2010/1/8 モーニングカンファレンス突然の指名に慌ててしまう・・ [平日]

6:30 今日は朝のカンファレンスがあるので少し早めに集合した。しかし、なかなかDr.Tuがやって来ない。また何か用事があるのだろう。手帳に今後の予定などを書きこみながら待っている。
6:50 遅れてやってきた。少し元気がないような気もするが。。。遅くなってしまったので、急いで回診を始める。みな順調なようだ。
7:15 まだ回診の途中だったが、チーフレジデントのDr.許が今日のカンファレンスでミニレクチャーをすることになっているようなので彼について医局に戻る。
7:20 今日のトピックは救急外傷の特に骨盤骨折などについてだった。話は中国語だったが、スライドは英語なのでだいたいの内容は理解できた。骨盤骨折の一般的な治療方法や解剖、診断方法などについてまとめてくれていた。看護師や技術員もいるので解り易くしていたのだろう。
8:00 終了後はdiscussionやビジネスミーティングとなったのだが、Dr.顔が自分のことを皆にまた改めて紹介してくれて、一言言うことになった。しまった。内容を練っておけば良かったと思うが、もう時すでに遅し。機転の利かない私はあまり面白くもなく通り一辺倒の内容で終わった。しかし昔よりはいきなり英語でコメントを求められても何とか対応はできるようになってきている気はする。少しは進歩しているだろうか?骨盤骨折についても自分の経験のコメントを求められたが、あまりうまく答えることはできなかった。これまた残念。もう少し話を引っ張ったり、興味をひかせたり、膨らませられるようにしていきたいと思う。
8:15 カンファでは朝食を食べながらだった。手術室のMr. シーも来ていたので日本からのお土産を手術室骨科のみんなにということで渡しておいた。彼らはみなfriendlyなので楽しい。
8:40 今日は外傷症例がないようなので、昨日と同様に自由時間となった。Crystalにこの1月下旬にやって来る予定のK先生の情報を教えておいた。また、Dr.Tuに朝のカンファレンスで自分もmini lectureをしたいと申し出た。ついでにK先生もしてもらうようにお願いしておいた(勝手な判断・・・)。1/29の金曜日の朝にする予定となった。20分以内でまとめようと思う。2人で討論も合わせて1時間以内なら良いだろうと勝手に判断した。早速、K先生にメールで連絡を取っておこう。病院のPCからなので英語しか使えず横文字で送っておいた。
9:30 Dr.Tuは外来だが、何か興味深い症例があれば呼んでくれるということになっている。特にすることがなくなってしまった。手術のない日は何かするべきことを考えておかなければならないなと思った。
10:00 机でローマ字しか使えないPCを使ってインターネットで仕事をする。この際、調べたい論文の文献検索などをしておこうと考えた。
10:30 図書館に出向く。昨日、本を借りることができるかどうか尋ねておいたのだが、やはりIDナンバーがないと借りられないらしい。あとで事務のAmyの所に行って頼んでおこう。JHSやInjuryのバックナンバーを調べておく。今までまとまった時間がなかったので、読んだ文献を少しずつストックしておこうと思い立ち、summaryを簡単に要約することにした。すると、面白いことに、今日は方形回内筋についての論文をみつけた。局所麻酔で方形回内筋を収縮しないようにして(筋電図を用いて評価したらしい)、その手技前後の筋力の評価を行ったところ、優位に回内筋力が低下したとのこと。まあ当然といえばそうなのだが、良くも実際の臨床でこのようなことをしたなと感心してしまった。このような研究は今後倫理委員会などの問題でかなり厄介になることだと思われる。などと幾つかの論文を簡単にreviewしておいた。
12:30 地下の食堂に行って昼食を摂った。今日は小皿を選ぶスタイルの店に行ってみた。味はまあまあだ。地下の食堂は8つ程の店が、日本のショッピングモールのフードコートのような感じで並んでいるので選びがいがある。
13:00 再び医局に戻った。秘書さんやプロパーさんたちは昼休憩では一緒に食事していたようだ。Dr.葉とかもいた。彼は比較的時間に余裕がありそうな印象である。今度することになったプレゼンテーションの準備などを行う。
14:00 Floraから携帯に連絡が入った。Dr.Tuの外来で見せたい症例がやってきたとのことで呼ばれた。急いで外来診察室に出向いた。相変わらず忙しそうだが、その合間を縫って患者を紹介してくれるようだ。部屋を3つ使いながら診察しているが、それ程焦ってみてはいないようだ。隣の部屋で待たされたのだが、その患者とその家族(妹さん)も途中で入ってきたので、ちょっとバツが悪くなった。簡単に挨拶などをして過ごす。時間が潰せないので紙に漢字で単語などを書いてCommunicationを取ったりしていた。ようやく、Dr.Tuがやってきたのでホッとする。この症例は大腿骨骨幹部骨折の髄内釘術後に骨髄炎となった症例に対して、血管柄付き遊離腓骨で骨癒合にまで持っていった症例である。現在、独歩も可能で膝の機能も温存されている。非常に良好な成績だと思われる。Primaryの手術の後に骨髄炎となって骨欠損がかなりの長さになっていたが、見事に治癒した。
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これをイリザロフで治そうとすると骨癒合はするのかも知れないが、創外固定器自体もbulkyだし、何しろ長期間の入院を余儀なくされる。この障害は患者にとってはかなり辛いものであろう。北海道のT先生が言っているように、マイクロとイリザロフは治療方法でどちらが良いというのではなく、お互いの長所を生かせて融合させることこそ重要なのだと思った。どちらか一方だけというのは最善の治療方法を選択する上で片手落ちなのだと思われる。この症例はうまくまとめて、日本マイクロサージャリー学会などに症例報告として発表させてもらうことになった。早速、頑張ってまとめなければ。マイクロ関連初の発表だから気合を入れよう。そのまま学会雑誌にも投稿したいと思う。まずは日本語にしておこう。あとは、日本骨折治療学会とソウルで開かれるIFSSHのネタを見つけることだ。あとでUSBに簡単にダウンロードできるとは言われたものの、ある程度画像を取り込ませてもらった。問題はカルテ内容の把握とサマリーであるが、時間を見つけて誰かレジデントにでも聞いていこうかと思う。
