyになった脚を細くして欲しいとの希望からliposuction(脂肪吸引)を行った経験もあるだけに、若い女性の脚の太さに対する願望というのは計り知れない。しかし、と言って薄いflapを選択して血流のない組織で生着しないなどの問題が生じる方が問題である。整形外科(骨科)は整容よりも機能を重視する。究極的にはこの2つの両立が重要であることに異論はあるまい。
9:35 終了となる。この症例は比較的長く経過を見させてもらっており、経時的な画像も残してあるので思い入れがある。日本で同じような症例が来た時にはきっと思い返されることだと思う。
10:00 遅めに簡単な朝食をフードコートに取りにくる。今日はジュース屋でパパイヤ牛乳を買ってみた。医局に持って帰り作業しながら飲むことにしよう。
10:30 今日はfree dayなので、デスクワークをひたすら行う。日本からのメールが病院で見られないことが痛い(病院のコンピューターでインターネットはできる)。
12:00 図書室に出向く。図書室の裏の方の一角で落ち着いた場所があり、最近そこが気に入った。
少し調べ物をすることにする。
13:00 昼食も地下に行く。ちょうど外来看護師も買いに来ていた。数ある中のお粥(今日は海鮮がゆにしてみた)をチョイスする。値段も手ごろで美味しいのだ。
14:00 医局に戻って作業をしていると、牙科(歯科)のDrより呼び出しがかかった。先日、Mrs.ティンが連れてきてくれて予約をしてくれていたのだ(いつ受診かは知らなかった)。早速、牙科外来に向かう。少し待たされた後、40くらいの中堅歯科医師が対応してくれた。外れた銀歯のインプラントを持参してみせる。ここでなら新しいものを作った方がいいと思うが、保険は効かないので日本円で3万円くらいかかると言われた。明日いったん帰国もするし、3月までの滞在でfollowもしにくいということから、応急処置だけをしてもらうことにした。外れたインプラントと土台の方を綺麗に掃除して戻してくれるとのこと。しかし、硬いものを噛んだりすると外れることがあるから注意するよう言われた。4月に入って余裕ができたら、埼玉で歯科受診して考えることにしよう。
15:50 パスポートナンバーがいるらしく、いったんドミトリーに戻ったりして終了となった。今日の料金は日本円で450円と何故か安かった。ロビーを歩くと何だか人が多く、椅子が並べられている。何やら催し物がここで行われるらしい。時々あるそうだ。
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16:30 医局で教授に会ったので、症例の術中写真のスライドを何枚かもらう。これで発表用のスライドを作るのも楽になった。
17:00 今日は教授への面会やらでたくさんの人が待っているようだった。それに加えて幾つかのミーティングや会議が入っているようだ。
18:00 医局での仕事も一段落したので地下のフードコートに寄って夕食を食べてから部屋に戻ることにした。暫くは硬いものは控えることにしよう。

2010/1/29 朝のカンファでプレゼン行い午後は市内観光に出向く [平日]

6:45 病棟に向かう。今日はカンファがあるので早めに出向いてみた。暫く待っていたが、教授は回診してから後で向かうからと、先にカンファの準備に行くように言われる。Dr.許と我々3人でカンファ室に向かった。
7:05 まだ誰も来ておらず、自分のPCでプロジェクターに写るかどうか確認する。私の口演を先にして、最後にK先生に話してもらうこととした。
7:15 看護師さんたちが朝食を段ボールに入れて持ってきてくれ、机に並べ出した。今日は比較的集まりがいいような気がする。きっと日本からの刺客達の発表に興味があるのだろう。
7:20 私から口演を開始する。4本仕立てのメニュー構成のアウトラインを説明した後、教授との出会い(ある雑誌を読んで興奮して直接メール攻撃)、ここに来ることができるようになった経緯、前回の訪問時の写真集、福岡や大学の紹介と続き、学術的なことは、橈骨遠位端骨折のMIPO、吸収性プレートの紹介を行った。若干、詰まる場面はあったものの、基本的にはスライドを見ながら流れを喋れたのでうまいこといったように思う。どちらのトピックも台湾では珍しい内容だったので、かなり興味をひいてくれたようだった。だいたい25分くらい喋ってしまっていたようだ。
7:55 続けてK先生が、日本の外傷治療について、T大学外傷センターを設立した経緯などを含めて5-6分でまとめてくれた。途中、先生自らヘリコプターから降下して救出に向かう写真がスライドで流されると、一同驚いていた。Ranbo Doctorという称号を与えられていた。
8:10 いろいろと質疑応答があり、それなりに回答ができている自分に少し感心したりする。あまり英語での発表や質疑応答にストレスを感じないようになってきた。教授が結構たくさんのコメントを言ってくれた。またDr.馬がMIPOについて熱心に活動しているので質問もあった。全体的に好評だったように思う。
8:30 カンファ中には食事が摂れなかったので、K先生と残り物をもらって机で食べることにした。暫く昨日に続けて、過去のスライドや写真などを見せてもらっていた。こう見るとかなりの回数海外に出かけているようだ。この5-6年の間に急激に増えていると言った感じである。学年は5つ違うのでもう自分の年齢の頃には、色々と活動をしていたことになる。志のある人間は誰からの指導や相談もなく突き進んでいくものなのであろう。
10:00 少し外来の見学をしようということになり、教授がしている外来を覗きに行く。相変わらずの盛況ぶりなのだが、あまり見所も多くないため、他のDrのしている所や患者の流れなどを見るにとどまった。外来には、今日市内を案内してくれるLillyが暇そうにしていた。11時過ぎに出かけようかという話しになり、いったん別れた。
11:20 Lillyの車で市内に繰り出す。まずは左営の商店街風の場所にある食堂に向かう。
11:50 食堂の前でバイクの事故があったようで、救急車が来ていた。それ程重症ではなさそうだったが、救急の初療現場にとても興味のあるK先生はバシバシ写真に収めていた。
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Lillyが向かいの店で何かを購入した上で、持ち込みで目的の食堂に入った。彼女のお薦めを幾つかオーダーしてもらいテーブルで待つ。昨日から左の歯の奥の方が痛くて噛んだり、飲み込みにくいこともあり、辛いものは避けたかったのだが、幾つかトライしてみた。台湾風おでんのようなものや、独特のスープ、肉ダンゴあんかけらしきものなど、K先生は世界いろいろ回っていることもあり、現地の料理を食することには全く抵抗がないようで安心した。結構、ゲテモノ的なものにも取り敢えずアタックしてみる姿勢はあるようだった。
12:30 続いて、揚桃湯というここの名物の飲み物(以前も飲んだが変わった味、日本では見当たらない品と思われる)、少ししょっぱいジュース(原材料はスターフルーツを用いているよう)。
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それを買い込み、また違う店に向かう。水餃子が美味しいところがあるらしい。
12:50 もうお腹は一杯なのだが、一杯だけオーダーして、それを3人で分けて食べる。自分は小分けの皿に少しだけもらって休憩していた。
13:30 お腹も膨らんだ所で、名所巡りということになる。Rotus pond付近の古い壁がある場所、竜の入口から虎の出口に抜けるお寺などで過ごす。ここRotus pondのインフォメーションセンターには年齢80という元気なおじいさんが日本語で案内してくれた。週に1-2回、ボランティアでガイドをしてくれているのだそうだ。前回もここに来たことがあったが、今回は塔のてっぺんまで上がることにした。頂上はなかなか景色も良く風が入り気持ちが良い。今日は暑いくらいの天候なのだ(日本の5月くらいの陽気)。記念撮影したりしてのんびりと過ごす。K先生も普段は救急センター勤務のため、なかなかこのようにまとまってゆっくりするような時間もなかっただろうから良かったのかも知れない。
14:30 良く分からないが、昨年world gamesが開かれたというメインスタディアムに案内される。
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かなり広い陸上競技場のような所だが、今は各種コンサートやらイベントで使っている所らしい。今も何かイベントの準備をしているようであった。
15:00 高雄市美術館にやって来る。平日だというのに学生やら人がいっぱいいる。何故だと聞くと、どうも今は冬休みなのだそうだ(旧正月前)。どうりで街に人が溢れていると思った。美術館に入ったが、中のイベントには入らず記念品売り場やロビーの辺りでうろうろして、外の庭園をゆっくり歩きつつ戻って行く。
15:30 帰り際に、高雄で一番大きいというCG記念病院の高雄メディカルセンターの前を通ってもらうことにした。もし義大病院に来れなかったら、ここに来ていたかも知れない所だ。ここに来なくて本当に良かったと思う。もし間違ってこちらに来ていたら、今のような待遇はなかったに違いない。あちらの事務の手続きが悪かったこともあるが、我ながら良い決断をしたと今更ながら安心した。
16:30 色々と回ってもらい、若干疲れてきて病院に送ってもらう。セブンイレブンで買い出しをした後(K先生は果敢にも良く分からないヤシの実ジュースのようなものなどを買っていた)、病院前で記念撮影などを行いいったん医局に帰る。今日はこのまま帰らせてもらうことにした。
17:00 部屋に戻り片付けなどを行った後休憩する。
18:10 今晩は2人でタクシーに乗って街中に向かうことにした。まずは名所でもある六合ナイトマーケットに出向く。
18:40 いつも誰かに送ってもらったりしていたので、タクシーを使うのは久しぶりだ。430NTDくらいなので日本で言うと安い方なのだろうが、こちらでは贅沢なのかも知れない。もう外は暗くなっておりナイトマーケットも活気づいている。名物を幾つか食しようと考え、ぶらぶらしてみる。カキの卵でとじたようなものは名物なのでまずはそれをトライ。一度食べて美味しかった品である。あまり多くを口にしないK先生ではあるが気にいっているくれたか?
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19:10 喉が渇いたのでパパイヤ牛乳を買って歩きながら飲む。色々と珍しいものもあったが、やはり臭豆腐を食べてみようと言うことで、入口すぐにある臭いのきつい店に入って行った。一度食べたことがある店なので安心だった。臭いはきついが味は悪くない。2人ともしっかり平らげていた。
19:30 少しお腹もはってきたので、歩いて夜の街を観光することにした。途中のコンビニでビールを買いながら(2回買った)、途中2回ほどトイレに寄りながら、繁華街、中央公園、愛の河などを歩いた(結構な距離だったと思う)。歩きつつ飲むという新しいスタイルを見つけた瞬間だった。忙しくかつ健康にも気を使う人間には良い方法かも知れない。ただし、ビールは飲みすぎるとトイレが近くなるのが問題だ。途中、光り輝くデパートを通った。
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20:40 かなり歩き疲れたが、MRT(地下鉄)の駅があったので、そこから病院方向の北に向かう。少しでもタクシーの距離を減らそうと考えた訳だ。MRTが20NTDだから安い。どこが最寄りか解らなかったが、タクシーがすぐつかまりそうな左営(新幹線の終着駅でもある)駅で降りることにする。
21:10 左営駅からタクシーに乗って病院を目指した。病院の名刺を持ってきておいて良かった。現地の人に場所を口で言っても伝わり難いことが多いのだ。
21:30 病院到着。明日は土曜だが、朝から手術があるので早く眠ることにしよう。

