2010/03/12 朝のプレゼンで思いがけず言葉に詰まる・・・2ヵ月間のこみ上げるものが。。。 [平日]

6:30 今日は早めにやってきた。するとエレベーターでDr.許とすれ違った。彼はだいたいこれ位の時間に来ているということだろう。慣れてしまえば大したことはない。
6:45 回診を始める。昨日は図書館にいたこともあり、教授とあまり顔を合わせることがなかった。ビジネスデーだから面会・会議・ペーパーワークなどを行っていたハズである。途中、教授にしつこく話を聞きたがる患者の家族がおり、ちょっと教授も迷惑そうにしていた。たまにこういう患者もいる。あまり無礼だったり、言ったことを守らないと、いつもは患者にも優しい教授も怒り出すことがある。そういう時は、Dr.許やMrsティンは冷や冷やして見守っている。モーニングカンファレンスがあるため、今日の回診も急ぎ足である。
7:15 朝のカンファが始まる。今日の担当はDr.干で脆弱性骨折いついての講義をされる、最後に10分程度時間をもらって、自分が最後のまとめとしてプレゼンさせてもらうことになっていた。Dr.干の講義内容は一般的な解説から最近の脊椎圧迫骨折の治療についても述べていた。昨日のvertebroplastyの手術件数は尋常ではなかった。文献的にはvertebroplastyの有用性は疑問視されているというのが一般的だと思われるが、この施設ではやたらと多くの症例になされているのが現状だ。
7:50 少し長めだったようだが、引き続きこのまま私の番となる(本当は感動巨編予定なので、Dr.干の質疑応答が終わってからさせて欲しかった・・)。
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始めのうちは音楽なしでスライド内容を喋っていく感じで進め、後半の思い出写真ギャラリーから音楽にのせて上映した。昨晩(今朝)の3時過ぎまでかかり調整した。Greeeenの「遥か」をエンディングにしたかったのだが、mp4ファイルで、しかもロックがかかってしまっていて、スライドにとり込むような形式に変換がどうしても出来なかった。wma.の形式の音楽の中から見つくろって探さねばならず、それを探すだけでも苦労した。それと音楽とスライドの写真が流れるタイミング。盛り上がるところで良い写真を持って行ったり、曲の長さに合わせてスライドの枚数を決めるという作業がなかなか大変だった。しかし、最後の作業だと思って頑張って仕上がった。そんな思いを詰めて調子よく進んでいった。皆の反応も上々で(意外とこの音楽の選曲も悪くなかったかともとか思ったりする)、みな固唾を飲んで!?スライドを見てくれていたのが解った。最後のフィナーレの辺りで、喋りたかったことが思わずこみ上げるものがあり、言葉に詰まってしまった。。。目頭からこの2ヶ月間の思い出と一緒に若干溢れ出るものがある。皆も少しどうした?という感じの雰囲気になっていたようだが、部屋を暗くしていたこともあり、こぼれ出して止まらなくなる前に自ら拭き上げて事なきを得た。
2010 Kaohsiung memories 最新 - コピー.jpg2010 Kaohsiung memories 最新 - コピー2.jpg 教授を始め、みな口を揃えて感動したと言ってくれたことで、全ての苦労が報われた気がした。今度またこの病院に戻って来て何か講演してくれないかという話しさえ頂く。しかし、良い思い出が出来て、今後もつながるだろう良い仲間が出来たことはこの上ない喜びである。 8:20 カンファ後に皆で記念撮影を行った。 IMG_5160.jpg 用事のあるものは急いで各場所に散って行ったが、専科看護師のMrs.ティンやMrs.チェンは残って何かしている。Mrs.ティンが今日のスライドに使っていた写真をUSBに入れて欲しいと言ってきた。彼女は毎朝病棟回診で一緒に回っていたので愛着がある。しかし、彼女は殆ど英語が話せないので始めは殆どコミュニケーションが取れなかったが、最後の方はお互い何となく意味を解するようになってきていた。英語が話せないから言葉をかけ辛かったのかも知れない。Dr.Tuを含めて記念撮影をしたりする。また、机を貸してくれていたDr.許とも一枚。 IMG_5165.jpgIMG_5162.jpg 8:40 手術室に予定を見に行ってみる。今日は骨科の手術が少ない。誰か出張でもしているのだろうか?Dr.楊やDr.高(二人いるうちの若い方:主に脊椎担当が多い)の手術がいくつか予定されている程度だった。教授が外来にfollow up症例が来たら呼んでくれるということだったので、暫くは医局や図書室で作業して待つことにしよう。 9:30 Crystalに確認して、荷物発送の準備なども合わせて行う。頼まれた写真のピックアップもしなければならない。この作業も結構大変なのだ。 10:30 頼まれた写真をコピーしたUSBを持って、2ヵ月程度お世話になった愛着ある病棟(骨科・救急創傷中心)に行ってみる。Mrsティン達や、病棟のスパイシーガールズ達とも記念撮影を行った。 IMG_5155.jpgIMG_5156.jpgIMG_5183.jpgIMG_5182.jpg 11:00 外来に呼ばれたので言ってみると、2ヵ月程前に行ったOBPIの5歳の男のに対するFFMTの症例が来ていた。高山族の家系でお母さんも本人も色黒で独特な顔貌をしている。この子は包交の時も泣かなかったし、今回も大人しく椅子に座って待っているイイ子なのだ。2ヵ月程度しか経過していないが、既に手指屈曲にmotionが出てきている。肋間神経を移行しているので、深呼吸をすると特に母指の動きが大きくみられるようになる。全く動かなかった指が回復の兆しを見せている。やはり子供だけに回復が早い。加えて神経縫合の技術の高さを裏付けている。デジカメ写真や動画をおさめて記念とする。この子も研修期間に渡ってfollow up出来た症例の1人なので思い入れが強いのだ。このまま回復してもっと使いやすい右手になることを切に願う。こういう症例が来たら適宜呼んでくれるのだ(しかしあまりにも忙しすぎたりするとそんな暇もないので呼ばれもしない・・・)。 12:30 今日は医局で比較的大人数でランチを取ることになった。フローラやLilly、Crystalと言ったお世話になった面々や、チーフレジデントのDr.許、一番下のスタッフDr.呉、骨科の飲み会やイベントの幹事を率先して行うDr.葉などが集まった。基本、中国語で喋られているけど何となく雰囲気で解る感じになっているが、自分では話しかけられないのは相変わらず。今日のランチはあんかけ風の牛肉(胡椒味が効いている)や水餃子など色々と取り揃えてあった。いつも思うが、この食事は誰が支払っているのだろうか?肝心なことを聞き忘れたままだった。 IMG_5171.jpg 13:30 お腹も膨らみ、午後から来ると言う宅配業者を医局で作業しながら待つことにする。5月下旬の外傷学会(千葉)の2つの演題のスライドcheckを行っておく。2つとも採用と言う通知が先週メールで届いたのである。ここにいる間に仕上げておいてしまいたい仕事の1つ。 15:30 結構、待っていてもなかなか宅配業社が現れない。Crystalもどこかに行って不在になっている。仕方ないので、待たずに机の前に置いておき、来たら処理してもらうように言づてておいた。あまり用事はないが、図書室にやってくる。少し睡魔が襲ってきたのだ(何しろ昨晩は3時間も寝ていないので)。人間、睡眠ってやはり重要だなと感じる。 16:00 Dr.SalimにPHSで連絡を取ってみる。今日昼ごろに地下でばったり会った際に、夕方頃からfree flapの症例が始まると言っていたのでどうなのか尋ねてみたのだ。まだ始まっていないとのこと。少し遅くなるようだと言っていた。 16:30 さすがにもう持って行ったろうと思い医局に戻ってみると案の定荷物がなくなっていたのでほっとする。お金はCrystalが払っておいてくれたようだ。朝方、3000NTDと5000円を渡しておいたのだが、不足していた模様。何でか良く分からないけど残り分払わずに済んでしまった(ちょっとラッキー?)。整形の医局費か教授に後で払ってもらうのかも知れない。 17:00 外来に呼ばれた。母趾への逆行性島状皮弁の患者がfollow upで受診しているようだ。行ってみると患者も覚えてくれていて、親切にも写真を取らせてくれたりする。暫く外来でうろうろしていると、BPIのfollow upや骨腫瘍術後の経過観察Xpなどを見せてもらったりする。処置患者は処置室に待機させたり、部屋を3つくらい使用して行ったり来たりして見ているのはいつもとそう変わらない。今日フローラは、子供が鼻血を出した?ということでいったん帰宅したらしいが、また20時頃に戻って来るのだそうだ(何で??)。今の時間で残り患者が40-50人いるらしいので、今日の終了時刻は21時を過ぎるのではないかと言っていた。 18:30 最後の外来見学だったので、暫くついていた(途中で看護師の1人が昼に余った焼き飯を分けてくれたので食べたりしていた)。 19:20 少し落ち着いて来たので、いったんドミトリーに帰ることにする。何かあればPHSで連絡を取ってもらうことにした。昨晩、睡眠時間が短かったのでちょっと疲れも出て来たのだった。

2010/03/10 ラストが近づいてきた感じがする。。。 [平日]

