2010/01/31 久しぶり特に出かけずののんびり日曜日 [休日]

6:20 今日はK先生帰国の日ということで、空港まで送りに行くことにした。教授は昨晩病院に泊まったようで、その足で教授自ら空港まで車で運転して送ってくれることになっていた。19分に待ち合わせのドミトリー前に行くと、既に教授の車は到着している。Kさんが2-3分遅れてやってきた。もう来ているのを察知して急ぎ足となる。教授自らがこの行動なのだから、下が遅れる訳にも行くまい。。。
7:00 朝の高速道は空いており、20-25分程度で到着した。教授はいったん駐車場に車を停めに行っている間に、チェックインを済ませる。受付の女性は日本語が上手なようだった。KさんはJALもANAもマイルはプレミアム会員になっていた。このクラスになると出張費が自前ということもなくなるだろうから、タダで溜まっていくという感じなのだろう。そこに行きつくまでが大変なのでしょう。でも羨ましい。
7:20 8:50分発JAL成田行きということで、まだ時間に余裕はあったが、謹賀新年のデコレーションの前で記念撮影をした後、お別れとなる。
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今回の訪台は色々な意味でかなり恐縮したことだろう。先生は正直どのように感じて帰国していっただろうか?興味がある。
8:00 病院にいったん戻ってくる。地下のフードコートで教授と2人で簡単な朝ご飯にする。ここでの話題は日本の大学の給料がいかに安いか、バイトをしなければ生活できないことなどを熱く話した。日本のシステムの問題、医局制度の良い点、悪い点など。給料に関しては信じられないと言ったような感じだった。バイトも臨床をする上では良くないと嘆いていた。少しは日本の医者の苦しみを解って頂けただろうか?
8:30 いったんドミトリーに帰り、洗濯物などを干すことにした。教授はこのまま病院に残り、仕事をするとのこと。また後ほど医局で落ち合おうと言って別れる。
9:50 医局で妻が送ってきてくれていた荷物を開封する。数日前に届いてはいたのだが、K先生が来ていたこともあり、遠慮して開けてなかったのだ。これから皆の分を小分けにして、教授・お母さんの分も分けておく。妻手作り(翻訳:私)のぶっかけうどんなどの作り方レシピが素晴らしい。きっと喜んでくれることだろう。
10:10 教授が現れたので、特製のうどんセットを紙袋ごと渡す。少し重いですが、、、かなり感動して喜んでくれている。きっとお母さんの所で一緒に食べてくれるだろう。もしかしてFloraとも食べるかも?(Floraにも後日別に小分けで渡します)。今から、教授と隣の大学の研究室に行って実験を見学することにしていた。バイオメカニカルstudyの1つで、犬の脚のcadaverを用いてscapholunate instabilityについて調べるとのこと。学生や研究担当医師達に犬の手根骨周囲の解剖を説明したり、実際に展開しdisectionを行った。犬の解剖など見たことがなかったのでとても新鮮だった。人間に比べて皮が厚いことや、中手骨がかなり長いことなど特徴がある。しかも犬には尺骨がない(尺骨を持つ種もあるそうだが稀とのこと)。前腕での回内・回外の必要がないからということであろうか?手根骨も似ているようで若干異なっていた。舟状骨はNavicularと訳されていて(人間で言うと足の舟状骨)、実際に舟の形だし何となく納得。学生はビデオにその様子を撮影したり、熱心にメモを取っている。日曜日にも関わらずなかなかactiveな学生たちだと感心してしまう。
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日本でももっと学生を有効に活用することが今後の研究活動においては重要なキーポイントになるだろう。特に中国や台湾などから日本にやってきた留学生とコラボを行うことがお互いにとってプラスになると確信する。
11:30 だいたいの過程を指導し終えた後、医局に戻る。これからは地元の議会の人達との会食があったり、面倒な仕事が残っているそうなのだ。今日はここでお開きとなった。
12:00 日差しの強い中をドミトリーに戻る。今日は室内でも洗濯ものは渇きそうである。食事時であったが、あまりお腹が空いていなかった。早起きしたせいだろうか?何となく身体がだるい。しかし、教授は本当にタフである。自分は責任もない見学の立場なのに疲れてしまうとは・・・
13:00 何となくベットで横になってしまう。少し昼寝をすることにしよう。。。今日はどこにも出かけず休養をするのだ。
16:00 いつの間にか夕方になってきている。まだ外は明るいが日差しは弱まっている。K先生が来てから日記をつけていないのでかなり溜まってしまった。今からまとめて書くことにしよう。
19:00 小腹が空いたので、地下のフードコートに晩御飯を食べに行く。日曜日は比較的早めに閉まる店もあるようだ。いつものようなメニュー(肉操飯+チキンスープ)をオーダーしていた。

2010/01/30 目いっぱいに詰め込まれた手術・・・ [土曜日]