2010/01/28 日中はゆっくりと過ごし夜の忘年会へ [平日]

7:00 地下のフードコートでDr.Kと朝食を取ることにした。簡単なサンドウィッチ類と甘い豆乳などをオーダーして食べる。
7:20 7Fの詰所に向かう。Dr.許とMrs.ティンに挨拶する。教授は暫く来ないそうなので、病院内を3人で少し回ることにした。病棟、図書室、医局、救急室、外来などを一通り回って簡単にDr.許が説明する。
8:00 再び7Fに戻ってくると、程なく教授が現れたので回診を始める。いつも通り回るのだが、今日は木曜日で余裕のある日ということに加えて、来訪者が増えたので、説明を比較的丁寧にゆっくりされていた。患者に脊椎や人工関節の症例が多いのでおそらく驚いていたことだろう。教授はハンドやマイクロで特に有名だからだ。それ程そのような症例は現在多くない。
9:30 医局に戻ってきた。教授はビジネスデーのため会議やら面会やらで時間を取られるようだ。暫く、医局の机で、現在の症例や今までの症例を供覧したりして過ごす。辛口のコメントが多いK先生だが、かと言ってけなしたりする訳ではなく、この方がもっといいんじゃないかという感じなのだ。先生も色々な施設に見学に行ったりすることが好きなようだが、日本は負けていないと言うのが持論である。
10:00 Dr.Hisaoが隣の机に現れたので、大学の研究室の方にも行きたい旨を話すと、では今から行きますか?ということになり案内してもらった(私は一度行ったことがあったのだが)。動態解析室やバイオメカの部屋に案内してもらう。それ程感動はしていないようだった。
10:40 再び医局に戻り、私のドイツやインドの時の写真や、Dr.Kの今までの海外での仕事の写真などをお互いに見せ合って交流を深めさせて頂いた。先生は今後、日本の外傷方面ではトップに向かっていく存在であろうから、とても良い刺激になりました。
12:30 Floraが昼食を買って上がってきてくれた。教授の部屋にて4人で会食となる。水餃子、チキンのスープ、ピータン+豆腐、その他と比較的たくさん買ってきてくれる。ゆっくりと食事をしながら雑談をして過ごす。今日はのんびり出来る日だ。
13:30 今日はお開きになったので、病院内を少しぶらついて(リハビリ室やその他の施設)から部屋に戻り、お互い明日のスライドを最終チェックしようということになった。
14:30 少し疲れていたので、昼寝をした。
16:00 もぞもぞと起き出して最終確認。問題は英語で話す内容の方だが何とかなりそうな予感。
17:10 医局に戻る。今日は骨科の忘年会があるのだ。レジデントのDr.呂が車で送ってくれることになっている。K先生が少し遅れてやってくる。
17:30 会場の義大世界(E-DA world)という所に向かう。先週土曜日にも行った場所だ。今日は総勢250名程度とかなり大々的な宴会になるようである。
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18:00 少し早めに着いてしまい、2人でテーブルについて開始を暫く待っていた。皆気を使ってくれてくれるので特に居づらいということはない。自分はまだ慣れているから良いが、Kさんはいきなりこんな所に連れて来られて若干戸惑っていたかも知れない。
18:40 少し遅れて宴会開始。司会はチーフレジデントのDr.許が虎のかわいい帽子をかぶって行っていた。もう一人は秘書さんだろうか?みな着飾って来ている。
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始めは、今年一年を振り返る的な内容のスライドが上演される。昨年教授主催のAPFSSHのことや思い出などが流れ、良く分からないけど盛り上がっていた。
19:00 次から次へと食べ物が来て、催しものが始まる。そして台湾恒例の賞品抽選。これも前回参加の忘年会と同様に、寄付を募ったりという光景が良く見られた。
19:30 看護師さんたちのダンス(スパイシーガールズ達などたくさん)では、プラカードに寄付してくれ!と書いてあからさまにDr.にたかるという光景も良くみられた。
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20:00 ビールを結構たくさん飲みつつ、色々と顔見知りも増えたので挨拶に回ったりする。
21:00 かなり盛り上がった宴会であった。ほろ酔い気分となり、帰りはDr.顔の車で病院まで送ってもらえることになり帰宅する。明日はプレゼンなので寝過ごさないようにしなければ。。。