15:00 救急外来(小児専用の救急の観察室などもあった)など病院内をうろついた後、再び医局へ戻った。今日はデスクワークが多い日となった。手術室にも行こうかと思ったが、TKAや脊椎の手術だということなので今日はやめておいた。インターネットで語学学習なども行っておく。このような機会にできるだけ、英語・中国語に触れておこうと思っている。
16:30 図書館に出向く。プレゼンテーションに使用する画像を取り込む必要ができた。Injuryの雑誌を机の上に積み上げて作業していると、中国語で何やら話しかけてくる男性が現れる。医者ではなさそうだ。どうも患者の家族らしく、妻が脊椎の手術術後8ヵ月になるのだが、片側のradiculopathy様の症状が取れないとのことで、教科書などで調べていたらしい。主治医からは神経周囲の癒着が起きているだろうと言われているとのこと。何度かブロックもされているようだがまだ治らないのだそうだ。再手術についても話を受けているようで悩んでいるみたいだ。きっと私がInjuryとか読んでいたから整形外科(骨科)の医者だと思ったのだろう。中国語は良く分からないというと、途中から流暢な英語で話してくれた。どこかの大学の語学の教授のようで、日本語も少し解るみたいだ(以前東京大学に少しだけいたことがあるとか言っていた)。骨科の本棚に行って、良さそうな教科書を見つくろってあげた。なかなか面白い出会いもあるものだ。
17:30 手帳に今後の予定や学会の抄録締め切りなどについて書きこみ検討する。これからはできるだけ学会も絞って参加していかないと本当に学会貧乏になってしまう。
18:20外が暗くなってきた。PCのバッテリーが少なくなってきたのでいったんドミトリーに戻ることにする(アダプターを忘れてきたので)。ついでにメール確認しておく。
19:00 病院に戻る。まだDr.Tuは外来中だろうから、パワードリンク(蛮牛という飲み物)を買って持って行ってあげよう。2本買っておいたのでFloraにも渡しておく。暫く空いている隣の部屋で待っていたのだが、どうも忙しいようで直接は渡せなかった。
19:40 Floraにもらった果物類(おそらく患者が持ってくるのだろう)を持って、地下の食堂に向かう。今日は麺類にしようと思い立つ。台湾は病院内でも外食で済ませることが多いようで、食堂は患者や家族で賑わっている。美味しくない病院食を無理に食べるよりは良いのかも知れない(勿論禁止されている患者もいるだろうけど)。
20:30 医局に戻って仕事をしていると、Dr.Tuが疲れた感じで戻ってきた。腹ペコのようである。Dr.Tuが遅くまで残っているのだから、少なくともそれくらいは仕事しようと思っている。
21:00 ドミトリーに戻る。警備員のおばさんに外来でもらった果物を少し分けてあげると喜んでくれた。
22:00 単調な生活だが、健康的な生活にしていかねばとも思っている。

2010/1/6 研修初日だが結構手術が組まれていた・・・ [平日]

6:40 7Fの骨科病棟に向かう。朝の回診につくため、昨日教授とこの時間に約束したのだ。シニアレジデントの許先生も待っていた。彼は今、Dr.Tuの下についているようだ。ローテーションで変わるとのこと。
7:00 専属看護師(名前を忘れた)が毎朝作成した患者表を見ながら、各部屋をくまなく回る。この時間に毎日である。この継続した行動に脱帽するばかりだ。Dr.Tuの回診の様子を見ていると、彼の人柄の良さ、いかに患者から慕われているかというのがとても良く解る。今まで見てきたDrsの中では最高峰の名医だろう。技術的にも人間的にも。見習うべき点が多い。追い越すことは到底できないだろうが、その姿をしっかりと頭に焼きつけておきたい。尊敬すべき師匠が出来た気がする。でもDr.Tuは気楽な関係が好きなようで、私のことはmy friendと呼んでくる。できるだけ対等に話ができるようにしていきたいものだ。本日手術予定のBPIの若い男性やLD muscleのfunctional muscle transferの患者なども診察する。このような大変な手術が2つも3つも組まれているのだから驚きである。
7:40 Floraが持ってきてくれた朝食を手術室でDr.Tuとともに頂く。このスタイルは前回と同じだが、メニューは決まってハンバーガーと牛乳である。しかし毎日このような待遇では申し訳ないので少し遠慮しようかと思う。結局はそれでもお言葉に甘えてDr.Tuと一緒の手術の日だけにしてもらうことになった。今日は手術室休憩室が騒がしい。何か恒例のカンファレンスをしていたようだ。看護師さんたちが大勢いた。
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8:20 早速、本日1例目のLD muscleのfunctional muscle transferである。この症例は2年ほど前に肘から前腕の重度開放骨折によるダメージにより手指屈曲の機能が損なわれてしまった症例である。前腕掌側部の広範囲軟部組織欠損によるため。すでに受傷後比較的早期にALTによるfree flapで欠損部をカバーしている。また粉砕の強かった肘関節の骨折に対しては、TEAで再建されていた。しかし、通常遠位のコンポーネントは尺骨に挿入するのであるが、尺骨の粉砕が高度だったため、已む無く、橈骨頭側に挿入してあったので驚いてしまった。Special techniqueであると言っていた。もうこれらだけでも日本でなら症例報告ものであるが、今日は指屈曲機能の再建のために、LD muscleをthoracodorsal neurovascular系のpedicleをつけたままtransferするとのことである。