7:00 土曜だからと思って少しゆっくり病棟に出向くと、既に教授達は周り始めていた。1/4程度回っていたところに合流する。今日は7:30~病院の全体の講演があるとのことで早かったようだ。
7:20 今日の手術予定(8人)のうちの何人かを説明してくれたりしながら急いで回る。今日はBPIの手術が2例も組まれている。
7:30 教授とDr.許は講演に向かっていった。K先生と私はFloraが買ってきた朝食を持って先に手術室に行っておく。
7:50 朝食を食べて着替えて待っておく。手術室内を簡単に案内しながら、予定の部屋に向かうと患者が既に搬送されてきた。
8:00 程なく教授が着替えて現れ、2つの部屋の患者に麻酔前に挨拶をして回る。その後麻酔をかけ始め朝食を取ってくるといういつものスタイルである。
8:30 1例目はspineとTKAであり、いずれも2人ともあまり興味がないこともあり、ぶらぶらしながら過ごす。しかし、Spineのあまりの進行の早さには驚いていたようであった。
9:30 TKAが遅れていたが、Spineは終了していた。次の手術まで少し時間があったので、教授が手術室内の中材や滅菌関係(教授がデザインしたとのことで自信作のようだ。私は、すでに何回か見学に来ていたのでその都度聞いている)の部屋へと案内される。
10:10 ACLが始まろうとしている。本来ならば、隣の部屋のTKAが終わり次のBPIが始まるはずなのだが、時間的に押してしまい教授がMr.シーと一緒にACLに入っていた。実際、教授はあまり手技は行わず、Mr.シーがしている。ある程度目処がつくと手を下す。前回もみたが、40分程度で終わらせてしまうのである。骨孔の設置位置などに多少の議論はあるものの、K先生も少し唖然としているようだった。何となくここのスタイルがつかめてきたようである。
11:10 もう1つの部屋でBPIのdouble nerve transferが始まる。まずは、SA→supra scaplaris nerveの移行から開始する。SAがなかなか同定できないようだった。
11:50 ACL終了後、急いで片付けて、次のSL dislocationの症例が搬送されてきていた。隣の部屋のBPIが滞っていたこともあり、教授が手を下して、こちらの部屋にやってきた。今日は何となく時間がずれ込んでしまっているので、周りが悪い。同時に入ってきてしまっているので、うまく進まないのである(片方はその間ある程度休憩になってしまうので)。
12:30 月状-舟状骨間の離解はXpで明らかである。陳旧性とのことで、背側の靭帯の再建を行うと言っていた。早速、間髪を入れずに手術は開始した。Retinaculumの遠位側を若干cutし、関節包を露出(これはcutしたのち温存しておく)。関節内を展開すると、SL ligamentは完全消失しており、瘢痕様組織が充満している。月状骨、舟状骨にK-pin刺入し、それをjoy stickとして離解を整復していた。Image確認は全くなしだった。SL間がしっかり寄ってくることを確認し、revo screwをそれぞれに刺入し、suture anchorを行う。工夫していたのは、断裂していた瘢痕様の組織をaugumentに利用していたことと、retinaculumのdistal endをflapとして補強していたことである。血流のある組織でカバーすることで癒合を高めようということであった。更にEPLの走行に関しても注意を払っていた。
12:40 閉創は任せて手を下し、昼食を取ることになった。二列目の部屋の進みが遅いので今日は少し長引きそうだったが、昼食はしっかりと取って休憩を取る。
13:10 BPIの部屋に戻っていく。SAはMr.シーが待っている間の時間に何とか探しあてていたようだった。教授が加わってSA→Sspへの神経移行・縫合を行う。神経縫合後はfat tissueでカバーしていた。
13:40 閉創を任せ、またいったん体位を変えることとなったので再び手を下ろし、もう1つの部屋で準備されている、BPI②の方を始めることとなる。まずは、肋間神経の同定からスタートする。この症例はCG記念病院のD・C先生が手術をしたが良くならなかった症例のリカバリー手術である。FFMT(Gracillis muscle)を行うようである。こんな大きな手術があるにも関わらず、他に7件も入れているのだから異常である。
14:30 肋間神経を1本同定し、もう1本をやり始めて疲れが出たのだろうか手を下す。少し休憩に入った。その間にMr.シーが少し進めていくようである。彼もまた異常だ。
14:40 もう一列の方がまだ残っているのだ。体位も変わって、Oberlin法を残すのみとなっている。いったんやり始めると早い。筋皮神経をものの数分で展開し、尺骨神経を同定していく。尺骨神経を見つける前に、上腕動脈に伴走している正中神経が出てくることが多い。電気刺激が必ず確認してから、展開を進めていく。尺骨神経が同定されてから利用するのは橈側側のfacicle(手関節の機能がmain)なので、しっかり同定する。尺側を利用すると、術後の犠牲症状が顕著になってしまうことが多い。何度か見ていくうちに簡単そうには見えてくるのが不思議である。Facicleを分けていく作業もvessel tapeで緊張をかけながら助手と上手くやっている。今日は縫合する神経同士が緊張しており、少し視野の準備に苦労した。縫合はルーペ下で5-6針。ここには静脈ラッピングを行っていた。
15:50 こちらの手術は終了した。もう一方で肋間神経の同定が残っていたがどうやら、再びMr.シーが展開してくれているようだ(本当に信じられない・・・)。
16:00 コーヒーブレイクに入り気分転換をする。ちょっと疲れていたので英気を養ったようだ。
16:10 BPI②の方に戻る。ICNの展開はほぼ終了しており、教授がMr.シーの報告を受け確認している。少し手を加えた後、いったんこちらはカバーして置いておく。
16:30 Gracillis muscleのHarvestingに入る。もう一方の部屋では、大腿からのamputation症例が入ってきているようだ。こちらは、Dr.許が行ってくれるようである。他のレジデントも今日はもう2人来ていて、BPIの方に入っていたが、人が多過ぎて手持ち無沙汰のようである。Amputationの方に入ればいいのに?とか思ったりしたが。。K先生はマイクロの手術を見たくてわざわざ来たのだが、今日はこの症例くらいしかないから多少残念かも知れない。しかし、この驚異的な手術の入れ方には度肝を抜かれているに違いない。
17:00 だいぶGracullisのharvestingも解ってきた。あとはCadaverで何例か自分でしてみればもう一人で出来そうである。Neurovascularだけの状態として、1A2Vを採取。閉鎖神経はできるだけ長く採取する(縫合の際に有利)。遠位端の鵞足部でcutし完全にfree となった。
17:10 settingを始める。移植筋をまずは仮固定を行う。
17:50 なかなか縫合までに時間がかかるsettingが困難のようである。動脈縫合を開始する。
18:30 動脈吻合終了。リーク殆どなし。サージセルでカバーしておく。
18:45 静脈縫合のsettingが済み、縫合を開始する。静脈は2本採取したうちの1本を利用するのだが、もう1本の止血処理をしっかり行っておかねば、後で出血原因となるため気を使う。静脈の方は全周の縫合を終えて、クランプ除去した後、リークが若干みられるようだ。この止血に暫く時間を取られていたようだ。追加で2-3針していたようである。かなり今日の縫合は難易度が高そうであった。血管が宙に浮いたような位置での縫合であるのに加えて手の保持する位置が難しいのだ。たくさん場数をこなさなければ出来ないかも知れない。
19:30 神経縫合に移る。Gracillisのharvestingの際に採取しておいた皮下静脈をラッピング用に使用する。閉鎖神経の太さにICNの2本(Fascicle2本づつ)が程良い太さ同士だった。表3針、裏2針の5針で綺麗に寄った。ラッピングをして終了となる。
19:50 ある程度閉創を行った後、隣の部屋で最後の症例(局所皮弁)が準備されていたので移動する。当初は肘周囲の軟部組織欠損に対してLD移行を行うと言っていたのだが、創が比較的浅くなっているということで(実際問題は時間がないということもあると思う。正直)簡単な手術に変わっていた。穿通枝の出てくる位置を講義してくれた後、皮弁を作って回してくれた。そう難しい手術ではない。問題は適応である。どういう時にどのようなflapを行うのがbetterであるのか?flap surgeonの中には自分がしたいからという理由で本来必要でないような症例にもflapを持ってくる人間もいるから。
20:30 BPI②の部屋では最後の閉創にみんなで当たっていた。一番大事な移植筋周囲の閉創は残してあり、ここは再び教授が加わり自ら行う。見事なチームワークで本日のかなりtightな手術が終焉に向かっている。普通これだけの手術は1週間くらい見るのではないだろうか?疲れた所で記念撮影を。
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21:00 待望な晩餐会が待っている。Floraがどこかで待っていており、車で迎えに来てくれた。4人で街中の陶板焼きの店に向かう。現地でMr.シーが待ってくれているとのこと。
21:30 陶板焼きの店に到着。5人で楽しく会食となる。教授はこの瞬間がとても幸せなようだ。チームを労うと同時に、訪問者に温かいもてなしをする。それが生き甲斐なのかも知れない。
23:10 少し遅くなったが、病院に戻る。教授はこの後、病棟に患者を見に行くようだ。。。。

2010/1/29 朝のカンファでプレゼン行い午後は市内観光に出向く [平日]