2010/01/26 手術と外来・医局を行ったり来たり [平日]

6:45 回診開始、まずはDr.許と専科看護師の3人で回っておく。昨日手術が11件もあったのだが、特に大きな変わりはない。術後の疼痛に関してはPCAポンプを使用したり、その他の工夫もあるようで強い痛みを感じている症例は殆どみられない。脊椎症例に関しては、手術時間が短いということが創部痛の軽減に役立っているような気もする。脊椎手術の場合、筋肉を強くretractして展開するわけだから、圧迫による筋肉のダメージというのは無視できないような気がする。筋逸脱酵素のCPKが1つのメルクマールかも知れないが、それで何らかのsudyが出来ないものだろうか?当然、条件を揃える必要があるだろうが。手術時間が短ければCPKの上昇も緩やかで術後疼痛も感じにくい。疼痛に関してはPCAを使っているから難しいか?また、5歳のOBPIの術後(
6日目)も順調だ。包交も慣れてきたようである。両親の顔つき・肌の色を見ていると、どうやらこの家族は高山族の人達のようだ。坊やはお母さんにそっくりだ。高山族の人達は、教授曰く、純粋で付き合いやすいのだそうだ。あまり垢ぬけていないということなのだろうか?ど田舎のいい人たちという感覚なのだろうか?
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7:15 ナースステーションに旅行用のトランクが置いてあった。何かと思い良く見てみると、緊急時に備えてのグッズが中に詰まっているのだ。これは良いアイディアだと感心した。
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7:20 今日は朝のカンファレンスがある。担当は、Reserch cheafのDr.Hisaoである。最近の研究成果についての内容だった。面白いかったのは、sliding hip screwのラグスクリューに人工骨を注入する手技において、時に関節内や骨折部からleakしてしまうことがあるということで、新たなholeから別に人工骨を注入するという方法だ。この力学的特徴などを解析していた。強度的には注入しないよりも上昇するとのこと。デバイスは工夫していたが、少し手技が煩雑となる気がしてしまう。他には、上腕骨近位端骨折のロッキングプレート固定において、スクリューを入れる位置により、強度が異なるかという実験も紹介していた。近位側のスクリューをone corticalのみたくさん刺入するか、one cortical 2本、two cortical 2本とするか(プレート設置は遠位になってしまう)によって、強度に変わりがあるのか?という内容だったと思うが、聞き逃してしまった。漢語のプレゼンはやはりきつい。。。
8:30 医局で作業を開始。今日の手術の予定を確認する。Dr.馬の外傷症例が並んでいる。かなり多いので大変そうだ。暫くしてから見学しに行くことにしよう。
9:00 13歳の下腿GustiloⅢB開放骨折後の症例で、軟部組織欠損に対しては、ALTのfree flapが行われていた。ロッキングプレートによる創外固定が皮膚上に設置されているのだが、軟部組織とプレートの間隙が少なくなり、圧迫されてきているようで、今回はこれを抜去して、髄内釘(TEN)に入れ替える。また骨折部は癒合がもう少しなようで、加えて人工骨を植骨すると言っている。見事にALTでsoft tissue coveringできており素晴らしいのだが、この処置まで本当に必要だったかは疑問が残る。通常の創外固定で骨癒合まで粘るか、初期から髄内釘を入れてしまっていた方が良かったのでは?しかし、このelastic髄内釘(TEN)はなかなか面白い素材であると思った。
10:40 Tibiaのopen fractureに対する創外固定後(受傷より3週程度経過)、プレート固定に入れ替える予定。若干の外反変形矯正と脛骨近位内側より採骨を行い骨折部に骨移植も行うプランだとのこと。こちらのDr.は慣れているのだろうが、術前計画を作図したりする習慣は全くない。経験と勘が頼りのようである。やはり整復・矯正は甘いと思われる。手技的にはMIPOで行い、慣れていて洗練されてはいるが、これくらいでいいだろうという感じの許容範囲が我々よりも甘いような気がする。最終的な結果にどう影響するかどうかは不明であろう。
12:00 医局に戻って昼食とする。今日はCrystalが弁当を準備しておいてくれると言っていたので手術場からまた出てきた。reserch組のDrたちと秘書さんたちとテーブルで一緒に弁当を頬張る、会話は漢語(7割)、英語(2.5割)日本語(0.5割)と言った所だろうか?ライブで会話を聞いているのも何となく会話の雰囲気をつかむには良いことかも知れない。
13:00 再び手術室に戻る。Dr.馬がDr.呂と(今日はこの2人がコンビのようだ)、人工骨頭置換術(股)を行っていた。やはりアプローチは前方からだった。見易いが、後方よりもアシストが余計にいるように思われる。
13:40 Floraから携帯に連絡が入った。教授が外来に呼んでくれているようだ。3歳時に行った、先天性のcleft hand(母指欠損)に対する、toe transfer(第2趾)の女の子だ。以前、教授の部屋でビデオを見せてもらった症例だ。バイオリンを持参している。今からレントゲンを撮って、病棟でバイオリンを弾いてくれるそうだ。病棟の専任看護師について行く。彼女のお父さんも一緒である。今日ははるばる台北からやって来ている。お父さんは何度も日本に行ったことがあるようで、少し日本語が解る。示指から小指までの4本しかなかった指が、自分の足趾を採取して再接着して見事に機能している。整容的にはどうしても元通りとまではいかないが、機能的には満足していると思われる。ビデオ撮影を行い、外来に戻る(外来でバイオリンを弾いたらウルサイからわざわざ移動したのだろう)。
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教授の外来について、色々と説明を受ける。日本でもこの手の手術が以前は行われていたが、最近は殆ど見る機会もなくなってしまった。症例自体が減っているのと、限られた施設でしか行っていないからだ。今度行く病院では、この手の手術も比較的多いようなので期待している。
14:50 再び手術室へ(今日は着替えが多い・・)。Dr.馬が尺骨短縮術を行っていた。Xpを見ると確かにプラスバリアントではあるが、健側Xpもないし、評価方法が不明だ。カンファがないだけに手術決定権はスタッフドクターの権利であり、それはそのまま自分の責任でもある。手術決定までに至るプロセスが独りよがり的になってしまうきらいにないか?と思ったりする。手技的にはしっかりコンプレッションがかかるように操作を加えていたが、何ミリ骨切除をするのか?という微細な部分はやはり経験だけのような気がする。あまりに短くし過ぎると、DRUJの不適合、更には長期経過後にOAへと進行してしまう可能性があるだけに結果が気になる。詳細な評価がなされていないのが残念だ。
15:40 医局に戻る。昨日の日記や今日の出来事をまとめておかねばならないので少しずつ空いた時間に仕上げていく。加えて、金曜日のプレゼンの準備(スライドはほぼ完成、言う内容を検討しないといけない。今回は台本なしで行う予定)をしなければならないのだ。ちょっと忙しくなってきた。
17:20 手術室に様子を見に行ってみる。Dr.馬の手術はまだあるようだが、ちょうど入れ替え時のため、ソファ室でボーっと過ごす。
18:00 することもないので、今日はもう引き上げよう。Dr.馬とDr.呉が休憩室でPCを見ながら何かしている。今日は申し訳ないが先に帰らせてもらいますと言って別れる。
18:30 医局にいると、外来から連絡があり、渡したいものがあるとか言われたので向かう。すると、また例の如く食べ物のおすそわけであった。台湾独特のハンバーガー?、カラスミ(焼いたもの)、フルーツとあった。また今日も夕食を買わずに済みそうである。
19:00 フードコートでジュースだけ購入し、部屋に戻ることにしよう。しかし、また教授は外来をしている。すみませんが先に帰りました。。。