8:40 まずは前腕掌側の展開から開始する。前回のALT flee flap部分を展開する。血流良好である。Flapの動脈は橈骨動脈にend to sideで吻合したとのこと。Fasciaが見えてきてこれをcutしてfree flap areaでない本来の組織がお目見えする。癒着は中等度みられる。FDPが見えてきたので、それぞれを剥離・同定した上で1本ずつtraction testでどの指かを確認。FDPのⅡ~Ⅴと思われた。続いて肘関節掌側を3cm程度展開し、pulleyとなるmuscleを同定しておく。Muscleは萎縮のため頼りなさげであったが、おそらくbraciallis muscleだったと思う。いったんこれらを生食ガーゼで充填しておき、LD muscle側に移る。
9:30 マーキングもせずに一気にメスを腋窩から斜めに背部に向かって走らせる。ほぼ広背筋の走行に一致していると思われた。このためらいのなさに経験に裏打ちされた技術が見てとれる。迷いなく皮下組織は電気メスでスパスパ展開していく。LD muscleが見えてきたら、前方marginの同定が大事なので、前鋸筋との境界を同定しつつ展開していく。ここまでずっと電メスできている。時々小さな動脈より出血があるが気にせず突き進む。まだ肝ではないようだ。Anterior borderをLD muscle fiber方向に背側(棘突起付着部付近)まで展開しておき、後方marginを同定していく。始めはこのborderが解りにくかったが、電メスで浅く浅く展開していくうちにその深層に位置するTeres majorとはmuscleの走行が異なるので見分けがつく。ここら辺を剥離していくと肩甲骨が触れるようになる。前方の真ん中くらいから後方に向かってLD muscleを持ち上げるように指を入れると後方と交通するようになる。このLD muscle下面との疎な結合組織は容易に電メスで剥離できていくのでなかなか楽しい。前方・後方から広背筋の棘突起付着部の背側方向に展開していき、胸腰筋膜に移行する辺りは組織が固くなっている(腱性分みたい)。棘突起からこの硬い部分のみ切離すると、あとは少し引っ張るだけで下面の軟部組織が剥がれかけてくるので、後は電メスでcutのassistをするだけで綺麗に遠位側が切り離せる。
10:00 助手に生食ガーゼで挙上したmuscleごと持ち上げてもらいながら、今度はLD muscleの下面を剥がすように近位側に向かって剥離していく。重要ポイントはthoracodorsal vesselsの前鋸筋への枝をしっかり同定すること。それから本幹に向かって丁寧に展開していくことである。それまでは、あまり恐れるものはない(所々前鋸筋方向へ肋骨へ向かう小さなbrunchがあるが)。本日の症例は、前鋸筋へのbrunchが2本あるという破格であり、Dr.Tuは驚いていた。今まで見たことがないと言っていた。いろいろと解説を加えてくれながら(必要でない所まで展開してくれたり・・・)ゆっくりと進めてくれた。それでも1時間程度で挙上は終了していたと思われる。前腕遠位掌側のFDPに縫合できる程度までの長さを確保するため、近位側への展開を多少延長しmobilizeした。Thoracodorsal nerveを刺激して良好なLD muscleの収縮があることを確認する(かなり強かった)。
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10:30 皮下トンネルをガーゼを利用して作成(しっかりとmuscleの収縮が伝わるように充分にspaceを確保する)。挙上したLD muscleを順次通していく(腋窩後方より肘腹側方向に向かって)。先ほど展開して置いたpulley部分の下面を通そうとしていたが、pulleyに利用するmuscleが脆くて展開の際に引っ張って切れてしまう。仕方がないので人工靱帯を使用することとなった。素材としては強すぎる感があったが、周囲と余裕を持たせて(muscleが決して圧迫されないように)縫合した。最後にFDP群との縫合であるが、その前にⅡ~Ⅴ指のPIP関節を屈曲位にしてK-wire(台湾ではK-pinと呼んでいる)で固定しておく。これで縫合部に過度な緊張がかかりにくくなる。4本を二つにまととめた上で、最終的にはLD muscleの腱様成分に一つにして重ね合わせて縫合した。全体を巻き込むように工夫した縫合方法をしていた。術後3週でK-pinを抜去して自動運動をすぐに開始するのだそうだ(end to endで縫合した場合では一般的には6週経過しないと腱の再生は起きないが、この症例は重ね合わせて縫合しているので強固なのだそうだ)。
11:00 非常に見応えのある手術であったが、もう閉創になった。ある程度まで縫合した後、皮下はレジデントとテクニシャンのMr.シーに任せていた。私も結局途中で手を下させてもらってしまう。実に難なく手術が終わってしまうので疲れは殆ど感じない。日本でこれだけのskillがあればかなり有名になるだろうなとか思ったりする。
11:30 まだ片付け段階であったが、Dr. Tuと一足先に昼食を摂らせてもらった。いつものように弁当を頂く。何でもここで買えば20NTDとのこと。スープもついているし安い。
12:00 既に次のvertebroplastyが準備されている(局麻だから準備が早かった)。外から見学させてもらうが、Mr.シンが手慣れた様子で準備・アシストしている。このようなテクニシャンがいたら本当に楽だと思う(当然それまでに教育されているのだろうが)。淡々と手技が進んで15分程度で全て終了してしまった。Pedicleの片側だけから骨セメントを3ccまで注入していた。これで手術点数がfree flapと変わらないのだから、台湾の点数も不思議である。ここでは正面・側面を同時に見ることができるイメージを使用している。かなり便利である。