6:45 病棟に向かう。今日はカンファがあるので早めに出向いてみた。暫く待っていたが、教授は回診してから後で向かうからと、先にカンファの準備に行くように言われる。Dr.許と我々3人でカンファ室に向かった。
7:05 まだ誰も来ておらず、自分のPCでプロジェクターに写るかどうか確認する。私の口演を先にして、最後にK先生に話してもらうこととした。
7:15 看護師さんたちが朝食を段ボールに入れて持ってきてくれ、机に並べ出した。今日は比較的集まりがいいような気がする。きっと日本からの刺客達の発表に興味があるのだろう。
7:20 私から口演を開始する。4本仕立てのメニュー構成のアウトラインを説明した後、教授との出会い(ある雑誌を読んで興奮して直接メール攻撃)、ここに来ることができるようになった経緯、前回の訪問時の写真集、福岡や大学の紹介と続き、学術的なことは、橈骨遠位端骨折のMIPO、吸収性プレートの紹介を行った。若干、詰まる場面はあったものの、基本的にはスライドを見ながら流れを喋れたのでうまいこといったように思う。どちらのトピックも台湾では珍しい内容だったので、かなり興味をひいてくれたようだった。だいたい25分くらい喋ってしまっていたようだ。
7:55 続けてK先生が、日本の外傷治療について、T大学外傷センターを設立した経緯などを含めて5-6分でまとめてくれた。途中、先生自らヘリコプターから降下して救出に向かう写真がスライドで流されると、一同驚いていた。Ranbo Doctorという称号を与えられていた。
8:10 いろいろと質疑応答があり、それなりに回答ができている自分に少し感心したりする。あまり英語での発表や質疑応答にストレスを感じないようになってきた。教授が結構たくさんのコメントを言ってくれた。またDr.馬がMIPOについて熱心に活動しているので質問もあった。全体的に好評だったように思う。
8:30 カンファ中には食事が摂れなかったので、K先生と残り物をもらって机で食べることにした。暫く昨日に続けて、過去のスライドや写真などを見せてもらっていた。こう見るとかなりの回数海外に出かけているようだ。この5-6年の間に急激に増えていると言った感じである。学年は5つ違うのでもう自分の年齢の頃には、色々と活動をしていたことになる。志のある人間は誰からの指導や相談もなく突き進んでいくものなのであろう。
10:00 少し外来の見学をしようということになり、教授がしている外来を覗きに行く。相変わらずの盛況ぶりなのだが、あまり見所も多くないため、他のDrのしている所や患者の流れなどを見るにとどまった。外来には、今日市内を案内してくれるLillyが暇そうにしていた。11時過ぎに出かけようかという話しになり、いったん別れた。
11:20 Lillyの車で市内に繰り出す。まずは左営の商店街風の場所にある食堂に向かう。
11:50 食堂の前でバイクの事故があったようで、救急車が来ていた。それ程重症ではなさそうだったが、救急の初療現場にとても興味のあるK先生はバシバシ写真に収めていた。
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Lillyが向かいの店で何かを購入した上で、持ち込みで目的の食堂に入った。彼女のお薦めを幾つかオーダーしてもらいテーブルで待つ。昨日から左の歯の奥の方が痛くて噛んだり、飲み込みにくいこともあり、辛いものは避けたかったのだが、幾つかトライしてみた。台湾風おでんのようなものや、独特のスープ、肉ダンゴあんかけらしきものなど、K先生は世界いろいろ回っていることもあり、現地の料理を食することには全く抵抗がないようで安心した。結構、ゲテモノ的なものにも取り敢えずアタックしてみる姿勢はあるようだった。
12:30 続いて、揚桃湯というここの名物の飲み物(以前も飲んだが変わった味、日本では見当たらない品と思われる)、少ししょっぱいジュース(原材料はスターフルーツを用いているよう)。
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それを買い込み、また違う店に向かう。水餃子が美味しいところがあるらしい。
12:50 もうお腹は一杯なのだが、一杯だけオーダーして、それを3人で分けて食べる。自分は小分けの皿に少しだけもらって休憩していた。
13:30 お腹も膨らんだ所で、名所巡りということになる。Rotus pond付近の古い壁がある場所、竜の入口から虎の出口に抜けるお寺などで過ごす。ここRotus pondのインフォメーションセンターには年齢80という元気なおじいさんが日本語で案内してくれた。週に1-2回、ボランティアでガイドをしてくれているのだそうだ。前回もここに来たことがあったが、今回は塔のてっぺんまで上がることにした。頂上はなかなか景色も良く風が入り気持ちが良い。今日は暑いくらいの天候なのだ(日本の5月くらいの陽気)。記念撮影したりしてのんびりと過ごす。K先生も普段は救急センター勤務のため、なかなかこのようにまとまってゆっくりするような時間もなかっただろうから良かったのかも知れない。
14:30 良く分からないが、昨年world gamesが開かれたというメインスタディアムに案内される。
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かなり広い陸上競技場のような所だが、今は各種コンサートやらイベントで使っている所らしい。今も何かイベントの準備をしているようであった。
15:00 高雄市美術館にやって来る。平日だというのに学生やら人がいっぱいいる。何故だと聞くと、どうも今は冬休みなのだそうだ(旧正月前)。どうりで街に人が溢れていると思った。美術館に入ったが、中のイベントには入らず記念品売り場やロビーの辺りでうろうろして、外の庭園をゆっくり歩きつつ戻って行く。
15:30 帰り際に、高雄で一番大きいというCG記念病院の高雄メディカルセンターの前を通ってもらうことにした。もし義大病院に来れなかったら、ここに来ていたかも知れない所だ。ここに来なくて本当に良かったと思う。もし間違ってこちらに来ていたら、今のような待遇はなかったに違いない。あちらの事務の手続きが悪かったこともあるが、我ながら良い決断をしたと今更ながら安心した。
16:30 色々と回ってもらい、若干疲れてきて病院に送ってもらう。セブンイレブンで買い出しをした後(K先生は果敢にも良く分からないヤシの実ジュースのようなものなどを買っていた)、病院前で記念撮影などを行いいったん医局に帰る。今日はこのまま帰らせてもらうことにした。
17:00 部屋に戻り片付けなどを行った後休憩する。
18:10 今晩は2人でタクシーに乗って街中に向かうことにした。まずは名所でもある六合ナイトマーケットに出向く。
18:40 いつも誰かに送ってもらったりしていたので、タクシーを使うのは久しぶりだ。430NTDくらいなので日本で言うと安い方なのだろうが、こちらでは贅沢なのかも知れない。もう外は暗くなっておりナイトマーケットも活気づいている。名物を幾つか食しようと考え、ぶらぶらしてみる。カキの卵でとじたようなものは名物なのでまずはそれをトライ。一度食べて美味しかった品である。あまり多くを口にしないK先生ではあるが気にいっているくれたか?
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19:10 喉が渇いたのでパパイヤ牛乳を買って歩きながら飲む。色々と珍しいものもあったが、やはり臭豆腐を食べてみようと言うことで、入口すぐにある臭いのきつい店に入って行った。一度食べたことがある店なので安心だった。臭いはきついが味は悪くない。2人ともしっかり平らげていた。
19:30 少しお腹もはってきたので、歩いて夜の街を観光することにした。途中のコンビニでビールを買いながら(2回買った)、途中2回ほどトイレに寄りながら、繁華街、中央公園、愛の河などを歩いた(結構な距離だったと思う)。歩きつつ飲むという新しいスタイルを見つけた瞬間だった。忙しくかつ健康にも気を使う人間には良い方法かも知れない。ただし、ビールは飲みすぎるとトイレが近くなるのが問題だ。途中、光り輝くデパートを通った。
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20:40 かなり歩き疲れたが、MRT(地下鉄)の駅があったので、そこから病院方向の北に向かう。少しでもタクシーの距離を減らそうと考えた訳だ。MRTが20NTDだから安い。どこが最寄りか解らなかったが、タクシーがすぐつかまりそうな左営(新幹線の終着駅でもある)駅で降りることにする。
21:10 左営駅からタクシーに乗って病院を目指した。病院の名刺を持ってきておいて良かった。現地の人に場所を口で言っても伝わり難いことが多いのだ。
21:30 病院到着。明日は土曜だが、朝から手術があるので早く眠ることにしよう。