2010/01/21 教授が台北に出張なのでゆっくりと過ごした一日 [平日]

7:00 回診開始。昨日のOBPIの男の子の状態が気になるところだ。一番最後に包交をすることになっていた。他はいつも通り殆ど変るがない。慢性コンパートメント症候群の筋膜切開をした若いアスリートの女性は今日退院となる。自分も片側の外側の切開もしていただけに調子が良さそうでホッとする。気付いたのだが、こちらのCRPの値が日本のそれより高い値で出ている。正常値が3-4だとのことだ。Scaleが違うのだろう。THA後のinfectonのおばあちゃんも比較的長く入院(それでも2週間)していたが、CRP3となり、本日退院だそうだ。元気そうで良かった。少し元気がないと言えば、もともと全身の栄養状態の悪い膝~下腿にかけての壊死性筋膜炎患者に対して施行した筋皮弁(Gastrocunemuus muscle flap)術後のおじさんの胸部Xpを見ると右が真っ白になっている。肺水腫を併発しているようだ。アルブミンが低いこともあるだろう。こういう患者に対しても教授が指示を出している。
7:40 最後に子供の包交を行う。がまん強く泣くのをこらえている。創部はガーゼ汚染も殆どなく綺麗だ。ほっとする。自分が入って感染や血管トラブルでも起きたらシャレにならないから。。。
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マイクロ後の包交はレジデントなどには任せずに、必ず自分で行っている。これは術者としては当然の行動とも思われる。この姿勢は見習いたい。
8:00 今日の手術予定を見に手術室入口に向かう。それ程多くの症例はなさそうだ。いったん医局に戻って、昨日の日記(付け忘れていた)でもつけることにしよう。
8:50 教授が台北に向けて出発していった。新幹線で少し休めるから良いだろう(移動が結構良い休憩になっているものとも思われる)。持ち物はUSBスティックだけという身軽さだ。
10:30 少し手術室の状態が気になり、覗きにいく。脊椎の後方固定、膝蓋骨骨折ORIF、転位のない脛骨プラトー骨折ORIF、前腕両骨骨折術後の抜釘などが行われている。抜釘の部屋はレジデントのDr.温が閉創しており、チーフレジデントのDr.許が外で監修していた。ここはDr.高の裏の列のようだ。こうしてチーフレジデントは上手く使われているようである。もう終わりのこともあり、外周りの看護師や麻酔看護師(こちらでは麻酔の専門看護師がいる。結構彼女らがたくさんいて麻酔の補助をしているので一度に多くの麻酔をかけることができるのだ)とDr.許がパソコンを見ながら何やら談笑している。ワイヤレスでインターネットもつながるようで、今度買うPCやIPodなどをネットショッピングのページで見たりして楽しんでいる。Dr.Tuがいたらこんなことは出来ないだろうが、ちょっと羽を伸ばしている感じもする。
11:20 朝方、他の科のカンファで余った朝食を秘書さんがくれたので、少し早いがそれを手術室休憩室で食べることにした。こうしていろいろもらったりするので、あまり自分では買わなくても済んでしまうのだ。Dr.許も早めの昼食をとる所だというので一緒に食べる。彼はうちと同じような感じで、2007年に結婚し、今年の5月頃に初めての赤ちゃんが出来るとのことである。なかなかの愛妻家のようだ。今日は彼もDr.Tuがいないので少しゆっくり目に過ごしている。
12:00 いったん医局に帰る。午後からの手術にも顔を出そうと思っているが、Op室にPCを持参することにしていた。日本の音楽を聞きたがっていたのでUSBに落としてあげようと思っているのだ。日本語勉強熱は相変わらず目を見張るものがある。
13:30 手術室でDr.許に日本語の曲入りのUSBを渡す。早速聞き始めている。ドリカムやキロロを知っている。麻酔看護師(アラフォー?)が寄って来て、徳永英明が好きだとか言って興奮している。仕方ないので、彼女にもUSBであげた。今は抜釘の手術中なのにも関わらず、外回りではわいわいやっているのだ。可哀そうにレジデントのDr.温が一人で寂しそうに閉創していた。
14:50 PCL avulsion fractureのORIFが始まる。Dr.高の2列のうちの一つの手術なので、Dr.許が執刀するようだ。日本でなら(というか一般的には)保存的治療を選択すると思われるような殆ど転位のないタイプである。やる先生は小皮切で行ったりもしている。しかしオーソドックスに大きく展開して固定するようだ。いくら数をこなしているレジデントとは言え、ここはあまり慣れていないようだ。展開がやや近位過ぎるかなと思って外から見ていたが、やはり骨折部が解らず苦労していた。イメージが置いてあるのになかなか確認しようとしないのが不思議だったが、ここのやり方なのであまり口を挟まず、ふらふらしながら時折みていた。ようやくイメージを見ようということになったら、上級医のDr.高が様子を見にやって来て、何やってんだ?みたいな感じで何やら言っている。イメージ何か見ずにやれ!ということなのだろうか?イメージを下げさせて、自分が手洗いして入って来た。暫く、様子を見守っていたが、なかなか上手いところに到達しないようで、結局イメージをみていた(それでも位置が近位過ぎだったりしている)。せっかくあるのだから、はじめにチラッとでも見て確認してから行った方が結局は早いと思うのだが、私だけ?
15:30 本日の急患手術の脛骨・腓骨遠位開放骨折(GustiloⅢA)+橈骨遠位端骨折の症例が始まろうとしていた。Dr.葉とレジデントのDr.呂でするようだ。橈骨遠位端は例の如く掌側のT型バットレスプレートを用いている。Mr.シーと2人で手早く仕上げていた。この先生は見ていると、どうもせかせかした感じだ。何となく不潔っぽい(この不潔っぽいという印象があまり良くないのである。実際は不潔になっていないのかも知れないけど、周りにそう思わせるような雰囲気・行動というのは良い印象を与えない)。確かに早いのかも知れないが、どうも早さを追及しているような感じ。慣れてはいるのだろうが。。。その間に、Dr.呂がもくもくと下腿の開放創を洗浄している。橈骨側が終わると、閉創はMr.シーに任せて、下腿の処置の方に参加してくる。創外固定を立てる訳だが、近位は脛骨前面中央にハーフピンを2本、足部は踵にトランスピンを2本、中足骨にハーフピンを1本というオーソドックスな感じで固定していた。リングの組み立ては、Mr.シーが詳しく、Dr.呂を指導していたりする。本当に頼りがいのあるテクニシャンだ。
17:00 この後にもう1例、急患手術が入っているようだ。少し休憩した後、再びやってくることとする。休憩所にはスーダンからのfellow Dr.Salimが巨体を横たわらせてソファにいる。今日は朝から長い手術があって、疲れているのだとのこと。2人して少しソファでうとうとしていた。
18:00 Tibia plateau関節内骨折の緊急手術が始まろうとしていた。Dr.葉が今日の担当のようだ。助手には遅れて、Dr.温がやってくる。関節面の整復・固定だけ本日行い、創外固定を立てておく計画のようだ。手荒い感じだが、陥没した骨片を骨折部からエレバのようなものを突っ込み押し上げておおよそ良好な整復位に持っていった。外側からCCSを2本入れて固定した。その後は創外固定をtransarticularに設置するようだが、形成外科の手術が何やらまだ残っているということだったので(Dr.Salim情報)そちらの方に出向くことにする。
18:40 実はDr. salimが先ほど休憩室でメッカの方向に向かってお祈りをしていたのは知っていたのだが、黙って出てきた。そう彼は敬虔なイスラム教徒なのである。スーダンの医療事情やら給料やら、スーダンに来たら何でも間違いなく経験出来るよ(何しろマイクロが出来る医者は2人しかいないとのこと)とのことなどを聞かされる。さすがにそれは・・・。
19:00 こんな時間から口腔癌の摘出術後の再建手術が始まる。耳鼻科で摘出を行った後の再建のようだが、準備までにかなり時間が空いたようだ。Dr.Salimとスタッフの一人がするようだ。形成のFellowである彼は、結構いろいろとさせてもらっているようだ。Dr.Tuの場合、一緒に手術に入って詳細に教えてはくれるが、全て自分でするため執刀をする機会は殆どない。たまに試しにさせてくれる程度だ(要は時間がないのである・・・)。形成外科はマイクロの症例は豊富だが、整形外科のマイクロとはまた違う。こちらのやり方もたまには見て置くのも良い勉強になるだろうと思い、志願して見学させてもらう。ちょうど、形成外科のボス(ここの院長:かなり腰が低いんですけど)が見回りに来ていたので、挨拶して了承を得ておいた。勝手に形成外科の手術とかまで見ていたら、それぞれのボス達が面白くはないだろうから(Dr.Tuには形成外科の手術でも見たいのがあれば見てもいいと既に言われている)。再建は前腕掌側遠位からのradial forearm flapである。基礎的なfree flapであるので勉強しておこうと思った。橈骨動脈を犠牲にしてしまうが比較的有用な皮弁と思われる。橈骨動脈から出ている細かい分岐にだけ気を付ければそれ程難しい皮弁ではないと思う。血管茎も太いし意外と初心者向けなのかも知れない。
20:00 だいたいharvestingが終了した感じで手術室を後にする。地下のフードコートも閉まってしまうので。どうも、骨科の方でももう一例急患手術が入っていたようだった。こちらは特に顔を出さずに帰ることにした。
20:20 地下のフードコートはたいがい閉まってしまっていたが、3つだけ(1つはジュース屋)まだ営業していた。今日はまだ残っているメニューで頼むしかなかった。肉ソボロ飯的な感じと冬瓜とチキンのスープにした。
20:40 帰り際に教授にばったり会った。今台北から戻ってきたのだという。今からまた病院で仕事をしてから帰るのだろう。本当にお疲れ様です。