7:10 今日は教授が少し遅れてやって来た。回診が始まる。昨日数えてみると回診だけでもう50回程度回っていることになる。しかし患者の入れ替わりが早いので相当数の患者・家族の顔を見て来たと思う。また今日も手術が13件予定されている。今日は何故か3つの部屋を使って手術することになっている。また忙しそうな予感がする。
8:00 手術室で朝食をとる。このスタイルも今では違和感なく受け入れられるようになっている。
8:30 朝からトラブル発生だ。教授の部屋の1つRoom7の入口で比較的大量の水漏れが発生していた。入り口はてんやわんやになっている。今日1日その部屋は使えないことになってしまった。そうなるとさあ大変だ。教授の機嫌が一気に最悪モードになってしまった。目いっぱい手術を入れているのだから。。。手術室の看護師長らしき人もその対応にかなり困っているようだ。そうは言っても他の手術はもう準備されつつあるので、出来る範囲で始めていかねばならない。Room12では足部の疼痛に対する舟状骨(有痛性外脛骨)の切除+腱鞘切開・形成、dennervationであった。準備してスタンバッている手術室に、明らかに機嫌の悪くなった教授が入ってきた。一同びくびくしているのが見て取れる。自分も当然言葉はかけ辛い。外からの見学にした。しかし、そんな状況でもしっかりと自分に対しては、手術のコンセプトの説明や解剖について細かく教えてくれるのは偉いと思う。他のスタッフも私がいて緩衝剤になってくれていて助かっていたかも知れない。所見は、後脛骨筋腱が明らかに舟状骨付着部で膨隆し非常にtightになっていたのに加え、近くを走行する皮神経が刺激を受けているようだった。この膨隆と皮神経を切除して後、核出するように温存した後脛骨筋腱を再縫合して終了となった。時間としては30分もかかっていなかったかも知れないが、いつもより時間が長く感じたのは教授のtemperのせいだろう。
10:00 Room3で脊椎後方固定、Room12でrevision THAが始まる。今の教授の気分を考えて、Dr.許が行うTHAの方にいることにした。展開と抜去の途中まで見学しソファで休むことにする。このTHAの症例も人工骨頭置換を8ヵ月前に受けたばかりなのだが、疼痛があるのでTHAにしてしまうのだそうだ。展開を理解したし、適応に疑問があるのでそれ以上細かく見なかった。
12:20 朝食で皮蛋などを食べたせいもあり、あまりお腹が空かない。昼は抜くことにする(おそらくコーヒーブレイクで菓子パンが出るだろうから)。Dr.Salimにすれ違い、今から形成外科で下腿の潰瘍性軟部組織欠損のfree flapの手術が始まると教えてもらったので一緒に向かってみる。下腿遠位1/3部に卵大の皮膚歇損と周囲皮膚組織の変色を伴った症例が準備されていた。デブリドマンを行ってレシピエント血管を同定した後、ALT flapでカバーする予定だそうだ。しかしALT flapの症例がやたらと多い。これだけ毎日のようにあれば看護師もルーチン手術だと思っているだろう。始めに下腿の展開から始まってしまったので面白くなかった。Dr.Salimがしていたが、解剖に関しての理解はもう少しなのか?(外野からは適当なことが言えるかも知れないけど・・・)とか思う。少し見ては他の部屋を見たりと落ち着きなく過ごした。
13:20 Room25(Room7が使えなくなった代わり)で、肘部管症候群の筋層 下前方移行術が始まる。教授の機嫌も午後になり少しは落ち着いているようだったが、やはりいつもとは違った。前回も見た手技だったが、今日は少し筋層 下の移行と皮弁での神経の保護・固定にアレンジを加えていた。前方に移行した尺骨神経が脱臼しないよう、軟部組織でカバーする際に、その組織をZ plasty様に細工してlooseにカバーするやり方を示してくれた。今日のような症例には有用な手技と思われた。まだ教授の調子が悪く、看護師たちもピリピリしている。教授が手を下ろして、部屋の外に出て行くや一同が安堵の表情を浮かべるのを見ると、相当緊張していたんだろうなと改めて解った。ちょっと気の緩んだ看護師たちを撮影。
IMG_5143.jpgIMG_5147.jpg 14:30 Room3で教授自らがTKAをする。外から見学した。手技はルーチンでためらいなく30分で手を下してしまった。これくらいの手術時間だと外からの見学も苦にならない。 15:05 コーヒータイムになり、教授がいつもの調子に戻ってきた。みんなで記念撮影したりしてほのぼのと過ごすことができる。やはりリラックスすることは重要であると思うのであった。。 15:20 再びRoom25に戻り、BPIのneurotizationになる。この症例は全型BPIでthree nerveの移行を予定していたが、最近2度目の交通事故(片手が全く動かないのにまたバイクに乗って事故した!)をしてしまい、教授が急遽術式を変更した症例だ。おそらく知的レベルが低いのだろうということで、今回はSA→SSP 1か所のneurotizationだけを行うのだそうだ。賢い選択かも知れない。熱心に解剖をメモする看護師さんに感心。 IMG_4355.jpg 15:40 SA(副神経)の同定に若干手間取るも、手早くそれぞれの神経を露出・同定させる。腕神経叢の位置はomohyoidがメルクマールになるので解り易いが、SA神経の位置は少し深いので解りづらく経験が必要と思われる。通常は電気刺激を与えて筋肉の収縮を見ながら展開を進めていくのであるが、それでもある程度のランドマークは必要である。神経の近くには脂肪組織が存在していること、たいがい静脈の近くに位置すること、知覚神経・運動神経があることなどを解説してくれる。本日の症例は僧帽筋に向かう分枝が二つに分かれていることを確認する。両方を電気刺激してみてどちらも反応があることを確認(神経縫合に必要な長さ分を得るために長い方の枝をcut、もう1つの分枝は温存できた:こちらの方が収縮の力は強かった)。従って、hyper selectiveなneurotizationを行った訳である。すなわち、副神経の機能を半分温存できつつ、Ssp(肩甲上神経)へ移行できたことになるのだ。術後の肩関節機能の回復がより増強出来得ることを示唆する。この手技はテクニカルデマンドであり、多くの症例を経験しなければなし得ない技であると考えられる。教授がDr.Zenkeも日本に帰ったらBPIのspecialistになれるだろうと言うのだが、本人は殆どその気がない。日本ではこのような症例に殆どお目にかかれないからだ。 16:00 最後にこの部屋でも手術に入ったメンバー達で記念撮影をした。機嫌の良くなっている教授はRoom3で準備されているTKAと颯爽と向かっていった。 IMG_5141.jpg 16:40 このTKAも35分程度でもう手を下してしまっていた。自分は時折、形成外科の進行具合を見に行ったりしていたので全ては見学していない。流れはだいたい理解できたし。 IMG_5154.jpg 17:30 少し時間が空いて、本日最後の大腿部脚延長後の骨移植+プレート固定が予定されている。3cm程度の脚延長を片側型(AO創外固定)で行い(1mm/日で延長)、Xp上何となく化骨様陰影が見えてきたかなという症例だ。手術は、左下側臥位で大腿部をばっさり外側から展開して仮骨延長部を露出(骨膜を覆うsoft calsが見られgapはなく連続していた)する。片側しか骨膜を展開しないのがポイントである。血流を温存させるため。Soft calsを切開すると、内部はまだ空洞になっていた(延長のスピードが速すぎなのでは?と疑問にも思った)。ここには海綿骨+人工骨を充填するそうだ。同側の腸骨からは前医の手術で既に採骨されてしまっているため、大腿骨転子部から採取することになった。同体位で簡単に取れるからだろうが、骨の量や術後の骨折の危険性に多少の不安は否めない。腸骨後方からという手もあったかも知れないがドレーピング的には採取し辛いだろう。同部より骨髄液も採取し一緒にまぶして移植骨の完成だ。切開したSoft cals部分から内部に充填していく。量的にはちょうど良かった感じ。 18:10 後はconventional plateを2枚あてて(近位・遠位3穴ずつ:径12本のscrewで24 cortexで固定)非常にrigitとなった。Plating techniqueはscrew sizingも含めて非常にspeedyだった。当然気動式ドリルを使用する。 18:40 長く多少気が重かった一日も最後は良い雰囲気で終了した。この部屋でも記念撮影を行っておいた。まだ土曜日に最後の手術があるのだが、金曜の朝のプレゼンで何枚か使いたかったのだ。しかし、そんな雰囲気を一気に壊す情報が、Mrs.ティンから寄せられる。どうやらここのレジデントがドミトリーから飛び降りしてしまったとのことである。。。何となく周りがそわそわしていた。教授も電話口で急に大声をあげていた。顔は知らないけど、レジデントって限られるから、会ったことがあったのかも知れないと思う。台湾でも日本と同じようなことがあるんだなと改めて思ってしまう。 19:00 レジデントへの帰り道は、いつもと違って警備員が多く、テレビ局の車まで止まっている。何となくまだ騒がしい感じだ。立ち入り禁止地区を見ると、自分のドミトリーと同じ側のベランダから落ちたようである。。。。確かに11階のベランダから下を見ると、落ちたら怖いな~とか思っていたから。。。。ちょっと哀しくなり部屋で休んだのだった。

2010/03/09 日中はゆったりし夕方から形成外科手術の見学開始 [平日]