2010/01/28 日中はゆっくりと過ごし夜の忘年会へ [平日]

7:00 地下のフードコートでDr.Kと朝食を取ることにした。簡単なサンドウィッチ類と甘い豆乳などをオーダーして食べる。
7:20 7Fの詰所に向かう。Dr.許とMrs.ティンに挨拶する。教授は暫く来ないそうなので、病院内を3人で少し回ることにした。病棟、図書室、医局、救急室、外来などを一通り回って簡単にDr.許が説明する。
8:00 再び7Fに戻ってくると、程なく教授が現れたので回診を始める。いつも通り回るのだが、今日は木曜日で余裕のある日ということに加えて、来訪者が増えたので、説明を比較的丁寧にゆっくりされていた。患者に脊椎や人工関節の症例が多いのでおそらく驚いていたことだろう。教授はハンドやマイクロで特に有名だからだ。それ程そのような症例は現在多くない。
9:30 医局に戻ってきた。教授はビジネスデーのため会議やら面会やらで時間を取られるようだ。暫く、医局の机で、現在の症例や今までの症例を供覧したりして過ごす。辛口のコメントが多いK先生だが、かと言ってけなしたりする訳ではなく、この方がもっといいんじゃないかという感じなのだ。先生も色々な施設に見学に行ったりすることが好きなようだが、日本は負けていないと言うのが持論である。
10:00 Dr.Hisaoが隣の机に現れたので、大学の研究室の方にも行きたい旨を話すと、では今から行きますか?ということになり案内してもらった(私は一度行ったことがあったのだが)。動態解析室やバイオメカの部屋に案内してもらう。それ程感動はしていないようだった。
10:40 再び医局に戻り、私のドイツやインドの時の写真や、Dr.Kの今までの海外での仕事の写真などをお互いに見せ合って交流を深めさせて頂いた。先生は今後、日本の外傷方面ではトップに向かっていく存在であろうから、とても良い刺激になりました。
12:30 Floraが昼食を買って上がってきてくれた。教授の部屋にて4人で会食となる。水餃子、チキンのスープ、ピータン+豆腐、その他と比較的たくさん買ってきてくれる。ゆっくりと食事をしながら雑談をして過ごす。今日はのんびり出来る日だ。
13:30 今日はお開きになったので、病院内を少しぶらついて(リハビリ室やその他の施設)から部屋に戻り、お互い明日のスライドを最終チェックしようということになった。
14:30 少し疲れていたので、昼寝をした。
16:00 もぞもぞと起き出して最終確認。問題は英語で話す内容の方だが何とかなりそうな予感。
17:10 医局に戻る。今日は骨科の忘年会があるのだ。レジデントのDr.呂が車で送ってくれることになっている。K先生が少し遅れてやってくる。
17:30 会場の義大世界(E-DA world)という所に向かう。先週土曜日にも行った場所だ。今日は総勢250名程度とかなり大々的な宴会になるようである。
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18:00 少し早めに着いてしまい、2人でテーブルについて開始を暫く待っていた。皆気を使ってくれてくれるので特に居づらいということはない。自分はまだ慣れているから良いが、Kさんはいきなりこんな所に連れて来られて若干戸惑っていたかも知れない。
18:40 少し遅れて宴会開始。司会はチーフレジデントのDr.許が虎のかわいい帽子をかぶって行っていた。もう一人は秘書さんだろうか?みな着飾って来ている。
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始めは、今年一年を振り返る的な内容のスライドが上演される。昨年教授主催のAPFSSHのことや思い出などが流れ、良く分からないけど盛り上がっていた。
19:00 次から次へと食べ物が来て、催しものが始まる。そして台湾恒例の賞品抽選。これも前回参加の忘年会と同様に、寄付を募ったりという光景が良く見られた。
19:30 看護師さんたちのダンス(スパイシーガールズ達などたくさん)では、プラカードに寄付してくれ!と書いてあからさまにDr.にたかるという光景も良くみられた。
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20:00 ビールを結構たくさん飲みつつ、色々と顔見知りも増えたので挨拶に回ったりする。
21:00 かなり盛り上がった宴会であった。ほろ酔い気分となり、帰りはDr.顔の車で病院まで送ってもらえることになり帰宅する。明日はプレゼンなので寝過ごさないようにしなければ。。。

2010/01/26 手術と外来・医局を行ったり来たり [平日]