2010/01/14 恒例の骨科晩餐会に出席させてもらう [平日]

7:25 遅刻してしまった。6時に目覚ましをして起きたのだが、その後が記憶がない。今日は7時過ぎで良いということになっていたのでちょっと余裕をかましていたのだ。Dr.Tuに連絡をしようとしたが、PHSの番号の控えは病院だった。携帯は電波が届かない。まあ焦っても仕方ないのでゆっくりと病院に向かった。しかし、まだDr.Tuも来ていなかった。もう回診しているのかと思ったのだが。。。今日は木曜日で、手術日でも外来日でもない唯一の日だから朝には余裕があるのだ。
7:45 ようやく到着する。昨日よりは元気そうだ。回診もいつもよりはゆっくりと回り、説明を丁寧にしてくれる。時には看護師にも指導を行っていた。時間がある時はこのようにしているようだ。昔は看護師に怒って指導していたのだそうだが、今はそういうことはしなくなったと言っていた。人前で大の大人を叱ることは、確かにあまり良いことではないと私も経験上知っている。こっそりと後で指導してあげる方が効果的だ。しかし中にはそれに応えてくれない不届きものも混じっているが。
9:00 包交も何人か行い、回診終了。いずれの患者も経過は良好である。回診中に教授が、宗教なので信じる者がある患者は術後の回復が早いと経験上思っている。と言っていたことが印象に残った。これは術後の問題だけでなく、何にでも言えることだと思った。信念・哲学・宗教がある人間の方が何でもやり遂げられるというものなのだ。改めて自分の信念というものを問いただしていかねばと思った。
10:00 医局で作業を行う。今日の午前中に教授と隣の大学の研究室(バイオメカのラボがあるそう)に同行することになっているので、教授の時間が空くのを待っている。毎週、木曜日には研究室の方にも顔を出しているとのこと。こういう時間に与えられた(というより無理にお願いしてもらった症例だが)仕事をやっておこう。Summaryの読解をして日本語でまとめる。演題提出予定だった日本外傷学会の締め切りは1/31までと延長されているのでまだ時間はある。骨折治療学会のネタがまだ見つからない。このままだとまた何か同じネタの焼き直しになってしまう。何かないだろうか?先にこの仕事を片付けてからでないと話を切り出しにくい。もう一つ狙っておく。
11:30 少し遅くなったが、隣の大学(義守大学:I-Shou university)の研究室に連れて行ってもらう。
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Dr.Hisaoも一緒である。彼は研究班のチーフで、この病院や共同で行っている研究を取り仕切っている。病院2Fから大学につながる連絡通路(初めて通った)から大学に入る。ここは専用のIDカードがないと出入りできないようである。この大学は医学部や看護学部はないが、OTやPT、生体力学などの工学系の学科があるようだ。
12:00 時々、病院内で見かける若いDrやここのラボで主に研究しているチーフのPhD.などに挨拶する。幾つかの機械(バイオメカニカル実験や動態解析関係)を説明してもらう。まだ出来てからそれ程経っておらず、全体的に新しい。これから色々と更に充実させていきたいと言っていた。
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臨床と研究の両立を高いレベルで目指している所は実に素晴らしい。臨床だけ、研究だけという人間は良くいるが、彼らの言い分は臨床の人間は、研究なんてしているヒマがあれば臨床すると言うし、研究の人間は基本的に臨床が出来ないのだ。バランスがとれて始めて良い医者なのではないかと思う。常に上(良い治療)を目指すという姿勢こそが発展へとつながる。惰性で生涯のライフワークを過ごしたくないな~。勿論、生活のための仕事と割り切る部分も当然必要であるとは思っております。
13:00 地下の食堂に向かう。今日は詰め合わせの弁当にしてみた。味は濃い目でちょっとニンニクが効きすぎか?
13:30 Op室の入口に手術スケジュールを見に行ってみる。TKAや脊椎などが多い。骨折の手術もあるが時間がなかなか解らないので、今日は研究日ということにしてデスクワークメインとすることにする。
14:30 医局の秘書さんたちが仕事をしているが、あまり忙しくない時は何か食べたりして比較的余裕がありそうである。台湾の豆で出来たお汁粉のようなスィーツ(ジュースみたい)をくれる。豆や寒天みたいのが底に沈んでいてすくって食べる。結構イケル。一人が日本語を勉強中だった。教科書を見せてくれたが、結構勉強熱心なようだ。みんな色々と頑張っているんだなと思った。
15:00 症例報告の解剖を勉強していたが、手術方法がイマイチ解りにくかったので、教授の部屋を訪れる。今日の午後は部屋で色々と公務をこなしているようだ。時々面会の人も訪れている。質問には嫌な顔をせず親切に色々と解説してくれる。絵まで描いてくれた。お陰で良く理解できた。それに加え、今月分の給料を台湾ドルで手渡ししてくれた。これで生活費には困らないだろう。来月以降は日本円であげることも出来るからと言われた。何とも有難いことである。また、4月の来日の件であるが、既に日程スケジュールを立ててくれているようだ。秘書のCrystalが航空券も手配してくれた。関西空港到着時には、必ずや出迎えて差し上げようと思う。それが多少なりの恩返しというものである。引っ越し直後、出産前と大変な時期ではあると思うのだが。。。
16:00 図書館に出向く。病院のIDをもらえたので本を借りることができるようになった。Kevin Chuang先生の手の外科の教科書を2冊(DVD付き)を借りた。1ヵ月借りることができるよう。InjuryやJHS(A)の論文をpick upしておく。
17:20 Crystalから連絡があり、Dr.呂が医局で待っているとのことで戻った。今日の晩餐会に彼らが連れて行ってくれるので待ち合わせしていたのだ。
17:35 着替えて、Dr.温とともに3人で会場のSprenderホテル(前回の学会でも使用した所)に向かった。この時間は渋滞もあるようなので少し早めに出ることにしたのだ。彼らはまだレジデントなので会話も気楽で結構楽しい。色々と興味深そうに聞いてくるのでこちらも聞き返すという感じで、良い英会話の練習になっている(お互いネイティブではないけど)。台湾のDr.はたいてい英語を解するが、そのレベルには多少差があるようだ。あまり得意でないDr.もやはりいる(日本のそれ程ではないけれど)。英語の苦手な日本人は無口になってしまいがちなのだ。
18:15 少し早めに会場に到着した。まだ誰も来ていなかった。大きい丸テーブル(良く中華料理屋で見かける回転するあのテーブル)が一つあり、そこに皆で座るようだ。総勢12人程度だろうか?今日はDr.Tuは来ないとのこと。No.2のDr.干がここでのトップになる。一番上なので、色々と話が出てくる。他にもMr.シンやMr.レイ(脊椎の器械メーカー)、プロパーの女性も2人来ていた。たいがいこういう場はプロパーが支払っているようだ。持ちつもたれつの関係なのだろうか?プライベートホスピタルならではのようであるが、日本の接待よりかなり癒着気味の感じだ。昔は日本もいいシステムだったのにな~。とバブル期の頃をうらやましがったりする。
19:30 料理はコース料理だが、特別これというものはなかった。ビールをまあまあ飲んだ(飲まされた?)。こちらの人は目が合うと、コップを掲げて飲みましょう!みたいな合図をするのだ。必ずしも全て飲み干す必要はないのだが。。。
20:50 結構、話し込んで遅くなったようだ。Dr.呂が病院まで送ってくれるそうだ。彼もビールは2杯くらい飲んでいたが。ここらへんもまだ飲酒運転の認識は甘い。
21:20 帰宅する。少しほろ酔い加減だ。明日は朝のカンファレンスが予定されているので少し早めに起床しよう。