6:45 回診を始める。今日は教授の方がタッチの差で早かった。たまにはその方が教授も気が楽かも知れない。昨日の手術患者を中心に見て回ったが、カンファがある日なので何となく慌ただしく過ぎて行く。時折、耳に付くフレーズがあり、Dr.許に聞くのだが、こちらの発音がうまく伝わらないのと、会話の一部だけ切り取って聞くものだからなかなか通じてくれない。でも、良く使っている単語は何となく解るようになってきているから不思議である。やはり何でもそうだと思うが、繰り返し使うということが一番良い方法なのかも知れない。
7:15 朝のカンファレンスが始まる。今日はファイザーの製品説明だ。プレゼンする男性はスーツできっちりしているのだが、ネクタイが派手で何となく浮いている。ネクタイって結構目立つアイテムなのだと思う。内容はあまり興味を引くものではなく、朝食をゆっくりとらせてもらっただけという感じだった。
8:30 食べきれなかったサンドウィッチは昼に回すことにして、今日の手術予定を手術室に見に行くことにする。ドイツの時は、翌日の手術予定を表にして前日のカンファで配ってくれてたから良く把握できたのだが、ここではいちいち手術室までいかないと解らないのだ。症例が多いのとカンファがないせいである。今日はDr.馬やDr.高の手術日だが、朝イチはno careで良さそうだ。10時過ぎにまたやって来ようと思い、いったん医局に戻った。
9:00 医局で、過去の日記や回診の一覧表を見ながら、こちらで経験した手術の統計をとることにした。今週金曜の朝のカンファで簡単なプレゼンをすることにしたので、その発表の下準備である。せっかくだから、何となく印象に残るようなプレゼンにしたいと思っている。お世話になった印として、ここは少し気合い入れてみましょうか?
10:30 集計途中であるが、手術室に様子を伺いに行ってみる。Dr.馬が尺骨短縮骨切り術を行うらしい。Xp的にはそれ程尺骨プラスバリアントでもないし、左右差も殆どない。徒手的評価もさせてもらったが、DRUJの不安定性はほぼ左右差なしと言って良い。適応に???が付く症例なのだが、今から議論しても仕方ないので、黙って手技を見ることにした。骨切りはアバウトでbone sawを使って2mm程は短縮されているものと思われる。しっかり圧迫はかかり固定性も悪くないと思うが、骨切り後のDRUJの不適合性や不安定性に関する評価もなく終わってしまう。スタッフには責任を持たせて何でもさせるという教授の方針は、よほど能力のある人間には良いのかも知れないが、通常は全てがうまく行くとは思いづらい。エラー症例の確率が、ある程度専門を絞ってさせるよりも高い気がしてならないのだ。当の本人にとっては良い経験になるかも知れないが、患者にとっては中途半端な治療をされる恐れもあり、ちょと考えさせられる。
11:40 手術室の休憩所で朝のサンドウィッチを食べて昼食とした。午後の良い時間にまた戻ってくることにする。
12:30 医局で作業を続ける。たいがいこの時間は秘書さんたちやプロパーなど(何でいつもここにいるのか不思議でならない)が集まって食事をしている。すれ違えば挨拶はするが、あまり話すネタもないので、たいがいは机で黙々と仕事をしていることが多い。統計作業は地道で結構面倒な作業だということを改めて思い知る。こうなることは予測出来ていたのだから、始めからしておけば良かったなと少し後悔する。
14:00 院内をぶらついていると、時折グリーンのハッピのような物を来た人たちがいる。志願服務隊と書かれているので、ボランティアサービスチームの人達なのだろう。若い女性(高校生?)から年配の方までいる。
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14:20 手術室に再び戻って来る。ちなみに別棟の3Fにある医局から、別棟の3Fにある手術室へは同じ3Fだから近いようだが、直接3Fではつながっておらず、1・2・5階(病院の方は3階の上は4階がなくて5階になっている)のみ行き来出来るようになっている。2階上がって、図書室のある5Fを通っていくか、いったん下がって、再び3Fを目指すかである。いずれにしても階段を使ってゆっくり歩いて3-4分はかかるかも知れない。まあまあ良い運動になっている。手術の方は、Dr.呉が高齢女性の大腿骨頚部骨折の人工骨頭(Moore)を行っていた。ここのやり方の前方アプローチでしていた。少しだけ見て外に出る。他は大した手術をしていない。本当はこの時間に脛骨plateau関節内骨折のORIFが始まる予定だったのだが、少し変更になっていた模様。時間的に無駄が出来てしまった。
15:00 Dr.SalimにPHSで連絡して、今日の形成外科の予定を聞いておく。夕方からflapの症例があるそうだ。どの部屋かなと目星を付けておいていったん手術室を後にする。
15:30 たまにはリハビリ室に出向いてみようと思い立ち向かってみる。骨科外来の隣にある復健科(リハビリ)では、PT・OTと物理療法、言語療法、小児の集団治療?などが結構精力的に行われている。患者の数も多い。ライトグリーンの上着を来ているのがPT・OTなどのスタッフで白衣に医師名が書いてある人達がドクター(長い白衣はスタッフ、背広タイプがレジデントと別れている)である。始めは解らなかったがそれに加えて、リハビリ学科の学生達がかなり多くの人数参加している。隣の義守大學には看護学科や理学療法科などがあるため、病院実習をしているのだろう。しかし日本の研修なんかよりもより実践的に患者の治療にあたらせている(マンパワー的に助かっているのか?とも思えた)印象を受けた。更には、患者の家族の付き添いも結構来ていて、家族にやり方を教えてある程度のリハビリを家族にさせたりしているのだ。これは退院後自宅で行わせる場合には、実に有用な方法であると考えられる。患者や家族のモチベーションを高める工夫をしていかねばならない。特に手の外科分野は手術だけではなく、術後のリハビリが重要なのは言うまでもないのだが、家族を積極的に介入させる手法は症例を選んで行えるかもしれないと思ったりもする。この場所でも家族の絆の強さというものを肌で感じた。
16:00 再度医局に舞い戻る。秘書さん達はどこをウロウロしているのだろうか?と訝しがっていないだろうか?教授の外来日はフリーだから何しようが構わないのだ。かといって外来見学をずっとするのは無意味だし耐えられない(無論、教授も来ないでいいと言っているし)。
17:00 手術室に行ってみる。形成外科のflapの手術はまだ始まらないようだ。2例並行で行われているのだが、他科の手術の進行状況や手術に入るドクターの都合で手術が途中でストップしたりすることが多い。現に1つの方は大方、ALT flapのharvestingが終わっているのだが、下顎周囲レシピエント側が進んでおらずストップしたままだ。
17:30 Dr. Salimとソファでまた話しをする。彼は時々PHSでアラビア語を喋っているから奥さんと連絡を取り合ったりもしているのだろう。また彼にとって漢字の表記はさっぱり解らないらしく、それぞれの字はどのように見えているのか聞いてみると、全てブロックに見えて(日本人がハングルを見た時に感じる感覚に近いのかも)しまうのだそうだ。自分もアラビア文字をみたら、蛇がいっぱい這っているようだと話すと偉いウケていた。文化の違いを感じるひと時だ。
18:30 ようやくALTのharvestingが始まる。執刀はおそらくレジデントと思われるドクターとSalimが入っている。形成外科はレジデントの数も多いし、手術も結構やっている印象だ。こちらも症例が多いから、若い彼らにもチャンスが多いのだろう。日本で皮弁の採取を研修医がするなんてことは到底考えにくい状況だと思う。皮膚に向かう穿通枝3本をマーキングし中央から展開し、大腿直筋と外側広筋の筋間を剥離していく。穿通枝はそれぞれ3本とも外側広筋の筋間を貫いていたので、始めは手こずっていた。結局は遠位の2本はmuscleを皮弁につけたまま穿通枝を含めて採取することになる。このflapはかなり長い血管茎を採取できるのが特徴であり、頭頸部がんの再建の際に非常に有用なflapと思われる。下腿軟部組織再建でもこれだけ血管茎が長ければ、血管が長い距離で閉塞していても正常部分まで血管を同定していけばつなげられるかも知れない(香川での反省症例を思い出す・・・)。
20:00 一通り見させてもらった。吻合の方は時間も遅いし興味もないのでお礼を言って部屋を後にする。自分で手術だけしたいのであれば、ここの形成外科の方が執刀のチャンスはあったかも知れないが、特に残念とも思っていない。症例数は少ないが、手技的にはDr.Tuのやり方を見ておいた方がはるかに勉強になると思っている(現時点では)。もっと上手になったら今度は自分でやりたいと思う。
20:30 セブンイレブンで食料を買ってドミトリーに戻る。今日は3月9日だった。そう言えばレミオロメンの歌でそんなのがあって、この時期になると流れていたな~とか思いつつ夜空を眺め帰路についた。
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2010/03/08 ラストウィーク始まる。ようやく舟状骨VBGの症例を経験。 [平日]