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13:30 再び休憩した後、本日のメインイベントである全型BPIの2度目の手術である、contara C7 nerve transfer graftに入る。昨年のAPFSSHのプレコングレスBPIセミナーのライブ手術でD・C先生がしていたあれだ。しかしあの方法とは違うそうである。D・C先生は患側の尺骨神経を遠位から血管付きでfreeとして採取して健側のC7と健側の正中神経に縫合するという方法を取っていたが、この症例は尺骨神経の条件が良ければ血管付きで遊離とはせずpedicleをつけたまま同様の手技を行うそうだ。あまり想像できなかったが、生涯初の難手術に第2助手として入らせてもらった。日本で、この手術に立ち会ったことがあるドクターはどれ程いるだろうか?おそらく2桁はいないかも知れない。まず、遠位側より尺骨神経を展開していく。前腕部にもいくつかの栄養血管があったが、これらはすべて結紮する。遠位側はGuyon管まで展開し、運動神経が分岐する先までを同定しておく。
14:20肘付近の展開が姿勢上ちょっと厄介でやりにくかった。Osbone bandを切離し、肘部管を展開し徐々に筋間中隔を展開して近位側に剥離していく。徐々に尺骨神経に入ってくる栄養血管を注意しつつ展開する。上腕部でも何本か入って来る箇所があり、必要な長さにより、pivot pointとする場所を決めていた。上腕の近位となると尺骨神経の伴走血管も太くなっている。ここらに損傷を与えないように展開する。
15:00 Pivot pointを決めてから、神経の遠位端をcutした。適宜デジカメで撮らせてもらったが、腕から見える長い回虫のようである。何とも不思議な光景だ。
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対側の鎖骨上(腕神経叢)まで届くことを確認した後、皮下トンネルを作成。神経は生食ガーゼにくるんで皮下を通していた(適度な摩擦力により引っこ抜けずに容易に通過する)。
15:40 pivot pointのやや近位で尺骨神経をcutして、その断端を近接した正中神経に端々縫合する。驚いたのが、マイクロは導入せずにルーペのみで縫合したことだ。このレベルのFascicleがいくら太いとはいえ・・・。9-0ナイロンでepineuriumのみで6針程度簡単に縫合してしまった。もちろんbacklingしないよう、またfuniclus patternにも気を付けていたようだが。反転せずにbacksideはそのまま縫っていた。手元が非常にstableである。簡単に見えてしまう。
16:00 いよいよ対側のC7の展開に移るのだが、その前に患側は展開部が広いので先に閉じるとのこと。ある程度縫合してから、後はテクニシャンに任せて休憩に入ることになった。実に効率のよい時間の使い方である。
16:40 何だかんだで結構休んでしまっていた。Dr.Tuが戻って来るまでは皆待ちの状態なのだ。早速、健側の鎖骨上を展開していく。鎖骨を露出しomohyoid muscleを展開するのだそうだが、fatが多く多少手間取る。ようやく見つかったのだが、その下面にあるはずの腕神経叢がなくて再び筋肉成分が現れる。??とDr.Tuが珍しく躊躇している。今まで見たことがない解剖なのだそうだ。何と、omohyoidが二つ存在しているのだそうだ。近位側に更に延長して事態が理解出来たようである。このようなケースに遭遇した場合には、焦らず展開を広げて馴染みのあるランドマークとなるような解剖を見つけることが重要かも知れない。事態が呑み込めてからは神経叢を展開していった。1本ずつ同定しながら進めていく。肩側からsuprascapular、C5、C6・C7と存在し、深層に血管に近い位置にC8Th1が存在する。これらを何度もneurostimulatorを用いながら丁寧に確認していく。この症例はC6と思われるnerveの働きはBicepsの動きが大半であった。C7と思われるnerveは何度も何度も刺激して動きを確認する(犠牲にする訳だから)。ここで技を教えてくれた。このC7のnerveを前方と後方に分けて、それぞれを刺激するのだ。すると前方成分は主に大胸筋の動きで後方は上腕三頭筋や手指伸筋なのだ。すなわちhyper selectiveに神経を利用しようというのだ。前方だけを犠牲にするらしい。大胸筋力と指の知覚障害が多少犠牲になるとのこと。。。始めはriskyに感じていたが、何だかその位なら多少は仕方ないのかとも思ってしまう。
17:30 いよいよC7の前方成分のみcutする。長い患側からの尺骨神経断端をrefreshしてsize muchingさせていよいよ縫合となった。先ほどよりも術野が狭く深いので、若干やりにくそうではあったが、またもやルーペのみでうまく合わせながら縫合していく。最後の1針をやってみるか?といきなり言われて渡された。きっとテストに違いないと思ったが、ちょっと動揺してしまう。まあまあ手技的には普通に縫合できたが、funiculusがちょっとはみ出ているようで、それが気になり、申し出た。Dr.Tuは解った代ろうという感じで、はみ出たfuniclusを処置してくれてそのまま縫合してくれた。あ~、良いところを見せられなかった。これくらいの技量なのかと一発で判断されたのだろうなとがっかりしてしまう。もっと自信を持ってゆっくりとすれば良かった。今後もこういうケースがあれば物おじせずやらせてもらうことにしよう!!
18:00 終了した。あとの閉創と片付けを任せて手術室を後にした。自分としては最後が残念だったけど、また良い経験を積ませてもらった。日本にいては味わえない体験だった。凄すぎる!