2010/1/13 手術室では一段と元気になるProf [平日]

6:40 病院に到着する。ここの所、Dr.Tuの到着が遅いようだ。相変わらずの激務には変わりない。
7:00 遅れてやってきた。今日は3時間足らずしか寝ていないそうで、疲れ気味。何でも依頼された論文の執筆などをしていたそうだ。出来る人は忙しい中でもやりこなしてしまうものだ。
8:00 Op室に出向く。麻酔導入前に患者(2部屋並列になっている)に顔見せをしてから、ゆっくりと朝食を食べ始めるいつものスタイル。こんな感じでずっと仕事し続けているのだ。行動パターンを決めていいることも、ルーチンワークとして効率良く・抜けがないように行う重要なことなのかも知れない。
8:40 1例目は腰椎圧迫骨折のvertbloplasty。これは覚えて帰っておいても損はない。ただし、正面・側面を同時に見られるイメージがあった方がかなりやり易い。これがあれば本当に誰でもできる手技である。治療効果も確実。日本でも症例は幾らでも眠っているだろう。急性期に行うことはまだ議論の分かれる所かも知れない(骨セメントのリークなどの問題など)。今回の症例も受傷後2日で刺入したpedicleのニードルから出血が比較的多く見られた。
9:40 Rotator cuff tear (partial)の症例に対して、acromioplastyとsynovectomyを行う。T字切開で展開。三角筋をsplitしてsubacromial spaceに到達。滑膜炎というより滑液包炎が起きている。Acromioplastyを骨ノミとサージエアトームを用いて行う。用指的に剥離して十分なspace出来たことを確認する。その後にgentleにmaniplationを行っていく。外旋制限が強かったが、徐々に改善。挙上も160°程度までは簡単に行くようになっていた。
11:00 2例目のRotator cuff tearの手術。この症例は高齢者で上腕骨大結節部の剥離骨折(棘上筋付着部)も伴っていた。手技的には先ほどと全く同じ。ただし、最後に剥離骨折に対しては、エチボンドを用いて2カ所で8の字のtension band wiringで縫合しておいた。
11:35 少し早いが昼食を摂りに向かう。弁当はたいがい3種類あり、既にポークがオーダーされていた。みんなで和気あいあいと食事を行った。
12:20 午後の1例目は3椎間4segmentの脊椎後方固定である。今日も参加させてもらう。流れ作業で、それぞれが役割をこなし、次から次へと進んでいく。1時間20分で閉創。凄いとしかいいようがない。椎弓切除とpedicle screw固定が早いのが一番の要因だが、全く迷いと無駄がない。使用インプラントは2種類のcageを使用しているのだが、尾側にはチタン製、頭側にはカーボン製を使用(会社との兼ね合いなどもあるよう)。保険上、pedicle screwとともに使用できる数に制限があるため、一番頭側のL3/4椎間にはcageは一つしか入れなかった。Pedicle screwも8カ所のpedicleのうち6カ所しか使用していなかった。
14:50 BPI+ACJ dislocationに対しての神経移植とACJ固定の予定。Clinicalには、手指機能は保持されており(C7・C8・Th1)はintactと考えていた。まずは、短時間でフックプレートを用いて固定終了(Mr.シーがscrew固定したりしていた)。Imageは使用せずに行う。続いて、鎖骨上の腕神経叢の展開へと移る。ここの解剖も何度か見たのでだいぶ頭に入って来た気がする。Omohyoid mucleをretractして瘢痕化しているfascia様組織をcutすると、fat tissueが現れる。もうその周囲にはrootが存在するはずだ。Supra scapular、C5・C6・C7と展開していく。癒着・瘢痕化が強い。引き抜き損傷の存在が示唆された。C5 rootは剥離展開すると、neuromaを形成。電気刺激でも全く反応なし。C6も同様であった。C7はclinicalには保持されていると考えていたが、刺激でも全く反応を示さない。おかしいなと思いつつ、休憩となる。
15:30 コーヒーブレーク。電話で誰かに買い出しに行ってもらい、コーヒーとパン類をみんなでつまむ。他の手術室では足関節痛に対する腓骨筋腱鞘の切離、denervation予定の患者が搬入されており準備中だった。麻酔導入前にしっかりと顔を出すのは忘れていない。
16:00 再開。筋弛緩の影響もなくなっているハズだったが、やはりC7は刺激しても反応せず。従ってC7も損傷されており、臨床的に手指伸展などC7機能が若干可能だったのは、cross section、anatomical variationのためだろうと考えられた。C7がintactであれば、同側C7の前方線維のみを利用してSuprascapula nerveに移植しようとも考えていたようだ(前医による手術のため、Spinal accessory nerveの機能が損傷されているかも知れなかったので)。しかし、こういう状況ではC7は使用できないので、spinal accessory nerveを展開しcheckすることとする。やはり瘢痕化しており同定困難であったが、神経刺激を使用することで僧帽筋の収縮(肩すくめ運動)が確認される。その方向を頼りに更に深層へと展開をすすめた。しっかりと神経を剥離して遠位側をSSp nerveと縫合できる長さで切離する。続いてSSp nerveの近位側で切離し、omohyoid muscleの下面を通して、互いを神経縫合する。一連の流れはだいたい理解できるようになった。ルーペのみで10-0ナイロンで5-6針縫合し終了となる。
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16:30 他の部屋でDr.許が準備して待機している、ankleの症例の方に移動する。Dr.Tuがやってくるまでただひたすら待っている。TKAやTHAなどルーチン手術は、Dr.許だけでしてしまうが、unusual caseは手を出せないようである。早速急いで始まる。腓骨遠位の緩いcurved incisionで展開し、短・長腓骨筋腱を露出。同部の腱鞘がかなり肥厚しておりtightであった。まずはこれらをreleaseしていく。軽いsynovitisも見られる。しっかり遠位・近位ともに切離すると動きがsmoothとなる。更に、subtalar joint上に存在するnerve周囲にeffusionを認め、同部での炎症が示唆される。このnerveをdenervationするとのこと。手技的には難しくないが、診断することが難しく重要なのだと思う。その後、腓骨筋腱の脱臼防止のために、人工靱帯を使用してpulleyを作成しようとしたがbulkyとなってしまうため、長腓骨筋腱の1/4程度の太さを採取して、それをpulleyとして使用することとした。色々なoption・variationを知っていれば、様々な局面(トラブルシューティングなど)に対応できると思われる。
17:40 本日最後の手術である、母趾基節部の皮膚 壊死に対する皮弁術だ。骨折に対しては受傷時にK-pinで固定がなされていた。壊死組織を除去すると皮下の静脈の血栓形成もあり、やや深い。人工真皮で肉芽をあげて植皮という方法も勿論ない訳ではないが、cost・時間の浪費という点では局所皮弁でカバーできるのであればそちらの方が良いかも知れない。基本的には血流の良い組織で覆ってあげるということが重要なのである。足背の1st DMA による逆行性回転皮弁を予定した。多くの選択肢があるが(その他はkite flap、前腕などからのfree flap・・)、この症例に対してはbestなのかも知れない。しかし、解剖学的変異を知っておかねば、挙上・展開は容易ではないかも知れない。DMAによる血管茎は背側が70-80%ということであるが、10%程度は底側からという症例もあるそうだ。両者の混在型もあるようだ。おの症例は血管茎が結構深く、底側からか?とため息が出たが、どうやら両者の混在型であることが解り、ほっとする。底側からの茎はヘモクリップで結紮する。軟部組織付きpedicleで欠損部をカバーできるように剥離を進めた。また、pivot pointでは圧迫や捻じれが加わらないように充分に注意する。
IMG_4146.jpg Skin paddle採取部は一次縫合不可能なので、露出した腱を軟部組織でカバーした後、同部を分層植皮(下腿遠位外側より)し、tie overする。露出した血管茎・軟部組織部には軽く植皮をするのみで圧迫は行わなかった。 18:50 手術終了。今日も良い経験が出来た。このようなflap手術を自分は好きかも知れないと改めて思った。スーパーマイクロ・ウルトラマイクロの世界は技術的に限界を感じるが、この種の手術は経験とイマジネーションが必要で、かなりやりがいを感じる気がする。Dr.Tuに手術所見をコピーさせてもらうため、暫く手術室でみんなとだべりながら待機していた。スタッフにとって手術も終わってほっとする時間帯なのだろう、みんなかなりリラックスしている。 19:30 地下の食堂に夕食に向かう。今日は水餃子+肉ソボロ飯とした。醤油の味がイマイチかも知れない。ラー油みたいなのは美味いけれど。 20:00 医局に戻って今日のまとめなど。相変わらず医局に人影は殆どない。Dr.Tu以外(レジデントも含めて)は結構早めに帰宅してしまうのであろう。 20:30 帰宅する。