6:55 回診を始める。教授は昨日の夜に中国本土の杭州という都市から帰ってきたばかりだ。土日だけで帰ってきている。まさに休む暇なしで動き続けている。付き合い始め当初は本当に凄いな~とばかり思っていたが、下のドクターがそのスタイルに馴染んでいないことも考えると、やはりやり過ぎなのかも知れないなと最近は思うようになっている。
7:20 先週末までにかなりの患者が退院しており、その代わりに本日手術予定の13人が入院してきていた。本当に入れ替わりが激しいのである。全てのサマリーや指示などを医者が全てしていたら幾ら時間があっても足りない。専科看護師や看護師がその辺りはしっかりサポートしてくれている。レジデントでさえも、あまり病棟で指示出しに追われていたりする姿は見ない(当然しているとは思うが、日本の奴隷同様の大学研修医に比べればはるかに医者としての仕事に専念できているように思う)。日本の医者は人が良すぎるというか、馬鹿正直なのだろうか?
7:50 手術室前でFloraが朝食を持って待っていた。いつものハンバーガー+少し変わったミルクティーを食べながら教授と過ごす。やはり話題は週末のこととなり、ある程度Floraに聞いて知っているとは思いつつも、詳細に報告しておいた。教授も香港経由で杭州まで1泊2日の強行スケジュールで行って来たと話してくれた。
8:30 1例目の脊椎手術は少し特殊な症例だったので入らせてもらった。60代の女性のL2破裂骨折の症例に対し、除圧+後方固定を行うとのこと。その際にL2椎弓を通して圧壊した椎体内にケージを詰め込むというのだ。報告はあるらしいが、あまり一般的な方法ではないと思われる。除圧に対しては通常の様にリュエルやケリソンで素早く椎弓切除を行い、前方から張り出している骨片も切除する。硬膜管自体は充分に膨隆し除圧は終了。続けてpedicle screwを先に設置(両側L1とL3の4本)しておいた後、右のL2椎弓根に孔を開け、徐々に拡大していく。この際、L2椎体は圧迫されて扁平化してしまっているため、椎弓を通し椎体内に刺入する報告に際してはimage側面を何度も確認していた。やはりポイントは刺入ポイント・方向が決まったら、小鋭匙で感覚を確かめながら徐々に椎弓根内にズブズブと刺入していくことだと思われる。更にこの孔を先の鈍な箱ノミで拡大していく。9mmのケージ(骨は充填していなかった)を椎体内に1つと、椎弓根骨折を予防するためということで更に1つ充填していた。始めてみるテクニックにただ感心するばかりである。このような手技は脊椎を専門にする人達の間では一般的なのだろうか?
10:00 何だかんだでも1時間20分程度しかかからなかったのだから手慣れたものである。しかし、今日はいつものメンバーではなく(Mr.レイが実父の死去で忌引き、いつもの手洗いナースも休みだった)、少しぎくしゃくした感じは終始見られた。
10:30 次の脊椎は通常のものらしいので、いったん手術室を後にさせてもらい、私の第2の仕事場でもある図書室に向かう。幾つか読んでおきたかった文献があったのと、少し休みたかったのである。奥の方なら机で寝ていても殆ど誰にも気が付かれないのである。
12:30 予定より戻る時間が遅くなってしまい、皆の昼休憩時間から外れてしまったようだ。仕方なく一人でランチを食べる。教授達はもう3例目の脊椎手術を始めたばかりのようだった。入りそびれてしまったが仕方ない。次の症例(脊椎再手術の難しい症例)に入ることにした。裏では、Dr.許がいつもの如く、TKAをもくもくとこなしている(3例目)。このようにルーチンワークで流れ作業的にやると時間は早いだろうが、手術自体は面白みもないと思う。その個々の症例に合わせた詳細な評価が欠落しているからだ。再手術の症例にしても、何でこの症例が術後数年足らずで再手術に至ってしまったのか?を検討することがないのである。ここら辺が大きな問題だろう。日本のように超高齢化社会が進んでしまうと、嫌でも長期成績まで考えざるを得ないだろうから。ここのドクター達もいずれはそのようなことに気付いていくのであろうか?
13:00 医局に戻り、手術記録の整理などを行う。今週金曜日の朝のカンファレンスでは簡単にお礼の挨拶などがあるはずなので、ある程度準備をしておこうかと考える。
14:10 脊椎3例目も終わった頃だろうと思い、手術室を訪れる。TKAの予定症例が熱発のため中止となったこともあり、脊椎が2列並行で行われることになった。誰か影武者が現れるのだろう。14:30 教授の予定手術の脊椎に参加させてもらう。この症例は、Dr.干の術後患者(何でDr.Tuがfollowしているのかは不明)で術後1年以上経過しても症状が取れないということで再手術に至った症例だった。L2・3・4・S1の両側にpedicle screwが刺入され、PLIFも行われている。S1のscrewのルースニングとL4/5/Sでの不安定性が画像で確認されていた。術前評価としてはその周囲のrootの炎症症状と不安定性による腰痛と診断している。
15:30 椎弓切除をしてしまっており棘突起ごとないため、電気メスでの展開は慎重にならざるを得ないのだが、実に豪快に進んでいく。経験に裏打ちされた技術があるのだろう。基本は正常な部分から攻めて行くということだろうか?怖いのは正中の硬膜管周囲である。まずはインプラントを全て露出させる。全体的にscrewの突出もありbulkyな印象で腰背部痛の1つの原因かも知れなかった。しかし、S1のpedicle screwは両側とも手で簡単に抜けてしまうくらいルースニングを来していた。前回刺入していないL5(個人的には、前回手術で1つ抜かして固定するのであれば、L3かL4に入れずにL5に入れておけば良かったのにと思っていた)の刺入口を探すのが困難で、何度もimageで刺入位置と方向を確認していた。メルクマールがないため、非常に解りづらいのだ。百戦錬磨の教授にしてもかなり手こずっていた。素人が下手に手を出すと偉い目に遭うかも知れない、そんな症例だろう。
16:00 結局はL2・4・5・Sの両側にpedicle screwを全て入れ直しバーも新しい物に変えた。クロスリンクはL2/3付近に設置した。脊椎の固定に関しては、このようなfailed backの症例に対しては非常に効果があるかも知れないが、若年者のprimaryで不安定性の強くない症例に対して施行するのは個人的には反対である。時々そのような症例を見かけた。Facetの温存という概念がないのである。これだけ脊椎症例をしていて、固定のない症例を殆ど見かけないということ自体が異常だと思われるのだ。
16:30 教授も疲れが見られていたため、コーヒーブレイクにてrefreshすることになる。Floraの気分でその日の食べ物が決まるようだ。今日はいつもと同様のパン類とコーヒーカプチーノだった。さて、これから期待の舟状骨偽関節に対する血管柄付き骨移植術の症例が始まる。今日は写真とともにビデオ撮影も行う積りでいたので、SDカードのメモリを最大限使用できるように今まで撮りためた写真データをハードディスクやUSBメモリに移し替えておいた。
17:30 手術室内でハリーコールがあったりして、麻酔導入に手間取ったりしていたので開始が遅れてしまった。並列で教授の最後の手術である局所麻酔下の手根管症候群のセッティングも進んでいた。デザインから写真に収めていく。教授は皮膚上へのデザインがとても上手だ。
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しっかりと内部の解剖が頭に入っていないと、マーキングも上手に書けないものである。そのような境地に早く辿り着きたい。逐一カメラに収めていく。しかし、肝心の手技の方が記録を残すことに必死でなかなか臨場感を持って得られない。時折、ビデオを止めてじっと近づいたり(ちょっと教授としてはやりにくかったかも知れない)。
18:00 途中で手根管の方に行ってしまい中断となる。手術は、橈骨神経浅枝を同定した後、伸筋支帯上に見える血管を確認(駆血は250mmHgで締めるだけ)。1-2コンパートメント上の1,2ICSRAと2-3コンパートメント上の2,3ICSRAを同定。通常は2,3の方が確実で血管茎も長いのでこちらを用いた方がやり易いと言っていた。リスター結節を触れて、EPLの走行を確認した上で、伸筋支帯を含めてpedicleごと必要なblock分の橈骨遠位端部をスピッツメスで切り取る。採取するPedicleの幅は充分に広い方が安全である。解剖的にはそれ程難しくはないと思われる。慣れたら30分程度で採取は充分に行えそうだ。
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18:30 待っている間は、Mr.シーとDr.呂などとカラオケの話など、くだらない話をして過ごす。教授がいないスキに、局所の解剖を手にとってしっかり観察しておく。
19:00 舟状骨側の処置に移る。若干皮切を遠位に伸ばして(EPLとECRBの交点のあたりが、R-C jointのscaphoid fossa付近だった)、これら腱をretractして背側関節包を露出。舟状骨周囲には滑膜増生が認められた。これらを切除して舟状骨を露出していく。偽関節と思われる部分(Dr.Tuはここが不安定性があると示すが、実際そうは見えなかった)を削っていく(後でimage checkすると偽関節部よりやや近位だったよう)。また、骨棘を手関節背屈・橈屈時にimpingementされないように切除していく。この部分は僅かにOA性の変化が見られる。採取したblock状のvascularized boneをはめ込むように、偽関節部をエアトームで掘削する。しっかりはめ込めるように細工しておくことがポイントだ。続けて、ECRB・EPLの下にpedicleを通して(この際に手関節を背屈位にしておく方が腱の緊張が取れてunderneathに入れ易い)細工した舟状骨背側部にvascularized boneを移行する。何度か形を調整してぴったりとはまり込むように細工した後、AO 1.5mm mini screw 2本(近位側、遠位側にそれぞれ向かって刺入)した。この際に、vascularized boneに付着しているpedicleを痛めそうな感じなのだが、pedicleのない部分を作成して慎重にscrewを固定する(決して締めすぎない)。移植骨の固定性はこの2本だけでもよさそうだったが、imageで動かしながら確認すると、まだ偽関節部に動きがみられるのを確認してしまう。
19:30 掌側から小皮切で遠位から近位に向かってガイドピンを刺入(一発でほぼ良好な位置に刺入してしまった!!)。舟状骨の形が頭に入っているからこそできる手技である。この一発には恐れ入りました。これで偽関節の位置が若干ずれていたことは多めに見ないといけませんね。AO 3.0mm cannulated screwを刺入して圧迫をかける。長さもほぼ良好なようだ。このscrewはheadlessではないため、少し埋め込み気味に刺入した方が良さそうだった。
20:00 一番興味のあった手術がこのようにして終了となった。今回の症例は偽関節といってもそれ程重症ではなく(DISI変形も僅か)、骨質も悪くなかったので大変ではなかったが、中には骨がスカスカでhump back deformityを呈している症例も多い。そのような場合には背側からだけのアプローチでは難しいと思われる。掌側にこのvasculalized boneを回して固定するという報告も中には見られるが、pedicleが短いとなかなか難しいかも知れないが出来ないことはないかも知れない。教授は掌側からは別に移植骨で楔型にブロック状に移植して更に背側もすることもあるとか言っていた。症例に合わせて色々と検討していかねばならないと思われた。
20:15 今日は教授に夕食は誘われなかった。おそらく週末は出張で留守だったので久しぶりに自宅に帰るのか何か予定があるのかも知れない。フードコートに遅れたが向かってみるとまだぎりぎり営業していたのでほっとする。
21:00 帰って今日のビデオの整理でもするか。少しだけ疲れた感じだが体調は依然好調である。

2010/03/05 台湾にて始めてカラオケボックスに行く。。 [平日]

6:30 早めに病院に訪れた。Mrs.ティンはいつも早い。教授付きの専科看護師である。時間外労働もかなりに上るようだ。毎月教授がポケットマネーで報酬を与えていることもあり、文句も言わず(少なくとも表面上は・・・)働いている。
6:45 Dr.許と回診を始める。朝のカンファがあるので先に回っておこうということになる。特に大きな変わりもないようだ。
7:05 教授が現れて周り始めるが、そろそろカンファに行かなければならない我々は途中で別れる。
7:15 今日は、Dr.顔がプレゼンをする。いつも進行役のDr.干は現れていない。たいがい飲み会の次の日は来ないことが多い。No.2のポジションにありながら何となく許せない気がする。朝食をつまみながらプレゼンに耳を傾ける。時々、英語にしてくれながら話してくれるが、看護師や技術員もいるので基本中国語なのだ。
7:40 内容は他院で行われた人工肘関節置換術後のインプラント破損症例を呈示し、問題点などを話していた。途中から参加してきたDr.Tuも色々とコメントを加えている。相変わらず、どの分野にも適確なコメントができる。私にもコメントを求めてくる。日本にはKudo elbowという世界に先駆けて開発されたnon constrained typeの人工肘関節があるが、それとの違いや問題点について話すことができた。教授もまさにその点を強調したかったようで、両者の思惑が一致して良かった。プレゼンでは、もう少し機種の歴史的背景などについて述べた方が良いなどと締めくくっていた。
8:15 カンファレンス終了後教授に呼ばれた。昨日、銀行で日本円に両替してくれた給料を持ってきてくれた。2・3月分まとめて支払ってくれる。こちらでは住居費はかかっていないし、食費もそれ程かかっていないので生活費はあまり減っていない。少しでも足しになるので有難い。今回は台湾・日本の2往復だったが、飛行機・新幹線移動費・タクシー代もろもろの出費はそれだけで十分賄えたと思われる。
8:45 手術室に手術内容を確認しに行く。Dr.馬も顔も午前中は人工関節などが中心であまり面白くはなさそうだ。形成外科のfree flapがあるようだが、開始時間が良く分からない。取り敢えず着替えて中には入ってみよう。
9:00 形成外科の手術はなかなか予測が立てにくい。たいがいデブリや腫瘍の摘出後にflapを採取し始めるからだ。まだまだ時間がかかりそうだったので、ソファでゆっくりする。昨日の地震について書かれている新聞が置いてあった。あまり読めもしないが記事などを眺めている。
10:00 ふらふらするが、手持無沙汰である。外出用の術衣に着替えて行きつけの図書室へ。係りの人は良く来るな~とか思っているだろう。きっと。
11:00 医局に戻ると秘書さんが昼食を何か頼みましょうか?と聞いてきてくれる。牛肉麺をここで食べることになった。暫くデスクワークを行おう。
12:30 Dr.葉や秘書さん達がビニールに入った牛肉麺のスープをカップにうつした上でこれまたビニールに入った麺を入れて準備している。麺が伸びないように考えているのだ。フルーツやチャーシューなども振舞われている。しかし、ここの秘書さんたちの仕事は正直言って楽そうだ。それ程大変な仕事をしているようには思えない。おしゃべりも多いし。
13:10 手術室に様子を伺いに行ってみる。Dr.馬は脊椎後方固定をMr.シーとしている。他ではDr.顔が今から腱板損傷(massive tear)に対してopen repairを始めようと準備していた。時間もあるので手洗いさせてもらうことにした。
14:00 棘上筋腱はかなり近位に退縮してしまっている。Biceps tendonを確認して断裂した棘上筋のfreshなtendn にしっかりとエチボンドをかけておく。これら組織をそれぞれ(棘上・棘下筋腱)を周囲組織より剥離しておく。このステップはいつでも重要だ。またsubacromial spaceが狭く、骨膨隆もあるため、これらを切除する。前方の腱板組織は疎であり、組織自体の強度はそれ程強くなさそうだ。エチボンドで腱同士を縫着するように(大結節付着部側は組織が残存していた)縫合して終了となる。手技的にはダイナミックというか少し荒い感じであった。
15:00 Dr.Salimに遭遇する。形成外科は今日もflap症例があるようだ。ALTとradialforarm flapが準備されているようだったが、タイミングがあまり良くないようだ。暫く、ソファルームで2人してダベッて過ごす。彼も比較的時間が空いてしまうようで暇な時はここで休憩していることが多い。形成外科は急患や夜遅くなることも多々あるので、休息は重要なのかも知れない。
15:40 Dr.馬の舟状骨骨折の症例だが、事前情報では血管柄付き骨移植を行うという話だったので期待していたのだが、普通に小切開での骨接合に変更されていた。理由ははっきりしないが(画像的には骨硬化があるようにも見える。しかし単純X線APしかないので判断しづらい)、時間的制約もあるのかも知れない。より簡便な方法で終わらせてしまっているような気がする。でも、Dr.馬たちとも記念撮影を行ったりしておく。
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16:10 裏ではDr.呂がもう一人のレジデントDr.楊(外科にて研修中)と2人で大腿骨転子部骨折のORIFをしている。まだ慣れていなそうだった。
16:30 Dr.Salimはソファで寝ているしすることもないので、医局に戻って日記を付けることにした。今晩はDr.馬が食事に誘ってくれていた。
17:00 いったんドミトリーに荷物を置きに帰る。メールcheckなどしておく。無事JOTへの投稿が完了しているようだ。1つはクリアできたのでほっとする。後は日本で発表する予定にしている学会の準備を今のうちにしておくことと、もう1つの論文を出来るだけ仕上げておくことだ。
17:40 外来に顔を出す。教授は忙しそうだったが、Dr.許は暇そうだった。ここの骨科はトップの教授が忙しい以外はそれ程大変ではないように思う。レジデントが忙しいのは当然なのだから。Floraの顔は見当たらない。色々とくどいLillyが今日はいないようでほっとする。彼女は彼氏がいないそうだが、理由は解る気がする。
18:20 医局で暫くDr.馬を待っているがなかなか現れないので、PHSに連絡してみる。まだ手術室にいた。最後の抜釘の手術が麻酔の関係で長引いてしまいまだ終わっていないのだそうだ。医局のPCをいじったりして暫く待つことにする。
19:00 病院ロビーで待ち合わせして、Dr.馬の車(ベンツのSクラス)で街に向かう。今日は海鮮料理(特にエビなど)の店に連れていってくれるそうだ。Mr.シーも呼んでいるとのこと。時々Dr.たちはMr.シーを招待して日頃の労をねぎらっているようだ。できるだけ彼を自分の仲間にしておきたいという思いがあるのだろう。
20:00 昨日、骨科晩餐会の開かれた場所からそれ程離れていない所にそのレストランはあった。少し遅れつつも色々とメニューが運ばれてくる。遅れて、Op室Nsがやってくる。何となく雰囲気よりMr.シーの彼女のような関係だと思われた。前回も彼女がやってきたし。
21:00 かなり満腹になる。特にニンニク味のエビは絶品だった。そのスープをご飯にかけて食べるとまた美味しいのだ。しかし味は全体的に濃い目かも知れない。
21:30 途中、Mr.シーが誰やらに電話をして連絡を取り合っていたが、これからDr.許などがいるというカラオケボックスに行こうということになった。そこではOp室Nsやテクニシャン、レジデント達がいるのだそうだ。台湾のカラオケ事情というのも気になっていたので参加させてもらうことにする。そのレストランから歩いて向かっていると、途中プロパーの男性が我々を送りに来てくれる。一緒に目指すカラオケボックスに行った。
21:50 日本のそれとあまり雰囲気は変わらない感じで、当然、中国語の歌(字幕も漢字ばかり)を熱唱している。若者が多いだけにノリノリの歌が多かった。どこもカラオケというものはストレス発散の場になっているようだ。
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22:00 是非日本の歌を歌ってくれと言われて困ってしまう。この店はあまり日本の曲のレパートリーがないのだ。少し悩んだ挙句、YAH YAH YAHをチョイスする。Chage & Askaはアジアでもコンサートをしていたし、みんな知っているかと思ったのだ。しかし予想に反してあまり知らないようだった(年の差か?)。。。案の定、イマイチ乗りきれず不完全燃焼に終わってしまう。実力のなさを感じてしまうのであった。
22:30 チクショーとの思いがありつつも健全に時間通りで終了となった。この辺りは香川の時とは異なる。時間が来ると、モニター画面に謝謝光臨!!と出て終了になってしまうのだ。そのまま解散。中には看護師さんが小さい女の子を連れて来ていたのには驚いた。こんなウルサイ雰囲気を味あわせて良いのだろうかと心配になった。
23:00 行きも送ってくれたプロパーの男性が、病院のドミトリーまでしっかりと送り届けてくれる。相変わらずVIP待遇は続いている。