6:45 回診開始、まずはDr.許と専科看護師の3人で回っておく。昨日手術が11件もあったのだが、特に大きな変わりはない。術後の疼痛に関してはPCAポンプを使用したり、その他の工夫もあるようで強い痛みを感じている症例は殆どみられない。脊椎症例に関しては、手術時間が短いということが創部痛の軽減に役立っているような気もする。脊椎手術の場合、筋肉を強くretractして展開するわけだから、圧迫による筋肉のダメージというのは無視できないような気がする。筋逸脱酵素のCPKが1つのメルクマールかも知れないが、それで何らかのsudyが出来ないものだろうか?当然、条件を揃える必要があるだろうが。手術時間が短ければCPKの上昇も緩やかで術後疼痛も感じにくい。疼痛に関してはPCAを使っているから難しいか?また、5歳のOBPIの術後(
6日目)も順調だ。包交も慣れてきたようである。両親の顔つき・肌の色を見ていると、どうやらこの家族は高山族の人達のようだ。坊やはお母さんにそっくりだ。高山族の人達は、教授曰く、純粋で付き合いやすいのだそうだ。あまり垢ぬけていないということなのだろうか?ど田舎のいい人たちという感覚なのだろうか?
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7:15 ナースステーションに旅行用のトランクが置いてあった。何かと思い良く見てみると、緊急時に備えてのグッズが中に詰まっているのだ。これは良いアイディアだと感心した。
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7:20 今日は朝のカンファレンスがある。担当は、Reserch cheafのDr.Hisaoである。最近の研究成果についての内容だった。面白いかったのは、sliding hip screwのラグスクリューに人工骨を注入する手技において、時に関節内や骨折部からleakしてしまうことがあるということで、新たなholeから別に人工骨を注入するという方法だ。この力学的特徴などを解析していた。強度的には注入しないよりも上昇するとのこと。デバイスは工夫していたが、少し手技が煩雑となる気がしてしまう。他には、上腕骨近位端骨折のロッキングプレート固定において、スクリューを入れる位置により、強度が異なるかという実験も紹介していた。近位側のスクリューをone corticalのみたくさん刺入するか、one cortical 2本、two cortical 2本とするか(プレート設置は遠位になってしまう)によって、強度に変わりがあるのか?という内容だったと思うが、聞き逃してしまった。漢語のプレゼンはやはりきつい。。。
8:30 医局で作業を開始。今日の手術の予定を確認する。Dr.馬の外傷症例が並んでいる。かなり多いので大変そうだ。暫くしてから見学しに行くことにしよう。
9:00 13歳の下腿GustiloⅢB開放骨折後の症例で、軟部組織欠損に対しては、ALTのfree flapが行われていた。ロッキングプレートによる創外固定が皮膚上に設置されているのだが、軟部組織とプレートの間隙が少なくなり、圧迫されてきているようで、今回はこれを抜去して、髄内釘(TEN)に入れ替える。また骨折部は癒合がもう少しなようで、加えて人工骨を植骨すると言っている。見事にALTでsoft tissue coveringできており素晴らしいのだが、この処置まで本当に必要だったかは疑問が残る。通常の創外固定で骨癒合まで粘るか、初期から髄内釘を入れてしまっていた方が良かったのでは?しかし、このelastic髄内釘(TEN)はなかなか面白い素材であると思った。
10:40 Tibiaのopen fractureに対する創外固定後(受傷より3週程度経過)、プレート固定に入れ替える予定。若干の外反変形矯正と脛骨近位内側より採骨を行い骨折部に骨移植も行うプランだとのこと。こちらのDr.は慣れているのだろうが、術前計画を作図したりする習慣は全くない。経験と勘が頼りのようである。やはり整復・矯正は甘いと思われる。手技的にはMIPOで行い、慣れていて洗練されてはいるが、これくらいでいいだろうという感じの許容範囲が我々よりも甘いような気がする。最終的な結果にどう影響するかどうかは不明であろう。
12:00 医局に戻って昼食とする。今日はCrystalが弁当を準備しておいてくれると言っていたので手術場からまた出てきた。reserch組のDrたちと秘書さんたちとテーブルで一緒に弁当を頬張る、会話は漢語(7割)、英語(2.5割)日本語(0.5割)と言った所だろうか?ライブで会話を聞いているのも何となく会話の雰囲気をつかむには良いことかも知れない。
13:00 再び手術室に戻る。Dr.馬がDr.呂と(今日はこの2人がコンビのようだ)、人工骨頭置換術(股)を行っていた。やはりアプローチは前方からだった。見易いが、後方よりもアシストが余計にいるように思われる。
13:40 Floraから携帯に連絡が入った。教授が外来に呼んでくれているようだ。3歳時に行った、先天性のcleft hand(母指欠損)に対する、toe transfer(第2趾)の女の子だ。以前、教授の部屋でビデオを見せてもらった症例だ。バイオリンを持参している。今からレントゲンを撮って、病棟でバイオリンを弾いてくれるそうだ。病棟の専任看護師について行く。彼女のお父さんも一緒である。今日ははるばる台北からやって来ている。お父さんは何度も日本に行ったことがあるようで、少し日本語が解る。示指から小指までの4本しかなかった指が、自分の足趾を採取して再接着して見事に機能している。整容的にはどうしても元通りとまではいかないが、機能的には満足していると思われる。ビデオ撮影を行い、外来に戻る(外来でバイオリンを弾いたらウルサイからわざわざ移動したのだろう)。
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教授の外来について、色々と説明を受ける。日本でもこの手の手術が以前は行われていたが、最近は殆ど見る機会もなくなってしまった。症例自体が減っているのと、限られた施設でしか行っていないからだ。今度行く病院では、この手の手術も比較的多いようなので期待している。
14:50 再び手術室へ(今日は着替えが多い・・)。Dr.馬が尺骨短縮術を行っていた。Xpを見ると確かにプラスバリアントではあるが、健側Xpもないし、評価方法が不明だ。カンファがないだけに手術決定権はスタッフドクターの権利であり、それはそのまま自分の責任でもある。手術決定までに至るプロセスが独りよがり的になってしまうきらいにないか?と思ったりする。手技的にはしっかりコンプレッションがかかるように操作を加えていたが、何ミリ骨切除をするのか?という微細な部分はやはり経験だけのような気がする。あまりに短くし過ぎると、DRUJの不適合、更には長期経過後にOAへと進行してしまう可能性があるだけに結果が気になる。詳細な評価がなされていないのが残念だ。
15:40 医局に戻る。昨日の日記や今日の出来事をまとめておかねばならないので少しずつ空いた時間に仕上げていく。加えて、金曜日のプレゼンの準備(スライドはほぼ完成、言う内容を検討しないといけない。今回は台本なしで行う予定)をしなければならないのだ。ちょっと忙しくなってきた。
17:20 手術室に様子を見に行ってみる。Dr.馬の手術はまだあるようだが、ちょうど入れ替え時のため、ソファ室でボーっと過ごす。
18:00 することもないので、今日はもう引き上げよう。Dr.馬とDr.呉が休憩室でPCを見ながら何かしている。今日は申し訳ないが先に帰らせてもらいますと言って別れる。
18:30 医局にいると、外来から連絡があり、渡したいものがあるとか言われたので向かう。すると、また例の如く食べ物のおすそわけであった。台湾独特のハンバーガー?、カラスミ(焼いたもの)、フルーツとあった。また今日も夕食を買わずに済みそうである。
19:00 フードコートでジュースだけ購入し、部屋に戻ることにしよう。しかし、また教授は外来をしている。すみませんが先に帰りました。。。

2010/01/24 生活に根差した日曜観光 [休日]