18:30 いったんドミトリーに戻って、入口に向かう。程なく、Dr.Tuが自家用車(BMW)で迎えに来てくれた。Dr.Tuのお母さんも少し遅れてやってきた。今日はみんなで日式料理屋に食事に行くことになっているのだ。現地でFloraが合流するとのこと。
19:20 高雄市内のレストランで4人わいわいと楽しみながら食事したのであった。Dr.Tuはあまりシリアスな話や仕事の話はしたくないのかも知れず、できるだけ他愛もないことをFloraと喋っているのが良いのかな~と思っていた。こういう時に息抜きでしょうからね。
21:30 ちょっと満腹でドミトリーに戻った。ノンアルコールだったので身体は楽である。

2009/11/6 研修3日目。夜に念願のナイトマーケットへ出向く。 [平日]

6:35 少し遅れて整形外科(骨科)病棟に到着。教授はすでに来ておられ、幾つか同僚たちの要望などを聞いたりしている。今日も担当看護師とともに回診について回る。
7:00 3日間回るとだいたい雰囲気は解ってきた。教授の受け持ちは脊椎・人工関節がmainとなっており、あとは腕神経叢麻痺の再建後の患者もいる。外傷患者は現在ほとんどいない。外傷は馬先生が中心になっているとのこと。
7:30 今日はmorning conferenceがあり、担当医師がトピックを講演する形式になっている。学会も近いのでその予演も兼ねている。顔先生が2つ発表するようで英語でプレゼンしてくれたので良く理解できた。2つとも腕神経叢麻痺に関するネタだった。
8:30 カンファが終了した。今日は教授が外来日なので馬先生につくことになった。馬先生が最近しているという下腿開放骨折の二期的手術(ロッキングプレートを使用する)についてスライドを用いて説明してくれる。基本的には理解できるが、創外固定の代わりにロッキングプレートを使用するというので若干抵抗があった。今日はそのsecond stageの手術があるということなので興味がある。
10:30 1例目はTKAだったので来ても来なくても良いということになっていたので、遅れてぶらりと手術室に入っていくと、もう既に終了して更衣室で着替えをしていた。1時間程度で終わっていたのだろう。ここではたいがいの手術時間は短い。
11:00 手術室内をぶらつきながら、次の手術(外傷症例:下腿開放骨折のsecond stage op)の説明を馬先生から受ける。彼のPC内には今までの症例のstockがかなり蓄積されており、かなり激しい外傷症例の再建も綺麗にされている。朝にミニレクチャーを受けたロッキングプレートを用いた創外固定症例もかなりされている。軟部組織欠損は即日は簡単な局所皮弁で覆っておき、後日必要であればfree flapを行うとのこと。Dr.Tuはこの種の手術に関しては馬先生にもう任せていると思われる。
11:30 手洗いさせてもらって手術に参加する。創外固定に用いたロッキングプレート(ステンレス製のオリジナル)は近位・遠位1本ずつのscrewを残すのみで他は抜去して設置したままとする。image下でalignmentが良好であることを確認した後、シンセスPLTプレートを挿入する。展開はばっさりと骨膜まで電メスで行っていた。皮下トンネルの作成には長いPLTプレートを用いていたのには驚く(使い回しているのだろう)。脛骨にプレートが良い位置で設置されたことを確認した上で近位・遠位を仮固定(K-wire:ケイピンとか呼んでいる)。プレートが脛骨から若干浮いているのはconventional screwを用いて寄せるのかと思いきや、このgapを寄せる専用のデバイスがあって(セットの中に常備されていた。羨ましい。)、それを用いて徐々に寄せていた。Imageで見るとしっかり寄っていたので感激した。その後は順次ロッキングスクリューを設置していく。手技はかなり手慣れており、screwのサイジングは全く行っていなかった(術前に計測しておくのだそうだ)。基本的に遠位の骨幹部のscrewはmonocorticalを用いるとのこと。近位のscrewは関節面の整復にprimaryの手術で用いたscrewと若干干渉しそうではあったが、うまいことそれぞれのscrewが良い位置に刺入されている。最後にデバイスを固定していたholeも利用してscrew固定を行う。最後に骨折部の骨欠損部に注射器で骨充填(人工骨)を行い、ものの1時間足らずで手術は終了となった。このような手術が定期的にあるのであれば、この病院での研修もかなり面白そうだなと思った次第である。
12:30 手術合間に電話で注文していたミルク紅茶+ゼリーと弁当を頂く(レジデントの先生におごってもらってしまった)。再び昨日同様、北京ダック+餃子の皮などが振る舞われる(誰が買ってきてくれているのだろうか?)。今日は食べ過ぎないように注意した(弁当を少し残す)。
13:00 チーフレジデントの先生が馬先生抜きで大腿骨頸部骨折の人工骨頭置換術の準備をしていた。結構人がいたので手洗いはいいかなと思っていたが、誘われたので参加することになる。後で助手のうちの二人は業者さんであることが判明する。この病院では業者が一緒に手洗いすることも多いようだ。手術は側臥位で側方より侵入するが、前方アプローチ(中殿筋や前方関節包をT字型にcutして関節内に到達)で行っていた。こちらの方が脱臼も少なく展開も楽だとのこと。骨頭の抜去、大腿骨側のリーミングまでは順調に行われたが、ラスピングで近位のcalcar部分のbone supportが失われていることもあり、ステムが緩い。結局はセメントを用いることになった。結局は途中より馬先生も加わって、設置した。あまりネック長決めを細かく行わなかったこともあり、結構tightな印象。腸腰筋を小転子から剥離し何とか整復できた。最後にfasciaを何ヵ所かcutして緩くしていた。
14:30 呉先生が手関節鏡をするというので見学に行く。主訴は手関節痛ということで画像的には特に大きな問題はないようだった。軽度の滑膜炎が疑われ、診断を兼ねた滑膜切除といったところであろうか。手関節鏡の牽引システムはspiderという気圧を利用したものを用いていた(良さそうだったがかさ張るのと高価では?)。手術は座って落ち着いて行う感じだった。手技的にはまだそこまで症例数をこなしてはいないようだったが、TFCCを扱う人にみられがちな若干の粘着気質ぶりが垣間みえたのが面白かった。結局はSLの若干の損傷で同部に軽い滑膜炎があったのと、尺側関節包周囲にも軽度のみ滑膜炎が見られたのみで、最後にステロイドを注入して終了となる(この処置だけでも結果は大差ないかもしれないなとか心の中では思っていた)。