2010/1/11 現在、Profが最も興味のあるBPIの手術 [平日]

6:45 病棟に到着するもDr.Tuは、まだ現れず。
7:05 今日手術することになったfree flapの女性に術前ムンテラなどがあったようだ。回診に着いていく。今日はDr.Tu関連の手術だけでも12例もある。他のDr.もあるので20例以上はゆうにあるようだ。また忙しい日となりそうである。
8:00 手術室でDr.許とともに朝食をとる(今日もFloraが買ってきてくれた)。誰かが持ってきてくれていた太陽餅みたいなケーキを少し頂いた。味はまあまあ。くれた人は凄く奨めてくれたもののそこまで・・・という感じだった。
8:20 ロッカーの鍵を忘れているのに気が付き、ドミトリーに取りに戻ることにした。
8:40 戻って来ると、1例目の脊椎の固定術(3椎間)が始まるところだった。今日はspineの手術にも入らせてもらうことになっている。Dr. TuのSpine手術はとにかくスムースで早い。もう何千例としてきていることもあるが、殆ど変わらないチームでずっと行ってきていることが一番の要因だろう。何も言わずとも次から次へと進んでいく。このコンビネーションを邪魔しないようにだけ注意して一緒に加わらせてもらった。椎弓切除にはエアトームは用いない。ケリソンとリュエルで切除していく。切除した黄色靱帯 と椎弓は、担当の機械屋(チームDr.Tuのspineの一員で、面白い人)が一生懸命骨だけに分離し、移植用の骨として使う。全てのsettingが周りの人間がそれぞれの役割を理解して進んでいる。このような境地になるまでは多くの試行錯誤があったのかも知れない。実に見ていて気持ちが良い。疲れを感じさせない流れとなっている。
9:20 椎弓切除が済んで、椎間板切除後にケージを挿入するのだが、手の感触でサイズを決定している。この流れ作業でも彼の役割が大きい。Pedicle screwの挿入がやはり肝だと思うが、横突起を確認してその上縁の延長線上をメルクマールにして挿入位置を決めている。迷いは殆どない。K-pinを挿入してからimage側面でcheckしていたが念のためらしい。Feelerの感覚でpedicle内に入っていることは解るようだ。Screwの長さ決定もsizingせず感触で決めている。
9:30 順次screwが挿入された後、バーを設置するのだが、この弯曲は彼がbendingして決めてしまっている(imageの側面で見て作成しているのだとのこと)。このようなして約1時間で3椎間の固定が終わってしまうのである。
9:50 閉創まで終わり、搬出の準備などしている。別の部屋ではシニアレジデントのDr.許がTKAをもう終わらせてしまっている。こちらも1時間くらいだろう。このspeedyさだけを追い求めても仕方ないが、ただただ驚くばかりだ。大学などのように時間的に無駄の多い医療にもう戻れそうにない気がしてしまう(もちろん早く終わらせるだけが能ではないのだが。。。。)。
10:30 2例目は上位型BPIに対する神経移植(double nerve transfer)である。Spinal accessory nerve(SA)をsuprascapula(SSP) nerveへ、ulner nerve(UN) radial facicleをmusculocutaneous nerve(MCt)の運動神経へ縫合する手術である。
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この手術には成功大学(台南)の理学療法士である、Ms.Tsouという女性が見学に来た。何でも彼女は成功大学でPh.Dを取るとのことで、BPIに関する臨床研究をDr.Tuとともに行う予定になっているのだとか。臨床的な内容も知る必要があるだろうということでやって来たそうだ。今後も来ることがあるそうだ。眼は一重ですっきりしており、真面目そうな感じの女性だった。独身だそうである。大丈夫食指は動きませんから・・。Dr.Tuは我々見学者2人のために、わざわざいつもと違う体位で見易いように工夫してくれた。この症例と同時に隣の部屋では、前腕両骨骨折、橈骨頭骨折、尺骨鈎状突起骨折のORIFが準備されていたので、外から見させてもらうことになった。
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その方が両方見ることができるから。こちらの外傷はDr.呉がassistは看護師だけでするようだ。手洗させてもらっても良かったが、BPIが見られなくなるので申し訳ないけど遠慮させてもらった。こちらのORIFは、前腕側は通常にconventional plateで固定し、橈骨頭はmini screwで固定した後、不安定性評価で、鈎状突起部の不安定性を認めたためこちらも展開し固定することになったようである。一人で可哀そうだったが、時々見学に訪れた。Dr.呉は上肢の外傷が結構好きみたいである。私のJBJSのDRFの論文を読んだよと言ってくれた。このネタでdiscussionが出来るようになってきたのは、自分としても嬉しい(英語力もちょっとは上達してきたのかも知れない)。
11:00 鎖骨上の腕神経叢を展開し、順次電気刺激を行いそれぞれのrootを確認する。前回のcontra C7の時に解剖はだいたい理解できた積りでいたが、本日再度確認できて改めて整理ができたように思う。ランドマークはomohyoid muscleである。今日はnormalに1つしかなかった。このmuscleはretractしておくが、その下面に腕神経叢が現れてくる。一部scarの形成がみられ、引き抜き損傷後の変化であろうことが予測された。電気刺激では、C8-Th1はintactであり、Supra scapulaは少し反応あり、C5-C6の反応は殆どみられなかった。上位型のBPIと考えて良さそうである。しかし、BPIは症状が複雑であり、麻痺は回復してくることもあるので、その適応については議論の余地があるかも知れない。実は手術の効果で回復したのか?本来手術しなくても回復する要素があったのか?など考えなくてはならないだろう。
11:20 omohyoid muscleの上面で、SA→SSP を縫合する。本日もマイクロは導入せず、ルーペのみで縫合するようだ。糸は10-0ナイロンだから結構細い。なかなか凡人には真似出来ないかも知れない。
11:50 鎖骨上の腕神経叢の方は終了した。ここでいったん食事休憩となる。Miss.TuaoとレジデントのDr.呂とともに食事を取りにいく。