2010/03/04 高雄近郊震源のM6.4の地震が病院を襲う [平日]

7:30 いつもよりかなり遅めに出勤するが、教授は暫く来ないだろうということでDr.許と一緒に地下のフードコートに朝食を取りに行く。朝から2人して餃子などを食べた。年下なのに申し訳ないがおごってくれた。
8:10 Dr.許は手術室に向かっていった。Dr.干の脊椎手術をさせてもらいに行くのだそうだ(後で判明したがDr.干は1例目の手術に現れていなかったらしい)。
8:20 7Fに戻りナースステーションでうろうろしていると、突然ふらっときた。朝からめまいか?と思ったが、どうもそうではない。床から全体的に揺れているのである。かなり大きな揺れのようだ。時間にしても比較的長かった。止めていた車イスが動き出す。目立つ所に物をあまり置いていないこともあり、物が落ちて散乱するようなことはなかったし、停電にもならなかったが、久しぶりに経験するかなり大きな揺れだった。
9:00 地震の影響もあったため、教授がその対応で遅れて来たが、回診をはじめる。こういう非常事態での対応というのが真のリーダーとしての資質と思われるが、ここの院長はDr.Tuに全てを任せるといった感じになっていた(4月からDr.Tuが院長になるらしいけど)。こういう時にまだ病院にも来ていないDr(Dr.干もそのうちの1人)がいるということに憤りを感じていた。消防隊や救急部とも密に連絡を取り合って対策を講じていた。この種の災害に対する対応は、事前にしておかねばイザという時に混乱してしまうものである。要は個々人の意識改革が必要であり、リーダーはトップダウンしてでもその任務を遂行するべきである。
10:00 色々とありつつも丁寧に回診を終了する。やはり今朝の地震の影響で怖がっている患者も多くいた(全く気がつかなかったという子供もいたが)。昨日の短合指症の女の子はまだ1歳くらいなのだが、処置中はお母さんに抱えられながら泣かずに頑張っていた(おそらくsedationはかかっていたと思う)。指の色も良く創もきれいで安心した。ここへ来て自分が入った手術で感染した症例はないので順調である。
10:30 教授の部屋に案内され、論文の別刷りなどをもらう。久しぶりに日本の旧友から来たというメールを嬉しそうに見せてくれた。
11:30 医局で作業をする。インターネットを何気に見ていると、日本のニュースでも台湾の地震のことが報じられていた。妻に念のため大丈夫だというメールを送っておこう。
12:30 今日は秘書のCrystalの誕生日ということもあり、出前のピザなどが振舞われていた。一緒に食べないか?と誘われる。ドミノピザだった。味的にはやはり何となく甘めな感じだがそれ程大きくは変わらないよう。最後にショートケーキも出てきた。解らなかったが32歳だそうだ。
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13:00 お腹もいっぱいになったので図書館に出向く。係りの男性が私を見つけて、メールアドレスに文献を送ったのだが、送り返されてしまうということで再度違うアドレスも教えてくれということだった。今は電子ジャーナルではPDFで送付してくれるので便利である。
14:00 医局に戻る。何とかJOTの論文の方が仕上がりそうだ。完成して投稿してから再調査などを経てようやく仕上がった。Follow upをし直すというのは面倒な作業だったが、たくさんの人に助けてもらった。申し訳なかったが、妻以外はそれ程手間でもない作業だったからまあ許してもらおう。
15:30 病院からは投稿できないので、いったんドミトリーに帰って投稿する。これでひと段落ついた。今日は夜まで時間があるのでこのままここで作業をさせてもらうことにする。
17:20 レジデントDr.邸から連絡があり、今日の骨科晩餐会にはどうやって行くか?と聞いてきてくれた。朝の時点では、Dr.Tuが一緒に行こうと言ってくれていたのでその旨を告げる。誰も連れて行ってくれる人がひなかったら、一緒に乗せていってあげようと思っていたらしい。
17:50 ぼちぼち病院に戻ってみると、Dr.Tuにばったり会う。街に向かう所だったよう(あれ、一緒に連れていってくれるのでは?とか思っていたのだが)。あれ、誰か連れて行ってくれてなかったのか?とか言われる。何だかんだだったが、一緒に行くことになった。
18:40 思ったより大人数の飲み会(新春酒会)だった。海鮮料理中心にビール・ワインも出てきたので、結構食べ過ぎたかも知れない。しかし、朝の大きな地震があったことをあまり感じさせない一日だった。
21:00 結構盛り上がり会は終了した。帰りは同じレジデント住まいのDr.邸が送ってくれた。
21:30 鍵をインナーロックして出てきてしまい、管理人に鍵を借りて中に入ったのだった。。。

2010/03/03 久しぶりに珍しい手の外科症例に遭遇する [平日]