16:30 他の手術も見に行くが、TKAの最中とちょうど入れ替えの時のようであり、今日はここら辺にして切り上げることとした。
17:00 医局で仕事をしていると、日本語を少し使う秘書さんが寄って来た。日本語を習いたいのだろうか?結構話好きの子である。しかし、今、秘書さん達は来週の学会準備で大忙しのようだ。
18:30 いったんドミトリーに戻って休憩することとした。今日は教授がナイトマーケットに連れて行ってくれるということである。
20:00 日記をつけたり仕事をしていたら疲れてきてしまい、音楽をかけながらウトウトしてしまっていた(一応、念のためアラームはセットしてはいたが)。
21:30 FloraからPHSに連絡が入った(21時頃から何度か連絡してくれていたようだ)。外来も終わったので今から行きませんか?ということだった。
21:45 教授の車をFloraが運転するというスタイル(4夜連続)で今日も出かけることになった。教授は長時間の外来で結構疲れているハズだが、今日はまだ少ない方だったとのこと。何とも信じ難いくらいの仕事ぶりだ。
22:15 六合ナイトマーケットに到着した。ここは有名な観光地にもなっており、露店が所狭しと軒連ねている。この風景は台北で行った夜市と同じ風情(こちらの方が少し規模が小さいか?)である。まずは臭豆腐などを頂く。
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お腹も空いておりちょうど良かった。その他も、台湾風おでん、エリンギのから揚げ風、メロン牛乳、龍角という栗のような味の食べ物、また教授お薦めの牡蠣の卵とじお好み焼風などいろいろとtryさせてもらう。
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かなりのhospitalityの良さであり、こちらが恐縮してしまう。日本でこれだけの接待を同じように来客に対して出来るだろうか?疑問であるが、今後は少しでも見習わなくてはならないと思われた。
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23:30 結構遅くなってしまったが、夜市はまだまだ開いている(だいたいAM2時頃までは営業しているとのこと)。Floraもお腹がいっぱいで少し眠そうだ。運転が心配だったが、元気に車を飛ばしてくれた。
24:00 教授はまたこれからいったん病院に帰ってから帰路につくとのこと。本当に信じられない生活を送っている。とても真似はできない。

2009/11/5 研修2日目少し慣れてきた。今夜もディナーに招待される [平日]

8:30 今朝は教授が別の会議があるということで、回診開始が遅くなっていたため、この時間に来るように言われていた。まず、朝食を一緒に頂く(こんな待遇で本当に申し訳ないと思うが)。その際に、来年の1月から改めてのfellowの申し出を行った。妻と同伴でも問題ないし、部屋は広い所をアレンジしてくれるとか、テレビ・レンジなども調達できそうだとか言ってくれた。かなり破格の対応であり嬉しく思うと同時に、頑張らねばと言う気持ちにさせてくれる。
8:45 回診を始める。今日も昨日同様一人ずつ回って行く。私に対しても患者さんは挨拶してくれるし基本的にみんな人が良い(田舎の人の良い古い人達の集まりみたいな感じ)。若い患者に兄弟(そっくりなだった)が付添いについていたり、まだここらでは家族の絆が強いのだろうなと感じた。昨日の手術患者もみな経過が良く安心する。
9:45 本日の手術開始は遅めであるので、いったん医局に戻ることになった。
10:00 途中、図書館の担当の人を紹介してくれ、本の借り方などを教わる。また、教授が幾つかflapの本を貸してくれた。暫く机で仕事をして過ごす。
10:40 手術のsettingが進んでいるということなので、手術室に向かう。本当は手術のsettingくらいから待機しているくらいの気持ちがないといけないと思うが、次回の研修時には自ら志願しようと思う。今回は甘えさせてもらおう。
11:00 上位型BPIのOberlin法で昨日と同様のケースであった。今日は私に展開させてくれるということになっており、多少焦りながらも行っていく。上腕二頭筋長頭と短頭の区別が付けにくいのだが、そのコツを教えてもらう。上腕骨側に行きすぎないことと、muscle bellyの分かれ目をしっかり見つけること。そうすればそれぞれの筋間に存在する筋皮神経を容易に同定できる。しかし、今日は破格があり、運動神経の分岐が本来は長頭へ一つだけであるのに、短頭へも一本伸びていた。しかも長頭の方への運動神経は電気刺激すると若干muscleに収縮が見られる。これはどういうことだ?と教授が感心しはじめる。非常に稀なケースだそうだ。今回はhighly selectiveなOberlin法を行うこととなる。尺骨神経と正中神経はこのレベルではかなり接近しており、はじめ正中神経を露出(上腕動脈に伴走しているので解る。勿論刺激で確認すれば一目瞭然)してしまい、その後やや奥下方の方に存在する尺骨神経(伴走静脈が多い)を展開し直す。ここまでで私の役目は終了となり、教授と交代した。
11:40 筋皮神経の短頭へのbrunchのみを使用し、尺骨神経の橈側半分と縫合する計画となる。筋皮神経の分離、切離は裸眼では出来ない。教授は3.5倍のルーペ(20年前から使用している年季の入ったもの)でラクラクすすめる。神経長が短く、縫合が困難と思われたが、グリーンシートに切り込みを入れて短い神経縫合をする時のコツを披露してくれる。その後、再び尺骨神経側に移り、必要な長さ分を展開し半分に分離していった(やはり電気刺激を小まめに行いcheckする。Donor siteの脱落症状を危惧するため)。尺骨神経を刺激し、橈側よりも尺側の方が指屈筋力の強いことを示してくれる。特殊症例であったがとても勉強になった。無事に尺骨神経の橈側半分を採取してマイクロ下縫合に移った。