12:00 今日は麻酔科看護師なんかも結構一緒に喋った。何でも日本にしばらく留学(遊学らしいが)していたことがるという。日本語が結構上手だった。男のOp室ヘルパー?でも独学で勉強中という人もいて、久しぶりに少し日本語を話した。何だかんだで、みんな結構日本語には興味を持っているようだった。
12:20 隣の部屋のORIFを見に行くと、最後の尺骨鈎状突起の固定だけとなっていた。少し苦労していたが、次の手技が始まってしまうのでBPIの方に戻った。
12:40 今度は上腕の腋窩~近位に向かって展開する。まずはbicepsの長頭と短頭の間より、muscle fiberを分け入ると、もうそこには、musculocutaneous nerveが現れた。執刀から3分も経っていないのでは?muscleが簡単に別れて見えてきてしまうのだ。運動神経(bicepsのlong とshortに2本別れていた)を知覚神経と分離し、運動神経側のみをcutする(刺激で若干反応はあった・・・)。続けて、後面を展開すると、すぐ正中神経が現れる(刺激で確認)。正中神経の後方深層には上腕動脈があり伴走しているので解り易い。その更に後方に尺骨神経があるので、展開を進めていく。尺骨神経(intact)は犠牲にする神経であるので、慎重に展開し神経刺激を行って同定する。特に橈側のfascileはECUの成分が強く、尺側の成分は指の成分が強いことを臨床的に確認した後、橈側をcutしていく。もちろん、縫合に十分なだけの長さをしっかり確保した上での作業である。あまりにいとも簡単にしてしまうので本当に簡単な手術のようだ。
13:30 special techniqueを披露してくれた。神経の縫合部に静脈をラッピングするのだ。皮下の静脈を採取し、内腔を広げて神経縫合前にどちらか一方にカバーしておく。そして縫合が完了したら、そのカバーした静脈を縫合部までスライドさせてラッピングしておくのだ。癒着予防や縫合部のストレス軽減など臨床的には良さそうであった。何かに使えるテクニックかも知れない。
14:00 終了した。ちょっとコーヒータイム(誰かがコーヒーやパン類などを買ってきてくれている)で休憩する。こういう時間でリフレッシュしているのだろう。和気藹藹としていた。
14:30 この部屋3例目は、Glacilis muscleのfree flapである。下腿開放骨折術後に下腿遠位1/3部の皮膚 ・軟部組織が壊死してしまった症例である。創外固定として、前回の見学の際に、Dr.馬に教えてもらった、ロッキングプレートを用いていた症例である。このプレートの設置位置は今回のflapの際に良くないので、まずは始めに内側にプレートを設置し直した。
15:10 その後、TAとEDCの間に存在する、Tibialis anterior A&Vを展開しドナー血管を同定しておく。吻合し易いようsettingしておく。A 1本、V 1本を使用する予定だ。
15:30 Glacillis muscleのharvestingにうつる。ご丁寧にマーキングを書いてくれてから展開する。始めはskin puddleも含めて採取する考えもあったが、bulkyとなるため、途中からmuscleのみの展開に切り替わった。Glacillis muscleのharvestingはmuscle前方marginに気を付けながら剥離していく(皮膚へのperforatorがあることを詳しく説明してくれた)。後方marginの展開ではあまり恐れるものはない。手技的には何度かやれば自分一人でも上手く出来そうな気がしてくる。肝はmuscleへのvesselsを多くの分岐を一つずつ着実にクランプしていきながら出来るだけ長い血管茎を確保することである。採取する動脈と静脈は一緒にしておかず、二つを分離させておいてから、それぞれをクリップでクランプするのだ。
16:20 クランプする前に、他の部屋の手術を手伝いに行ってしまった。同時に2列を受け持っているのだ。TKAなどルーチンの手術はチーフレジデントが適確にこなしているが、中にはirregularの症例もあり、途中でヘルプが入るのである。そういう場合は、暫くこちらの手術は中断となってしまう。Dr.Tuが帰ってくるまで、残されたメンバーだけでダベッていた。レジデントのDr.呂は結構英語が上手いが、Mr.シーや看護師はそれほど解らないので、色々と通訳してもらいながら話し合った。興味があったらしいのは、日本の医者の給料である。大学の給料は安いことを知ると結構驚いていた。でもバイトしなければならないことなども教えておいた。
17:00 今回は戻ってくるまで結構長くかかった。何でも2例程見てきたのだそうだ。この直介の看護師はDr.Tuの手術に付くと緊張するようだ。他のDrの手術では結構明るいのだが。。。Dr.Tuは手術中かなり厳しいからである。早速、血管茎を切り離してmuscle flapをfreeとした。下腿の軟部組織欠損部をカバーする。血管が縫合し易いようにsettingする。今日はマイクロの助手をさせてもらうことになった。術野まで遠くて深く態勢は悪い。出来るだけ視野を良く見えるようにアシストした。糸のcutもしたが、どれ程気に入ってくれたかは解らない。しかし、後半は自分で糸を切りだしていたのでまだ信頼はおかれていないのかも知れない。
18:40 動脈も静脈も結構縫合し辛い場所であり、assistは大変だった。Dr. Tuにしては時間がかかってしまったとのこと。動脈も静脈も追加縫合を1針ずつ行った。縫合部にはサージセルで保護していた。血流再開後良好な拍動あり。リークも見られない。ほぼ目的は終了した。
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あとは閉創だが、途中でMr.シーが他の手術室を見に行く(医者じゃないのに!?)ことになった。
19:20 閉創となる。途中中座はあったので遅くなったが、それでも4時間30分くらいである。日本ではこれでも十分に早い方である。恐るべし。これくらい出来るようになったら、格好いいだろうなと思うのであった。
19:50 地下の食堂が閉まってしまうかもしれないとのことで、手術室を後にして夕食にやってきた。幾つかの店は閉まりかけていたが、まだしっかり明るい店で台湾料理っぽい庶民の味をちょっとだけ食べた。
20:20 医局でちょこっとだけ仕事をする。医局にはDrは誰ひとりと残っていなかった。
20:40 ちょっと疲れてドミトリーに戻る。1週間始めの日から手術室に長く滞在していた。

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