10:20 Lillyから病院のPHSに連絡が入る。あと15分くらいで到着するとのこと。また着く直前に連絡するとのこと。今日はプロパーのLilly(いつも暇なようで良く案内してくれる)と、外来看護師さん(名前忘れた?40前後か?)が、高雄の外れのちょっと田舎っぽい所を案内してくれるということになっているのだ。今日も天気がとても良い。日差しが少し強く半袖でも良いくらいである。
10:50 少し遅れて2人がやってきた。電話で何やら言っていて良く聞き取れなかったのだが、日差しが強いから、帽子やサングラスがあった方がいい。と言っていたようだ。どちらも持っていないし、特に気にしないよと言って出発する。
11:10 今回もこの外来看護師さんの自宅にいきなり到着する。また、カラオケ攻撃か?と少し不安がよぎったが、中には誰もおらず、取り敢えず車だけ置いて自転車に乗り換えるようだ(なるほど、それで帽子とかサングラスと言っていたのか?と今になって理解する)。何と3人分自転車を出してきて、それぞれそれにまたがって再び出発する。もうなすがままである。まずは朝食を兼ねた昼食に向かうようだ。
11:20 近くの商店街のような場所にある食堂に到着した。人は多く結構繁盛している。ガイドを持って現れる現地の人もいるので有名な所なのだろう。ここはカレーうどん(うどんといっても細い米製の麺)に肉ダンゴのようなものが入った独特な風味の料理が有名だそうだ。3人それを頼む。加えておでんのようなものを各種チョイスして、みなで一皿食べる。味は少し変わっていたが、悪くはない。写真を撮ったりした後、その場を後にする。
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12:00 自転車での移動も悪くない。街並みや風景をゆっくり見ることができるのだ。彼女らも色々と工夫して観光を考えてくれている。三人でのんびりと次の目的地に向かう。
12:20 台湾砂糖博物館なるところに到着した。
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ここは日本の植民地時代にできた砂糖工場の跡地にある広大な敷地の場所である。中には花が綺麗に咲いている場所があり、結婚したカップルがプロのカメラマンに写真を撮ってもらったりしている(台湾では結婚するとこのように景色の綺麗な場所で記念撮影をプロカメラマンに依頼するのが習慣だそうである)。
12:40 中のスペースでは、何故か日本の演歌を歌っている人達がいる。上を向いて歩こう・・・や知らない演歌やら。そこでCDなども販売していた。年輩の人は日本の演歌が好きなようで、座ってじっくり聞いている人達も多い。自転車で中を進み、珍しいアイスを食べようということになった。人気の所らしく、みな座ってアイスを食べている。2種類買ってきてくれて(相変わらず自分では全く支払っていない)、いずれにもあんこ(アズキ)がのっている。1つは少し茶色っぽくて甘さ控え目で若干ぱさぱさしている。もう1つは日本でも食べたことがあるような少し爽やかな感じの白い甘いアイス。2人とも食べ過ぎには気を付けているらしく、あまり食べずに残りを押しつける。仕方ないので綺麗にたいらげてやった。
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13:20 自転車で少し走ると、オープンスペースのちょっとした軽食・喫茶があったので入る。また食べるの?と思いつつ付いていく。木陰のテーブルに腰かけ、名物だという紅茶+砂糖キビのスティック(そのままかじれる)を頼んでくれる。加えてなぜかマレーシア風のスパイシーな焼き鳥までオーダーしている。Lillyが日本語のテキストブックを持ってきていたので、発音をいくつか教えてあげる。2人とも日本語に興味があるようだ。
14:00 さて次はどこに行くのかと思うと、外来看護師さんのおばあちゃんの家に到着した。何だか人がいっぱい集まっている。両親、祖母、おじさん、子供、親戚など、トウモロコシを食べながらくつろいでいた。トウモロコシを半分だけ貰って食べつつ、まだ1~4歳くらいの子供たち(4人くらい)が遊んでいるのをみたりする。こちらではいまだに大家族で暮らしているようだ。
14:30 自転車で周りをぶらぶらと走る(1人一番大きな女の子も自転車で付いて来た)。トウモロコシ畑やヤシの木、遠くには砂糖きび畑も見える。やはりここは亜熱帯の土地なのだ。
15:00 近くのお寺に向かうもまだ何も準備はされておらず、自転車でまた違う場所へと向かうこととなる。去り際にトウモロコシや梨みたいなフルーツをくれたので遠慮なく貰っておいた。
15:30 中国の旧正月(春節)にちなんだ催しものがどこかで行われているようで、遠くで爆竹や太鼓・銅鑼の音が聞こえる。道端で待っていたが、なかなか現れないので、その方向に向かっていくこととなった。かなりの人が着飾った衣装に着替え行進している。中には馬を連れている集団もある。テレビで良く見る、顔のデカイ面をかぶった人も濶歩している。これは台湾というよりも中国独特の雰囲気であろう。
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おっさんたちがビンナンという噛みタバコをくちゃくちゃしているのを良く見かける。ビンナンを噛むと口の中が赤黒く汚れるので一目瞭然なのだ。中流から上流階級の人達はこれを殆ど好まない。噛んだカスを道端に吐いたりするので、道路が汚れる。しかし、ここ台湾ではこのビンナンを売る店が道端に数多く存在する。これは一種の興奮薬のようなものなのだが、使い過ぎると口腔癌になることがわかっている。台湾はこの習慣があるために、非常に口腔癌の罹患率が高いことで知られている。そのため、口腔癌摘出後の軟部組織再建が形成外科領域で有名なのだ。悪いと解っていながら使って、結局は病気になり、医療費を使っていく。酒・煙草にも言えることだが、こういう状況を見ていると本当にやり切れない気持ちになってしまう。嗜好品は税金を上げろ!
16:30 予定より少し遅くなってしまったが、帰ることになった。帰りに今晩の夕食にでもということで春巻きを1つだけ買って分けてくれた。今日も食事を買いに行かずに済んでしまった。
17:00 まだ外は明るいので、少し洗濯ものを干したり、片付けをしよう。しかし、ちょくちょくと色んなものを貰ってきてしまい、まだ食べきれずにいるのが心配である。うまいこと朝や昼に回すように心がけよう。

2010/01/23 台中で開かれたセミナーに教授とともに参加する [セミナー]