12:30 funiculusは尺骨神経側が2本、筋皮神経側が4本程度見えたが、refreshした上でepneuriumのみsuture する。10-0ナイロンで5針のみ。簡単に終了してしまう。
12:50 休憩室で昼食を摂る。今日も弁当だったが、更にスープと誰かの差し入れで北京ダック様の食べ物やら肉炒めのようなもの(ビニールに詰めてある)が振る舞われる。加えてコーヒーやjelly入りの紅茶などまで。。。。看護師さんにはクッキーをもらってしまうし。この調子だと確実にぶくぶく太るので、本気で運動する計画を立てよう。
13:20 医局に戻ってくる。今日はこれから特にdutyはないということなので、freeになった。医局秘書さんに病院でもインターネットを使わせてもらえるように頼む。
14:30急ぎのメール確認などがあるためいったん、ドミトリーに戻らせてもらうこととする。外はほんのり暑い。福岡の9月下旬くらいの気候であろうか?湿度はそれ程気にならない。
17:00 ドミトリーで仕事をしていると、教授からPHSに連絡が入る。今晩も食事に誘ってくれた。どうなっているのだろうか?かなりヤバい接待なんですけど・・・。断る理由もないので快諾させてもらう。
18:20 来週の学会会議が終わったら連絡してくれるということになっているので医局に出向いて待っている。NHK中国語講座を開いて勉強しておくことにする。途中、フローラも現れて(やはり教授の個人秘書なのか?)一緒に終わるのを待っていた。
19:10 ようやく終わったようで(教授だけ抜けてきた感じで残りのメンバーはまだ続けていた)、3人で再び(これで三夜連続となる)高雄市内に向かう。
19:40 市内の台湾式しゃぶしゃぶ料理屋に入る。フローラはかなり空腹らしく食欲旺盛で一気に平らげていた。私が一番食事の進みが遅い感じ。たれがレモングラス風味でなかなか美味しかった。
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21:00 車で病院に戻る。来週の学会後のディナーでは私までVIPの席(日本の教授などと一緒)に座るハメとなってしまった。。。かなりヤバい。逃げたくなってきた。
21:40 少し医局に寄ってからドミトリーに戻った。今日も接待を受けてしまった。

2009/11/4 義大病院研修初日、夜には愛の河でクルージング [平日]

6:00 起床。目覚まし一度でしっかり目が開く。まだ緊張感があるのだろう。部屋は空調をつけなくても程よい温度だが若干乾燥気味だった。
6:20 遅れないように病院に向かう。いったん医局に荷物を置いてから、昨日指示されていた7F病棟(整形外科)に向かってみる。すでに教授は来ておられるようだ。
6:35 教授と専科看護師(長年の付き合いのよう)とともに回診に回る。回診予定患者の一覧をプリントアウト(この看護師が朝来て作成しているらしい)したものを頂き、1人1人結構細かく説明してくれながら回った。BGの回診の時とは偉い違いである。
7:00 合計40人近くを一気に回る。みな経過は良く関係も良好なようである。教授は患者や家族からかなり信頼を集めているように見受けられた。しかしこれだけの患者を教授自ら毎日(日曜もしているとか・・・)回診をこなしているというのだから驚きである。日本人以上にworkerholicであろう。
7:40 手術室で着替えてから、看護師が用意したという朝食を手術室内の休憩所で頂く。これが教授の日課になっているようだ(家で食べていないのか?もしかして独身?とか思ってしまう)。ハンバーガーと牛乳という感じだった。
8:20 1例目の手術が搬入されてきた。Settingは下の先生(*後で気づくのであるが、Drではなく、技術士という手術アシスタントだった)がしている。1例目は上位型腕神経叢麻痺(C5・6)に対する、神経移植(Oberlin法)であった。Dr.Tuはもう一つの列を並列して受け持っており、それぞれの患者に顔を出して挨拶している。もう一つはC5/6 myelopathyのASFであったが、影武者の先生(教授が既に教育して信頼している部下)が執刀することになっているよう。
9:00 私もOberlin法に参加させてもらう。皮切は腋窩から4横指を中心に上腕二頭筋筋腹中央を通るよう緩いcurved incisionとした。説明をしながら丁寧に手術してくれた。筋皮神経、正中神経(本来は展開する必要はないが解剖の説明のため見せてくれる)、尺骨神経をものの見事に展開する。止血はバイポーラを殆ど使わずにミニクリップを使用していた。筋皮神経の遠位側と尺骨神経(橈側半分)の近位側を吻合するわけだが、見ていると実に簡単そうである。縫合出来る程度に十分展開、切離を行ってpreparing終了。Micro導入となった。教授はその都度手を止めて写真はいいか?と言ってくれるので、私自ら手袋を重ねてデジカメでバシバシ撮っていく。いい記録になることだろう。
9:40 閉創は下の先生*(と言ってもかなり慣れている:後で気付くがドクターではなかった)に任せて教授と私は手を下させてもらった。もう一つの手術の進行具合を見にいった後、休憩となる。
10:30 次の手術のsettingに入っている。申し訳ないが私は教授と行動を共にさせてもらったのであまり手伝っていない。
11:00 2例目も腕神経叢麻痺で、こちらは下位型で広背筋弁による手指屈曲再建が予定されていた。側臥位にsettingして前腕を回内位(この症例は回外制限があり、回内がかなり軟らかかったため)で保持。まずは手指屈筋腱を露出させる。正中神経、尺骨神経を確認し、FDP・FDS、FPLを同定しておく。その後、広背筋弁の採取(有茎)に取り掛かる。