7:00 回診をはじめる。今日は手術日のため昨日新しい入院患者が入ってきている。しかし先週以前に入院していた患者は続々と退院しているので、患者数自体はそれ程変わっていない。今日は子供のcongenital hand症例が2例組まれているので楽しみである。小児科病棟にも訪れる。ここの小児科病棟も子供部屋らしく、色々な工夫がされている。たいがい看護師は可愛い感じのエプロンを付けている。小児科看護師の中でもこのようなエプロンの似合わない人もいるものだ。
7:50 今日は専科看護師のMrs.Chenさんが朝食にと台湾風パンケーキ(甘くなさそう)をくれた。それに加え手術日なので、Frolaがいつも通り教授の分とともに買ってきてくれていたので多くなってしまった。パンケーキは昼か夕方に回すことにしよう。
8:30 1例目は、短合指症の1歳過ぎの女の子だった。手は片側だけの先天奇形であるが、足をみると両側に絞扼輪や短合趾が見られる。この種の奇形は近年出生前エコー診断で解るようになってきていることもあり減少傾向にあるようだ。日本でも同様だろう。しかもこのような奇形は特別な施設でしか扱わなくなっていることもあり、あまりお目にかかることもない。この度は良い機会かも知れない。第Ⅲ・Ⅳ指は中節骨以遠が骨性にも癒合している。また、母指は分離されているが、その他には骨性の癒合はなく軟部組織のみだった。
9:00 zigzag切開でⅡ・Ⅲ、Ⅳ・Ⅴを分離していく。指長を保つためWebをしっかりつける。この際に指間のneurovascularに注意する。1歳程度なので組織はすべて細かいのである。簡単に見えるこのような作業も経験に基づいており、デザインに無駄がないものと思われた。
9:30 指間の分離は終わり、zigzagで切開した部で縫合可能な部分のみ無理せず縫合し、不足した部分には大腿外側部から分層植皮を行う。赤ちゃんの場合はおむつをするので、その部分にかからないように採皮することが重要であると言っていた。大人の女性の場合はスカートに隠れて目立たないようにするため、採皮は比較的近位にすることが多いのだが、やはり色々なコツというものがあるものだ。分層は0.10mm程度で小児は薄めを採取すると言っていた。薄いからそのままでも良いのかと思っていたがメッシュにしていた。血腫貯留を防ぐとともに皮膚に柔軟性を持たせることが理由だとのこと。採皮した皮膚を指間のそれぞれに植皮していく。サージロンというシリコンガーゼのようなものでカバーした上、tie overを行った。3・4指に関しては骨性の癒合でもあり、分離したとしても尖端が細くなってしまい美容的にも良くないし、実用的ではないと考えられたので処置は行わなかった。何だかマイクロを扱う教授の姿にはオーラがある感じがする。
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10:10 脊椎の後方固定よりも時間がかかったとか言いながら終了した。この類の手術は実際に助手として参加した方が勉強になる。特にデザインについてはしっかり頭に入れておく必要がある。
10:30 次の症例も手の先天奇形である。Radial club handという橈側列形成不全の4歳の女の子だ。両側性で右側は以前手術をされていた。両側とも母指欠損(Blauth type5)で内反手である。前回している右側は橈骨が完全に欠損したtypeであるが、左は低形成だが橈骨は残っている。この症例に対しては、内反手に対するcentralizationと尺骨遠位端の骨切り+遠位端安定化を行う予定だ。橈屈した内反手を正常位に戻すために、まずは軟部組織性(皮弁により軟部組織欠損部はカバーする)の再建:Wartenberg flapを行う。これはbilobular flapの1つであるが、橈側に生じた軟部組織欠損を尺側の余剰皮膚で2段階にカバーしていくものだ。このデザインにもコツがあり、図に書いて教えてくれた。また皮弁には皮膚に向かう穿通枝が入っていることを確認していた。しっかりと血流を確認しながら行うところがflap surgeonたる所以だろう。
11:00 皮膚性の拘縮を解離した後、尺骨遠位端の処置を行う、ECUのgliding floreを確認して尺骨遠位端に付着した軟部組織を骨膜下に剥離する。遠位・近位側をそれぞれstemとした長めのflapを作成する。尺骨遠位骨切り後にこれら同士で縫着するためである。TFCCは正常な解剖形態を示しておらず(もともと橈骨の低形成・尺骨遠位の突き上げにより、DRUJがない)、瘢痕様の軟部組織で充満している。骨端線の含まれた尺骨遠位端を切除してしまう(この成長線を残しておいたら再び尺骨が成長して内反手が進行してしまうことになるから)。最後に中手骨頭部分より、K-pin3本で手関節を正中位で固定する(橈骨へ1本、尺骨へ2本)。最後にfalpにしたTFCC周囲組織で尺骨遠位端を縫着しカバーする。ECUは若干elongationしていたが、特に処置は行わなかった。
11:45 外固定を行って終了とする。本来は母指がないため、示指の母指化か足趾移植により、再建することも検討されても良いのだが、教授曰く、足趾移植を勧めたが家族が同意してくれなかったのだそうである。正直、足趾移植も一度は見ておいておきたかった。
12:00 昼食にする。いつものように弁当を教授、Mr.シーたちと食べる。従って、朝食べきれなかったパンケーキは夜に回すことになった。教授達はこの後続けて脊椎の手術をするとのことだが、休憩していて良いと言われた。
13:00 医局に戻り、作業を行うことにする。早速、午前中の先天奇形の症例について、津下先生の教科書などで復習しておく。日本でもそれ程お目にかからない症例なのでしっかり覚えておかねば勿体ない。
14:00 再び手術に戻る。案の定、脊椎の手術は終了していた。1時間もかかっていないようだ。隣の部屋では、外反母趾の症例が準備されている。昨晩当直だったDr.許はぐったりしている。AM2時まで手術や救急対応があったそうなのだ。上腕骨のORIFと下腿の開放骨折の緊急手術をしたのだという。外傷に関してはやる気があれば症例豊富なようだが、使用できるインプラントやシステムの違いもあり、あまり興味がわかない。もっと若いうちに来ていたら手術を自らやらせてもらっていたかも知れない。
14:20 脊椎を終えて教授が執刀した。いわゆるMacbride法だが、今日の症例はそこまで手術が必要な症例のように思えない。変形が軽度なのだ。手術適応についてはいまだ不明な点が多い。母指MTP関節内側の関節包をY-Vに縫縮することと、母指内転筋腱を剥離(今日は切離まではしなかった)することがポイントだろう。母趾先端からのK-pin刺入は珍しく手間取っていた。
14:40 既にMr.シー達が準備して待っている大腿骨骨腫瘍(fibrous dysplasia疑い)の男子の症例に向かう。側臥位でTensor fascia lataをcutし、vastus lateralis muscleをsplitすると、皮質骨の膨隆した部分が見える。X線上、骨折線が見られたので病的骨折も伴っているようだ。同部を開窓し(骨質は固そう)、内部の腫瘍組織を鋭匙など用いて掻き出す。思っていたよりも内部の腫瘍は固そうだった。近位・遠位に向かってしっかりと切除していく。充分に取りきった(切除した内容物が海綿骨にほぼ変わっていることを確認)ところで洗浄した上、人工骨を充填(Genexというプリマフィックスのような材質・硬さのものと、アパセラムの顆粒のようなもの)していく。その後、7穴のコンベンショナルプレート(開窓部は凸状にややbendingし、近位2穴、遠位3穴スクリュー使用)を固定して終了となる。当然、タッピング・screw固定にも気動式ドリルを使用するのが早く終わらせるポイントだろう。
16:20 本日のもう一つの見どころのBPI術後(total arm typeの林口CG病院の失敗症例に対して、Dr.TuがneurotizationやFFMTをして機能改善した症例)のextensor tendonによるtenodesisの症例である。筋肉移植の回復が良く、屈筋腱のパワーが強いため指が屈曲位で使いにくくなってしまっているのだ。伸筋腱を用いて指を伸展位に固定することで更にgripをし易くするのが狙いである。今までBPIになったら機能回復など見込めないかと思っていたが、こういう症例を目の当たりにすると、現在はかなり進歩してきたんだなと思い知る。
17:00 PIP関節を屈曲40°・MP関節屈曲10°程度で遠位よりK-pinで固定する。この作業は全てブラインドでイメージは使わない。更に第4コンパートメントを展開し、Ⅱ・Ⅲ、Ⅳ・Ⅴの伸筋腱を同定しておく。橈骨遠位端と尺骨遠位端にそれぞれrevo screwを打ち込み、ここをアンカーとしてそれぞれの伸筋腱を近位にtractionをかけた位置(手指伸展位)で縫着し固定する。
17:20 外固定を行い終了となる。もう1つ外来手術の手根管+ばね指が残っていたが、Dr.許とDr.邸はここでお開きとなり帰って行った。自分は何となく帰る訳にも行かず残る。
17:40 いつもだいたい決まったおばちゃんが掃除しにやってくるのだが、仕事が早い。こういう人達にもしっかりとプロ意識を持たせて仕事をしてもらうことが重要なのだと思う。次は局所麻酔のため手早く始める。しかし、駆血が全く効いておらず出血してしまっている。特に見学する必要性もないのだが、部屋でPC画面や今日の手術記録を眺めながら過ごす。教授は患者と終始喋りながら手術している。20分以上かかっていたように思う。
18:20 今日はお開きとなった。他の部屋では形成外科が遊離血管柄付き骨移植の採取を行っていたようだが、もう採取し終わってしまった後のようだったので、中には入らなかった。ぷらぷらと手術室を散策していると、看護部の理念的な掲示がなされている。どこの病院でも同じような感じか?
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18:40 朝もらったパンケーキを持参して、地下で買った水餃子を一緒に食べて本日の夕食とする。
19:10 医局で今日のまとめなどを行う。手の先天奇形については、自分で扱うこともないだろうという理由で今まで殆ど勉強してこなかった分野なので、改めて教科書を開いてみると殆ど読んだ形跡がないのが解る。そういう意味でも新鮮だった。
20:00 教授が帰宅するようだ。まだ残っていたのか?という感じで驚いて帰って行った。

2010/03/02 デスクワーク中心の日中、夕方からリサーチミーティングに再び参加する。 [平日]

6:30 今日は早目に病院に到着する。モーニングカンファレンスが始まるのでそれに伴って回診も早まるのだ。昨晩は遅かったので、少し身体が重い感じがする。いつも通りに教授を待つ。
6:45 回診を始める。昨日の手術患者を中心に回る。2ヵ月以上経つが、会話内容はいまだに理解しきれない。雰囲気だけはつかめるようにはなっている。しかし、文句を言っている患者は今の所見ていない。
7:10朝の回診は教授のルーチンワークであるが、Dr.高もレジデントを連れて行っている。今はレジデントのDr.呂がついている。
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7:15 毎週火曜・金曜で行っていたモーニングカンファレンスが再開された。2月は正月月間ということでずっとお休みだったのだ。また、手術室に張り出してあった統計を見ると、2月の手術件数は例月よりも100件程度少なかったようだ(骨科は毎月500例程度の手術をこなし、全科中トップの数を誇っている)。
7:30 今日は、Leoとかいう会社のinnohepというDVT予防の注射薬の紹介が行われる。朝食はマクドナルドのメニューが並べられている。朝早くから誰かが人数分を買い込んできたのだろう。なかなか準備は大変かも知れない。
8:00 内容はイマイチ解らなかったが、朝食をゆっくり摂ることができた。オレンジジュースが余っていたのでもらっておく。この後は、引き続きスタッフミーティングがあるそうなので、看護師、レジデント、その他は退席することになった。
8:30 手術室に本日の手術内容を確認しに行く。午前中はTKA・THA・脊椎などばかりなのでフリーにさせてもらおう。
9:00 何となく気だるいので図書室に行って休憩する。奥の方の机でジャーナルを読みつつゆっくりすることにする。
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11:00 何度か目覚めては雑誌に目を通していたが、2ページ程しか読み進んでいなかった。しかし、お陰で良い休養が取れたようだ。
11:30 地下のフードコートに簡単な昼食を早めに取りに行く。喉が渇いていたので、ミネラルウォーター、ポカリスウェットを買い込む。
12:00 医局に戻り、PC checkする。すると妻から電話での症状確認の結果が早くも戻ってきていた。何と仕事が早い!家に閉じ込めておくのは勿体ないか?JOTに投稿した橈骨遠位端骨折のfollow up不足の症例たちであるが、概ね成績は良好なようだったので安心した。
14:20 手術室に向かう。午後は、Dr.馬の外傷症例などが入っていたので見に来た。すると、手関節掌側の結核性の滑膜炎という症例の滑膜切除術を行っていた。ルーペも用いず、手技的には少しtraumaticな気がしたりする。。。手の外科専門というより、外傷外科医がどこの部分でも扱っているという印象である。自分もそのように言われないように、特に手の外科領域では組織に愛護的に、周りの見ている人からも術野が綺麗だと言われるように臨みたいものである。
15:10 次の症例は、脛骨遠位端骨折のセカンドステージ手術が予定されている。夜の急患の時に、レジデントのDr.呂と腓骨のORIFと創外固定が行われていた。今日は創外固定を外し、脛骨をプレート固定するようだ。MIPOではなく使用するプレートの関係もあり、openで内固定するとのこと。他の手術室では、Dr.干が脊椎後方固定をMr.シー達としており、もう終わりそうだったのと、Dr.呉の抜釘(脛骨をMIPOで固定していたので、その小皮切で抜去していた)。
16:00 外来看護師に外来に来るよう呼ばれた。教授が少し余裕あるらしく、症例を色々と紹介してくれた。その中でも、前から是非見たいと希望していた舟状骨偽関節に対する血管柄付き骨移植の症例があった。来週月曜に手術予定となった。また明日は、先天奇形のハンドの症例も2つ組まれている。帰国前にハンドの症例が集中してきた。良いチャンスと思われる。
17:00 再び手術室をうろつくが、Dr.Salimにも逢わないし、今日は形成外科の手術も特にこれと言ったものはないようである。手持無沙汰になってしまう。
18:00 フードコートで野菜中心のバランス良くオカズをチョイスして夕食にする。そう言えば、最近左の奥歯がまた少し痛んできた。特に強く噛むと。少し緩んできたのかも知れない。帰国しても保険がないと歯医者にも通えないということを思い出した。
18:30 医局に戻って作業していると、会議室に続々と人が入ってきた。今日はリサーチミーティングがあるそうだ。Dr.Hsiaoが良かったら参加するか?と言ってきてくれたので、時間もあるし顔を出すことにする。
19:30 成功大学(台南:ここから高速だと車で30分くらい)の学生を中心にここのラボで行っているバイオメカの研究の進捗状況を確認している感じだ。学生はみな熱心であった。