7:10 回診スタート。土曜であるが早いのだ。今日は何人か気になる症例の処置もあったのでしっかりデジカメをスタンバイしている。母趾基部の軟部組織欠損に対する足背の逆行性皮弁の症例も順調である。Skin paddleを採取した部位に分層植皮をしているのだが、まだ段差があるものの内部から肉芽形成が進めばこの段差も殆どなくなるのだとのこと。OBPI術後、5歳の男の子は結構元気になっている。包交時に余裕ができている印象。創状態も良好で一安心。暫くは教授自らが毎日checkするのだそうである。
8:20 回診後、休憩室で朝食をとり、医局に降りてくる。教授が部屋に戻りメールなどをチェックし準備が出来たら出発となる。
9:30 病院玄関前からタクシーでTHSR左営駅に向かう。この教授と2人の移動時間はかなり貴重で色々な話をじかに生で聞けるので、非常にためになる。疲れていそうな時はあまり声をかけないようにするが、基本的にはリラックスしながら気軽に色々と話してくれる。特に自分の体験談などは特に自慢する風ではないのだが、隠さず細かなことまで話してくれたりする。偉くなるような人は何が違うのかな?と疑問であったが、やはり強い信念をどこかに持っているようである。誰もがこのような領域になれる訳ではないし、凡人が真似しても叶わぬ夢ということなのであろうが刺激にはなる。
10:06 台湾新幹線に乗り込む。何故か自分も教授と同じでグリーン車である。このような席に座るのに慣れてしまうと自由席には乗れなくなってしまうかも知れない。しかし、唯一の休憩がこのような移動であるのであれば、これは使って当然なのかも知れない。会社のお金を使って、わざわざグリーンで?と僻む人間もいるのだろうが、ここまで働く人間であれば使用して当然なのかも知れない。と思ったりもした。グリーン車にはコーヒーやお茶、スナック、おしぼりのサービスが付き、綺麗なお姉さんが見回ってくれたりしている。贅沢だ。教授がPCを広げ出したので、自分も真似してしてみる。教授が以前たくさん講演したスライドを見せてくれた。良くもこれだけ・・・・と思ってしまう程の数だ。幾つかの講演に興味を示したら、USBでコピーしてくれた。自由に使っていいよって。それは普通しませんけど、勉強できるのでかなり有難い。
11:00 そうこうしているうちに、台中駅に着いてしまった。迎えの人が来ることになっていたのだが少し早く着いてしまった。従ってまだ現れておらず、暫く待つことになる。程なく、ファイザーのプロパーという男性が現れた。教授には挨拶するが、私には何も挨拶ないし、何となく感じ良くなかった。たまにこういう人もいる。しばらく後部座席でウトウトしていると、今日の研修会の会場となる大学付属病院が現れた。かなりモダンで大きな病院だった。造設して間もないのだそうだ。外観を写真でおさめたりする。
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11:40 教授の元同僚(CG病院時代)で現在ここの麻酔科の部長という男性が迎えに来てくれた。骨科の先生ではないようだったが仲良さそうである。麻酔科部長室に案内されて、2人で何やら話し合っていたので、自分は傍の机でPCを出して作業をしていた。暫くすると副教授というドクターが現れ(こちらの先生の方が上級医のよう)、再び話しだした。ビジネスミーティングで申し訳ないと言われたが、こちらこそここに居ていいものか?という感じだった。途中、部長先生が、昼ご飯を買いに出かけた(一緒に行きましょうと申し出たのだが)。お弁当やスープ、飲み物を3人分買ってきてくれて、その場で食べ始める。食事中も何やら熱心に話し込んでいたが、残念ながら内容は不明である。病院の上の方の立場の話しなので、経営などのことも含まれていたのだろう。
13:30 研究会の始まる時間となり、お開きとなった。会場はこの病院内の講義室を用いるようで、すぐそこだった。会場前には記銘所が準備されており、日本の研究会と同じようなスタイルとなっている。何人か挨拶をしたが、一人はここの骨科の副教授でDr.Tuの後輩になるような人だった。Dr.Tuの後にMayoに留学もしたらしく、結構慕っている風であった。講演が早速始まり、1つの講演が20分ずつ(前半最後のDr.Tuの講演だけ30分)で前半5つ、後半5つの構成になっていた。下肢外傷に関する検討会ということだったのだが、興味深く聞かせてもらった。
14:00 教授は新幹線でスライドの直しを完全に出来ていなかったということで、会場で少し手直しをしていた。ここまでくるとスライドを新たに作らなくても色々とアレンジできるのだろう。内容はcomplex tibial plateau骨折のマネージメントについて、膝関節脱臼の合併症、臨床成績、distal tibial fractureの治療における最近の動向、下肢外傷におけるVAC療法についてなどであった。いずれもレベル的には日本とは変わらないし、むしろ英語を多用しているだけあり、文献的考察のレベルは高いようにも思われた。国際的に考えるのであれば、これからは日本もスライドは英語で作る習慣を作った方が良いのかも知れない(発表は日本語でも)。
16:00 30分以上予定より遅れて教授の講演が始まった。内容は下肢軟部組織再建についてである。
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教授がこれまでに何度となく講演している分野である。内容はかなり重度の下肢外傷であってもマイクロサージャリー技術を駆使すれば再建は可能である。ただつながれば良いというものでもなく、機能的な再建が出来るかどうかがカギなのである。聴講者たちも揃ってその結果の良さに驚くばかりのようであった。骨科でここまで軟部組織再建を行うことができるのは、Dr.Tuをおいて他にはいないだろうと思われる。最後の拍手もひときわ大きかった。
16:20 コーヒーブレーク後再開となる。教授は休憩所で多くの聴講者に挨拶に来られ対応したり、質問に答えたりして殆ど時間がなさそうだった。しばらく遅れて戻って来た。自分の隣に座ってくれていたのだが、暫く聞いてから途中で出ようと言っていた。確かに後半戦はあまり興味深い内容もなく、退屈な感じだった。
17:00 予定より少し遅れて(本当はもう少し早く出たかったのだが、教授の名前を出しながら講演する先生がいたので付き合ってあげていた)、会場を後にする。帰りの送りは付かなかった。これは後から教授に聞いたのだが、面白いのは高雄では送り迎えとも通常は用意すると、しかし、台北は送りも迎えも準備せず勝手に行かねばならない。ちょうど中間の台中は迎えだけだった。とのことである。招待した人に対するもてなしの違いが如実に出ていると思われた。
17:30 THSR台中駅に到着したが、ちょうど今出たばかりで少し出発まで時間が空いてしまった。お土産物屋に寄って、蜂蜜太陽饅頭なる台中の銘菓を買ってくれ持たせてくれた。
17:52 出発。帰りもグリーンで行きよりもかなりくつろいだ感じで帰路につく。以前、教授がフィリピンと中国で講演した後にPCを盗まれた(2回も!)ことや、タイではデータだけ無断でコピーされたりしたこともあると聞いた。日本でそういうことを経験したことはないので、今度の来日は安心していると言っていた。日本に行くことは構わないようだ。しかし、ここで受けた接待のことを考えると、果たして日本で満足してもらえる接待を準備しているかどうかは難しいかも知れない(器械屋がセッティングすることなのだが、どこも不景気なので)。台湾はまだ日本がバブルの頃のような企業の接待などが残っている印象である。
18:30 TSHRの左営駅にFloraが車で迎えに来てくれていた。これから3人で、メーカー主催の忘年会に招待されているので参加することになっていた。義大世界という義大病院のオーナーが経営している一大パーク(アミューズメント、デパート、ホテルなど)の大会場で開かれる。
19:00 到着するともう既に多くの参加者たちが待っておられ一緒になった(一番VIPの座るテーブルに座らされた)。何だか周りは偉そうな人達ばかりだった。こちらを何となく皆見ている。誰だろう?このDr.Tuと一緒にいるのは?みたいな感じか。
19:30 次から次へとコース料理が運ばれてくる。たいがい味はいけるのだが、量が多い。少しずつ残しながらうまく調整する。飲み物はオレンジジュースとワインがなくなると、ウェイトレスさんが勝手に注いでくれる。ビールはないようだ。目が合うとグラスを掲げて飲みましょう。みたいな挨拶はここでもみられる。ある程度食が進むと、皆歩き回って挨拶に出かける。このテーブルはVIP席なので、色んな人が集まって来る。仕方なくこちらも挨拶する(全然知らないけど)。
また、舞台では毎年恒例のくじ引き大会が始まっており、比較的安い値段(殆どは現金が賞品)から始まり、次々に名前が呼ばれる。通常3/4の人間が当たるのだそうだが、今年は更にその場で寄付を募ったりして殆どの人間が何らかをもらったようである。
21:00 カラオケも何曲か歌って実に陽気な感じだった。こういう場で日頃の労をねぎらい、ストレスを発散し、また新たな活力をはぐくむ。昔から日本でも同じようなことが行われてきたのだが、最近は稀薄になりつつあるようにも思われる。個人行動が目立つようになったからだろう。たまにはこういう機会というのは大切にした方が良いと思われる。結局は自分だけの力ではそれ程大したことはできないのだから。
22:00 お開きとなり、Floraの車で教授とともに送ってもらった。

2010/01/21 教授が台北に出張なのでゆっくりと過ごした一日 [平日]