12:00 広背筋前縁を確認しつつ、前鋸筋と剥離しながら、後縁(それ程幅は必要ないためmuscle fiber方向に沿って電メスでsplitして必要な幅分を採取していく感じである。筋量も多く比較的良い筋弁が採取出来そうである。胸背動静脈と前鋸筋枝の露出、胸背神経を同定しmuscleの収縮を何度も確認していた。前鋸筋枝を結紮すれば、筋移行の際にさらに遠位まで移行できる距離が稼げる。見ている分には簡単そうだ。遠位側断端はfascia成分となって棘突起に付着する部位まで露出した上でcutする(必要な長さをメジャーで計測しておいてから)。次に皮下トンネルを作成(筋膜までcutする)し、順次通して行く(この皮下トンネルがきついとmuscle収縮のglidingがうまく伝わらないため宜しくない。皮下トンネルにはガーゼを通して拡大していた。また、用手的剥離も結構重要な手技である。結局2ヵ所の別皮切より皮下トンネルを作成して遠位側の屈筋群の位置まで誘導する。
12:30 縫合は手指屈曲位(PIP関節を90°程度にK-wireで固定)、手関節・肘関節屈曲位で行った。移行した広背筋の遠位断端(筋膜部)はhalf slipとして、一つはFDP群、もう一つはFPLに縫合するが、更にこれらをクロスさせて最終的には一塊として強固に固定した(母指とその他の指の屈曲は同時になるが、伸展力によっていずれは分離運動が出来るようになるとのこと)。縫合は太めの吸収糸で行っていたが、かなり速かった。
12:30 先程と同様、閉創は下の先生*に任せて終了となった。この先生*は杜先生と長年のコンビのようでかなりの信頼関係にあるようで、とても柔和な感じの先生*だ。手術終了後は、手術記録を入力(雛型が既にあり多少改変するだけ)し、保険点数をcheckする。台湾の保険点数は、低い日本の点数よりもさらに低いことが解った。これだけ働いても大して稼ぎにならないと教授は嘆いていた。日本で同じことをしたら相当儲かりますよと。13:00 休憩室で弁当の昼食を取り(休憩室に業者?が弁当を持ってきてくれており、名前にサインすればもらえる。自分の分は教授が払っているみたい)、休憩する。
13:30 次は圧迫骨折のおばあちゃんの経皮的椎体形成術。腹臥位になる時は結構痛そうだった。以前インストゥルメントを用いた固定をした上位椎体でのfresh骨折症例である。ImageはAP、側面を同時に見ることができる優れものであり、これがあればこの手技はかなり楽であることが解った。
14:00 局所麻酔+静脈麻酔で少し眠たくさせている間に手技を行い終了となる。ものの15分くらいで全て終了。片側のpedicleから正中に向かって骨セメントを充填していく(詳細不明だが、バイオペックスのような材質で3cc使用した)。これで十分だとのこと。あまり量を増やしたり、圧を高めてしまうとextraverzationを来してしまうらしい。この手術は簡単な割には保険点数が高いので教授曰くオイシイ手術とのこと。
14:30 次は脊椎の固定術だったので、教授はどちらでもいいよと言っていたが、せっかくなので一度は見ておこうと思い、外から見学させてもらうことにした。展開はわずか10分程度で椎弓まで到達し傍脊柱筋を確実に外側まで剥がしている。長崎のK先生もそうだったが、この展開が脊椎固定術の際には重要と思われた。
15:00 しっかり展開した後、椎弓切除を手早く施行し(2椎間、あまりエアトームは使用していなかった)、固定に移る。椎間板を廓清した後、ケージを挿入していく。ここら辺の手技では、看護師が切除した椎弓を細かく砕いて植骨用のケージを既に作成しているという準備の良さ。見事なチームプレーがなされており感激した。
15:30 固定終了。何とPLIF2椎間を1時間で終わらせてしまった。。。固定のバーの弯曲程度はすでに作成されていたし、インプラントの設置、固定も手際良く終わってしまっていた。こんな手術ならかなり楽だと思われた。ポイントはpedicle screw設置の確認(Imageでcheckはするものの、だいたい場所と方向が解っているので楽なのだろう)、アシスタントや介助Nsの慣れの問題であろう。皮下・皮膚縫合を任せてまた手を下させてもらう。
16:00 休憩室でコーヒーブレーク。他の手術を終えたメンバーや業者も一緒に休憩する。この時間はかなりくつろいだ雰囲気となっており、教授を中心としたチームワークの良さをかなり感じる。
16:30 教授はもう一つ脊椎固定に向かい、自分は医局に戻ることになった。途中図書館があったので、暫く寄っていろいろと物色してみた。使い勝手は良さそうであり安心した。
17:00 医局に戻り日記をつけたりして過ごす。
17:45 約束の時間の5分前にしっかりと教授が戻ってきた。やはり1時間程度で脊椎固定を終わらせていることになる。。。今晩は整形外科チームによる歓迎会ということになっているので準備をする。
18:00 フローラが今日も迎えにきてくれ、車で高雄市内のレストランに向かう。多少渋滞はあったが、だいたい予定通り到着。
18:30 デパートの上階のフロアを貸切り、(大きく義大骨科部晩餐会とか書かれている!)行われた。3-4人が遅れてきたが、徐々に始まる。料理はコースとなっていた。
19:00 教授が一人一人の先生と看護師3人(外来のフローラと手術室2人)を紹介してくれた後、自分がみんなに自己紹介を行う。中国語は冒頭のみしか喋れず、途中から断念。終わった後の拍手は普通(机を叩くのではない)だった。結構、みな人が良い。一気に名前は覚えられなかったが、雰囲気は良く解った。
21:30 お開きとなり、教授とフローラと3人で愛の河という観光スポットに向かった。リバーサイドの景色のよい所だそうである。
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22:00 橋や船にイルミネーションがついており、カップルも多くロマンティックな所のようだ。
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遊覧船(20分程度)に乗ることになった。途中、低い橋をくぐる時に船の屋根が低くなるというサプライズもあり(松江の遊覧船みたい)、楽しませてもらった。カフェでコーヒーなどを飲んだ後、帰路に着く。教授は普段だったらまだ病院にいる時間だからととてもリラックスできて嬉しいと言っておられた。
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23:00 病院に到着。今日も途中のコンビニでお茶や水を購入してくれたのでした。

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