2010/03/01 3月に突入。いよいよ残り2週間を切った! [平日]

6:45 1週間の始まりということで少し早めに到着する。Dr.許は既に到着している。彼の家は街中に近いから、車で来てももろもろ30分近くかかるだろうから、かなり早起きしているハズだ。レジデントは当たり前なのだが、最近の若い医者は忙しいのを好まなくなっているのが気がかりである。これは万国共通の現象のようだ。でもレジデントの時くらい忙しくなくてどうやって充分な経験を積むというのであろうか?要領良くというのがbaseにあるらしい。
7:00 今日は、教授の肌のツヤが一段と良いようだ。50過ぎにしては肌ツヤ良い方なのだが(頭のてっぺんは寂しくなっているけど)、今朝は上機嫌のよう。
7:30 回診中にその理由が判明した。私が教授の昔の友人の連絡先を調べ上げて(mailアドレスが解らなかったからクリニックに直接FAXを送ったりした)、その旧友からメールで連絡があったのだそうだ。6年間連絡が取れなかったそうで、かなり嬉しかったようだ。アメリカのMayo clinicで1年に渡り、行動を共にしていたそうで、兄弟のような関係だと言っていた。自分としてはそれ程大した仕事をした積りはないが、凄く良い仕事をしてくれたと大喜びだった。だから今日の手術は実に気分良く気合いが入ってできそうだと言っている。結構、単純な人でもある。
7:55 Op室で教授とともに朝食を取る(手術日はいつもの様にFloraが買ってきてくれる)。やはりその旧友との話で持ち切りだった。暫くはこのネタで引っ張れそうだ。
8:30 1例目は珍しくTKAを教授がされる。裏の列では、Dr.許がTHAを行うようだ。2人とも金持ちのVIP患者らしく、当然麻酔がかかる前に教授自らが挨拶して自分が執刀しているような気にさせている。久しぶりにTKAの手伝いをさせてもらうことにした。香川でY先生のTKAの手伝いで何回か入って以来だ。昔は、周南のM先生の人工関節や大学ではO隊長、Dr.Okのもとで執刀もまあまあしていたが、もう関わることもないだろうと思っていた。教授のTKAというものを一度見てみたかったので良い機会だった。
9:00 駆血はタニケットを用いずonにするだけ。Approachはmidvastusでpatellaのmarginにはretinaculumを付着させて(閉創時に縫い易くするため)関節内を展開する。アシストは当然Mr.シーとZimmerのベテラン(少し日本語も解る)が付き、実に連携良く無駄がない。迷いがないというのが、手術が早く進んでいく重要なポイントと思われる。このアシスタント達が教授のやり足りない部分を補うように上手くアシストしている。何も解っていないやる気のない研修医を付け、指示しながら(指示してもうまく動かなかったりする)するより、はるかに効果的だというのが実に良く分かる。可哀そうなことに教授の手術にはレジデントはあまり参加できていないというのが実情である。レジデント達の本音もいずれは聞いてみたいものだ。
9:20 インプラントはpatella非置換で、tibiaサイドはPS(PCL温存しない)type、またfemoralサイドとともにセメント固定である。セメントは教授自ら作っている間に、アシスタント達が洗浄したり余計な軟部組織を取ったりと短時間で済ませている。1時間もかからずに終了。
9:30 THAの方も大方終了しつつあった。インプラント会社の人間が手術に関われるという、日本では現在禁止されているこのシステムにより、これだけ効率の良い手術進行をサポートしているのである。ここのやり方は良いとは思うが、しかし日本では実現不可能なシステムなのだ。
10:00 片付けも相変わらず素早く、次の脊椎症例がスタンバッている。2例目からは、シンセスのベテランMr.レイが加わっている。彼らは手術の予定をみてしっかり行動している。現に、Mr.レイは1例目の最後の方では、ソファでPCをいじって何やら作業していた。私が現れたのを見ると、もう1例目のTKAは部屋を出たのか?と焦って聞いてくる。遅れてはならないという緊張感が彼らの中にはあるおだろう。それだけ教授の神通力が行き届いているということなのだ。
10:30 脊椎にもそのままの勢いで参加させてもらう。何となく出血が多かったが、教授は構わず続けている。早く終わらせることが出血を減らす手段の一つであることを理解しているのだ。4 segmentの後方固定をルーチンワークとして1時間15分で終了させる。もうこのペースにさほど驚かなくなってしまった。アシスタントが彼らなら自分でも2時間程度で終わらせられるような気になってしまう。アシスタントが彼らでなければどうなるか解らない。
11:30 裏の2例目のTHAの方も大方終了している。今日はいったん医局に上がってから、昨晩食べなかったおにぎりなどを食べることにしよう。早く食べないと痛んでしまうし。
12:00 医局の机でPCを開きつつ昼食をとる。昼からの1例目は、脊椎とTKAなのでいったん休憩にして、昼2例目から参加する積りだ。文献検索などをしておこう。
13:00 PubMedで論文作成のための文献検索をしていると、昨年はじめにJBJSに自分が載せた論文内容を支持するような内容の論文が幾つか発表されているのを見つける。自分のが世界に先駆けて発表出来たことに改めて良かったと思う。やってきたことが間違いではなかったと解ると、何となく嬉しいものであるし、次につながるパワーとなってくれる気がする。
14:30 Dr.許と先日一緒に撮った写真を交換したりしながら、次の手術の準備が終わるのを待つ。彼はすでにこの時間までにTHA2つとTKA1つを終わらせている。彼と記念写真をパチリ。
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15:00 脊椎の3例目を終わらせて教授がやってきた。次の手術は第5中手骨の骨腫瘍に対する切除+プレート固定である。Enchondromaと思われた。病的骨折を防ぐための手段でもある。何か所かscrew固定をやらしてもらう(ハンド用のドリルを使うのではなく、エアトームの先端にドリルをつけて行う。ペンシルホルダータイプなので持ち易いと思われた)。
16:30 隣の部屋で進んでいた脊椎手術をほぼ終わらせて教授がまたやってきた。今度はよその病院で受けた上腕骨近位端骨折のORIF後の変形癒合の症例で、hemishoulderarthroplasty(人工骨頭)の予定だ。変形癒合後はもとの解剖が解り難くなっているので、そのメルクマールを見つけるのがポイントである。前回皮切(deltopectral approach気味)を利用して展開する。電気メスでmuscle fiberをsplitして展開する。メルクマールのcephalic veinは解らなくなっていた。容易にplateとlooseningをおこしたscrewが露出し、全体を剥離していく。これらをまず抜去した後に骨切りを行っていく。通常であれば、ここでbicipital tendonが小結節と大結節を分ける重要なメルクマールとなるのだが、この症例は解らなくなってしまっている。しかし内側でsubscapurais muscleが付着している個所が小結節で、外側上方でsupraspinatusなどの腱板が付着しているのが大結節なので、その解剖を意識して全体像を把握した後に剥離を行い、これらを骨切りしていく。変形してしまった骨頭を切除し、これら腱付着部である大結節と小結節を分けていくのである。Bicipital groove付近から骨のみを持ちいて分ける。この際、小結節側の骨片を内側へ、大結節側の骨片を外側上方にretractしておく。ここでしっかりとこれらsubscap・supraspinatusの周囲との癒着を剥がしておくことも重要である。この分け入った間から不要な変形癒合した骨頭が覗いてくるので骨ノミやロンジュールで徐々に取り除いていくのである。Glenoid側は比較的きれいでlimbsはそのままにしておく(人工骨頭の求心位を保つため)。骨切りの場所がポイントであり、この位置によりステムをどこまで髄内に刺入すれば良いかが決まる。微調整は骨頭surfaceの厚みでもできるが、基本はこの位置とステムの深度だろう。加えて、骨頭は後捻(40°程度)しているため、その方向を意識してステムを挿入するべきである。位置決めを行った後(Mr.シーがしっかりと電気メスでその位置をマーキングしていた)、本物のインプラントを髄内に挿入した(セメント使用)。ここの施設はインプラント設置の際は、基本的にセメント使用としているようだ。セメントが固まってから骨頭のサイズ・深さ調整を行う。アシストにはZ社の彼が入っている。
17:30 骨頭を設置した後(off setのついたタイプを使用した)、始めに骨切りを行った大結節と小結節にK-pinで骨孔を開け、エチボンドを2ヵ所ずつ通しておく。設置したステムに付いているホールにこれらエチボンドをバランスよく均等に縫着していく(大結節はやや上方、小結節はやや下方に位置するという解剖学的位置も考慮)。更に、内側と外側のこれらエチボンド糸同士も縫合して解剖学的にほぼ再建された。更に、splitしていた腱板部分もバイクリルで縫合していく。これでかなり表面はsmoothに再現された。1つ1つがどれも有用な手技である。次から次へと手技をアシストする要領の良いZ社の彼と仲良くなった(少し日本語も解る)。
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18:20 途中、外来手術のケルバン腱鞘炎の手術をこなした後、麻酔がかかって待ち呆けているDRUJ背側亜脱臼症例に対するPL腱を用いた再建術を始める。小皮切で行うらしい。この手技も自分でmodifyして編み出してきたのだそうだ。背側には3ヵ所の小皮切が入る。尺骨遠位外側、DRUJ直上、リスター結節部である。外側から尺骨遠位の骨内を通し、DRUJ背側に至り、第4コンパートメント内では伸筋腱群の下(橈骨骨膜の直上)を通す。第3コンパートメントまできて、更にEPLの下を通し、リスター結節に骨孔を開けて第2コンパートメント側にいく。この経路を一直線上にsmoothにすることがポイントである。孔を開ける際は皮切が小さいので、cannulate typeのドリルで行った方がやり易そうだった。手技的には慣れないとこの皮切では少々難しいかも知れないが出来ないことはない。
19:00 これら骨孔作成までに少し時間がかかってしまう。やはり集中力もこの時間だから落ちてしまっていることもある。続けてPLの展開は横切開ではなく縦切開だった。いざという時は延長出来るからかも知れない。必要な長さ分のみ採取を行った。
19:40 更に、この採取したPL腱をこの骨孔に通す作業でも苦労する。あの手この手で行ったが、結局は一気に引き出そうとせず、1ヶ所ずつ徐々に行うのが良かったようだ。いつもならしていることなのかも知れないが、皆疲れが出てきているのか思考回路がぱっとしなくなっていた。
20:10ようやく終了となる。自分にとっては新しい手術術式であり新鮮で良かったが、教授はさすがに疲れが伺える。その中で、Mr.シーは疲れを知らない男である。
20:20 Dr.許が電話している。奥さんにしていたのだろう。まだあと1例残っていたが、教授の計らいで、チーフレジデントの彼は帰っても良いことになった。彼も今日は朝から執刀が続いていたから疲労はあるだろう。最後の手術は3人ですることになる。
20:30 次も同じ部屋だが、ものの見事にテキパキと仕事している。最後の手術が準備された。当初は、上位型BPI患者に対する肩機能再建でLD flaptransferを行う予定であったが、僧帽筋・三角筋の縫縮という簡便な手術術式に変更になってしまっていた。正直、これは手術時間の問題が影響していたことは否めない。最後にこの手の手術を組んでいると、疲れていたり、時間がなくなると術式が変わってしまうことも時に経験する。出来るだけ、無理な予定は組まない方が無難だろう。患者の身になってみれば、そんなことで手術術式が変わってしまうのではたまったものではないだろう。
21:30 本日、全ての手術が終了した。最後の手術は、一度同じ術式を見たことがあるのでだいたい解っていた。果たしてどれ程の効果があるのだろうか?ダメだったら、当初予定のLD flap transferをいずれ行うことになるのだろうか?などと意地悪く考えてしまったりもする。
22:00 教授とともに街に食事しに出かける。疲れているようだが、この仕事後のリラックスできる時間が幸せのようである。食事後は、また行きつけのマッサージの店に行こうということになった。支払いを考えなくて良いので気が楽である。もう遠慮はしないことにしている。相手をもてなすことが、教授の最大の楽しみのようでもある。

2010/02/26 夜に再びラブリバー沿いランタンフェスタに出向く [平日]

7:10 いつもの如く少し遅れて教授がやってくる。今日まで朝のカンファレンスがない日(旧正月期間のため)のようだ。来週の火曜から再び始まるらしい。従って、朝はゆっくり目スタート。
7:30 脊椎・人工関節の患者ばかりで、実はあまり面白くはないのだが一緒に付いて回る。患者の表情はみな明るいのがせめてもの救いか?今日は1人気になったおばあちゃんがいた。鼻の穴が普通にデカイのだ。わざと広げているのかと思っていたが、常に広い。隣の椅子に座っている娘と思わしき人はそれ程大きくもないのだが。。。そんなことを見ながら1人楽しんだりする。
8:00 手術室に本日の予定を見に行く。今日もありきたりの手術のラインナップだ。もう考えを変えて手術見学は教授と形成外科の興味深い症例のみでも良いかも知れない。正直、なかなか(自分の)ためになりそうな手術が予定に入って来ない。実は、急患で既に済まされてしまっていることもあるのかも知れない。
8:20 地下に朝食を食べに行くと、Dr.許も珍しく座って食べていた。AAOSのテキストブックを持参している。彼はこれから教授の外来の手伝いに行くのだが、空いた時間などに読むのだろう。レジデントも色々と大変だ。
8:40 Dr.Salimに今日の形成外科手術予定を確認する。Free flapが何例か入っているようなので、皮弁の採取の際にはPHSにcallしてもらうように言伝しておいた。
9:00 午前中は医局で過ごすことにする。何気なくインターネットを見てみると、今日はバンクーバー冬季オリンピックの女子フィギュアスケートフリーがあるそうだ。テレビ中継は見られないが、PCで速報なら確認できそう。
10:00 PCでDVD勉強をする。手術がないからビデオで勉強でもしておこう。論文も作成したいところだが、なかなかやる気が起きてこない。何とかしなければ。。。
11:00 鈴木明子がSPではイマイチだったそうだが、フリーで現在首位に立ったそうだ。皆頑張っているんだなとか思う。でもすぐに抜かれていってしまったようだ。
11:30 安藤美姫や浅田真央もこれから滑るらしいから、今日は医局で昼食を食べることにしようと思い、急いで地下のセブンイレブンに行って食料を買ってくる。
12:00 演技は見られないのだが、インターネットの実況中継が1分ごとに自動更新されるので、情報は伝わってくる。テレビで見るよりも想像力を掻き立てられる。ちょっとハラハラしてしまうのだ。
12:30 金ヨナが凄い得点を出して首位に立った。その次を滑る真央ちゃんはかなりプレッシャーだっただろうね。トリプルアクセルを2回決めた(世界初?)らしいけど、得点はそれ程伸びなかったようだ少し失敗もあったのかな。でも日本代表の皆さん大変お疲れ様でした。
13:30 こちらの人は冬季オリンピックなど殆ど興味がないようで話題にすら上がらない。南国のスポーツではないし、台湾からは選手は出場していないし。まあ当然でしょう。さて、手術室に立ち寄ろう。Dr.馬がMr.シーとレジデントとともにACL再建を始めようとしていたが、関節鏡が準備できてないらしく、待ち呆けていた。暫く皆とだべった後にお暇する。ここのスタッフから見て私はどういう立場に写っているのだろうか?暇を持て余してそうな感じか?外科の腹腔鏡での腸縫合の様子を外から見たり、看護師の働きぶりを観察したりもする。
14:00 手術着を重ね着したまま白衣を羽織り、外に出る。図書室にでも行ってみようか。教科書で勉強をする。もっとうまい時間の使い方を早めに考えなければ、このままでは時間が勿体ないかも?
15:30 Dr.Salimから連絡があり、形成外科のflapの手術が始まるとのことだったので、向かってみる。1つの方はradial forarm flapで既にharvestingが終了してしまっていた。採取の方が興味あるんですけど。。と残念がるが親切にも連絡してくれたのは有難い。
16:00 そうこうしていたら、Dr.Tuが外来に来てくれと連絡が入る。昼間はたいてい呼ばれないのだが、午後の遅めから呼ばれることがある。以前一緒に手術に入った、母趾軟部組織欠損に対する、reverse island flapのfollow upであった。皮弁採取部分が手術直後は陥凹していたので、今後どうなっていくのか興味があり、followを見たいと言っておいたのだ。わざわざ呼んでくれるのだからやはり有難い。しっかりと陥凹は膨らんできてsmoothになってきていた。分層植皮を採皮した下腿外側部もそれ程目立たなくなっている。
16:45 再び、手術室に戻る。もう1つのflapは、下顎部のがん摘出後に、以前、free fibulaを行ったらしいのだが、それが生着しなかった症例のようだ。デブリは既に済んでおり、今回はfree iliac boneを行うようである。やはりfree flapの失敗症例は悲惨である。上の方のレジデント(背が高くて態度がちょっとデカイ)がharvestingを行っている。慣れてはいるのだろうが(症例がかなり豊富だろうから)、骨を切除する時のノミの使い方は、やはり整形外科の方が上手いなとか思いながら見ていた。結局は、形成外科がかなり凄い技術を持っているのではなくて、少し特殊な分野を扱っているというのに過ぎないのだということが解って来た。大事なのはやっぱり正確な解剖の知識(+経験)と愛護的な剥離の技術、血管吻合の技術に他ならないと思う。
17:20 最後まで摘出せずに、手を下してどこかに消えて行ってしまった。仕方なくソファのある休憩所に赴く。そこには、少し疲れた顔(黒人だから顔色は変わらない・・)の、Dr.Salimがでんと座っていた。少し喋っていたら、少し時間をくれと言って、お祈りを始めた。初めは何やらアラビア語でぶつぶつ唱えていたが、少し経つと、地べたに座り出しお辞儀をし出した。邪魔してはいけないので、そーっと外に出て行った。日本では味わえない光景だった。彼は、奥さん子供一人と来ているのだが(半年予定)、食べ物が困ると言っていた。イスラム教だから、高雄で唯一のイスラムの料理を扱う店に行って、週末に食材を買い込んでくるのだそうだ。奥さん達も彼が仕事に行っている間は、さぞかし暇だろうなとか思ったりする。何をしているのだろうか?
17:50 Opは少し偉そうなレジデントがしているので、再び入る気も失せたので手術室を後にすることにした。
18:50 医局で作業をしていると、今日はいつもより早めに教授が外来を終えて部屋に戻ってきた。今日の夜や週末のことを心配してくれている。1人にさせておくのが申し訳ないとでも思っているのだろうか?
19:00 今日は手術室のヘルパー男性と麻酔科看護師(2人とも日本語を勉強しているということで、時々手術室で喋ったりしていた)の3人で街に出かけることになっている。
19:10 手術室待合室で、Johnがやってきた。英語も堪能なので会話には不自由はない。彼のバイクの後ろに乗せてもらい、街まで行くことになっていた。ヘルメットは準備してくれていた。彼女も自分のバイクで追っかけてくるとのこと。
20:10 途中、Johnのアパートに寄ってから、街に到着した。バイクだとかなり時間がかかることが解った。しかし、車では見られない風景もあり結構新鮮であった。
20:30 今まで教授達では連れて来てもらえなかった、若者の街(渋谷みたいな感じ)周辺も案内してくれた。さすがにお腹が空いて来ていたので、レストランを目指す。
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21:00 パスタの店(別に台湾ならではでもないのだが)に入って食事を済ませる。食後に飲んだココナッツミルクがかなり美味しかった。
21:45 ぶらぶらとバイクで走りつつ、先日もDr.呂たちと訪れたランタンフェスタにやってきた。この間よりも人が多い。今週末で終了だからかも知れない。二度目ではあったが始めてのように楽しんでおいてあげた。
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23:20 何だかんだ過ごして、遅くなってしまう。Johnに帰りもバイクで病院まで送ってもらう。
24:00 到着したのは日付が変わってからだった。この時間は少し肌寒い。途中バイクで走っていた時、周りに何もない寂しい場所では寒いくらいだった。台湾でバイクに乗るというあまりない経験をした一日であった。

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