7:00 回診開始。昨日のOBPIの男の子の状態が気になるところだ。一番最後に包交をすることになっていた。他はいつも通り殆ど変るがない。慢性コンパートメント症候群の筋膜切開をした若いアスリートの女性は今日退院となる。自分も片側の外側の切開もしていただけに調子が良さそうでホッとする。気付いたのだが、こちらのCRPの値が日本のそれより高い値で出ている。正常値が3-4だとのことだ。Scaleが違うのだろう。THA後のinfectonのおばあちゃんも比較的長く入院(それでも2週間)していたが、CRP3となり、本日退院だそうだ。元気そうで良かった。少し元気がないと言えば、もともと全身の栄養状態の悪い膝~下腿にかけての壊死性筋膜炎患者に対して施行した筋皮弁(Gastrocunemuus muscle flap)術後のおじさんの胸部Xpを見ると右が真っ白になっている。肺水腫を併発しているようだ。アルブミンが低いこともあるだろう。こういう患者に対しても教授が指示を出している。
7:40 最後に子供の包交を行う。がまん強く泣くのをこらえている。創部はガーゼ汚染も殆どなく綺麗だ。ほっとする。自分が入って感染や血管トラブルでも起きたらシャレにならないから。。。
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マイクロ後の包交はレジデントなどには任せずに、必ず自分で行っている。これは術者としては当然の行動とも思われる。この姿勢は見習いたい。
8:00 今日の手術予定を見に手術室入口に向かう。それ程多くの症例はなさそうだ。いったん医局に戻って、昨日の日記(付け忘れていた)でもつけることにしよう。
8:50 教授が台北に向けて出発していった。新幹線で少し休めるから良いだろう(移動が結構良い休憩になっているものとも思われる)。持ち物はUSBスティックだけという身軽さだ。
10:30 少し手術室の状態が気になり、覗きにいく。脊椎の後方固定、膝蓋骨骨折ORIF、転位のない脛骨プラトー骨折ORIF、前腕両骨骨折術後の抜釘などが行われている。抜釘の部屋はレジデントのDr.温が閉創しており、チーフレジデントのDr.許が外で監修していた。ここはDr.高の裏の列のようだ。こうしてチーフレジデントは上手く使われているようである。もう終わりのこともあり、外周りの看護師や麻酔看護師(こちらでは麻酔の専門看護師がいる。結構彼女らがたくさんいて麻酔の補助をしているので一度に多くの麻酔をかけることができるのだ)とDr.許がパソコンを見ながら何やら談笑している。ワイヤレスでインターネットもつながるようで、今度買うPCやIPodなどをネットショッピングのページで見たりして楽しんでいる。Dr.Tuがいたらこんなことは出来ないだろうが、ちょっと羽を伸ばしている感じもする。
11:20 朝方、他の科のカンファで余った朝食を秘書さんがくれたので、少し早いがそれを手術室休憩室で食べることにした。こうしていろいろもらったりするので、あまり自分では買わなくても済んでしまうのだ。Dr.許も早めの昼食をとる所だというので一緒に食べる。彼はうちと同じような感じで、2007年に結婚し、今年の5月頃に初めての赤ちゃんが出来るとのことである。なかなかの愛妻家のようだ。今日は彼もDr.Tuがいないので少しゆっくり目に過ごしている。
12:00 いったん医局に帰る。午後からの手術にも顔を出そうと思っているが、Op室にPCを持参することにしていた。日本の音楽を聞きたがっていたのでUSBに落としてあげようと思っているのだ。日本語勉強熱は相変わらず目を見張るものがある。
13:30 手術室でDr.許に日本語の曲入りのUSBを渡す。早速聞き始めている。ドリカムやキロロを知っている。麻酔看護師(アラフォー?)が寄って来て、徳永英明が好きだとか言って興奮している。仕方ないので、彼女にもUSBであげた。今は抜釘の手術中なのにも関わらず、外回りではわいわいやっているのだ。可哀そうにレジデントのDr.温が一人で寂しそうに閉創していた。
14:50 PCL avulsion fractureのORIFが始まる。Dr.高の2列のうちの一つの手術なので、Dr.許が執刀するようだ。日本でなら(というか一般的には)保存的治療を選択すると思われるような殆ど転位のないタイプである。やる先生は小皮切で行ったりもしている。しかしオーソドックスに大きく展開して固定するようだ。いくら数をこなしているレジデントとは言え、ここはあまり慣れていないようだ。展開がやや近位過ぎるかなと思って外から見ていたが、やはり骨折部が解らず苦労していた。イメージが置いてあるのになかなか確認しようとしないのが不思議だったが、ここのやり方なのであまり口を挟まず、ふらふらしながら時折みていた。ようやくイメージを見ようということになったら、上級医のDr.高が様子を見にやって来て、何やってんだ?みたいな感じで何やら言っている。イメージ何か見ずにやれ!ということなのだろうか?イメージを下げさせて、自分が手洗いして入って来た。暫く、様子を見守っていたが、なかなか上手いところに到達しないようで、結局イメージをみていた(それでも位置が近位過ぎだったりしている)。せっかくあるのだから、はじめにチラッとでも見て確認してから行った方が結局は早いと思うのだが、私だけ?
15:30 本日の急患手術の脛骨・腓骨遠位開放骨折(GustiloⅢA)+橈骨遠位端骨折の症例が始まろうとしていた。Dr.葉とレジデントのDr.呂でするようだ。橈骨遠位端は例の如く掌側のT型バットレスプレートを用いている。Mr.シーと2人で手早く仕上げていた。この先生は見ていると、どうもせかせかした感じだ。何となく不潔っぽい(この不潔っぽいという印象があまり良くないのである。実際は不潔になっていないのかも知れないけど、周りにそう思わせるような雰囲気・行動というのは良い印象を与えない)。確かに早いのかも知れないが、どうも早さを追及しているような感じ。慣れてはいるのだろうが。。。その間に、Dr.呂がもくもくと下腿の開放創を洗浄している。橈骨側が終わると、閉創はMr.シーに任せて、下腿の処置の方に参加してくる。創外固定を立てる訳だが、近位は脛骨前面中央にハーフピンを2本、足部は踵にトランスピンを2本、中足骨にハーフピンを1本というオーソドックスな感じで固定していた。リングの組み立ては、Mr.シーが詳しく、Dr.呂を指導していたりする。本当に頼りがいのあるテクニシャンだ。
17:00 この後にもう1例、急患手術が入っているようだ。少し休憩した後、再びやってくることとする。休憩所にはスーダンからのfellow Dr.Salimが巨体を横たわらせてソファにいる。今日は朝から長い手術があって、疲れているのだとのこと。2人して少しソファでうとうとしていた。
18:00 Tibia plateau関節内骨折の緊急手術が始まろうとしていた。Dr.葉が今日の担当のようだ。助手には遅れて、Dr.温がやってくる。関節面の整復・固定だけ本日行い、創外固定を立てておく計画のようだ。手荒い感じだが、陥没した骨片を骨折部からエレバのようなものを突っ込み押し上げておおよそ良好な整復位に持っていった。外側からCCSを2本入れて固定した。その後は創外固定をtransarticularに設置するようだが、形成外科の手術が何やらまだ残っているということだったので(Dr.Salim情報)そちらの方に出向くことにする。
18:40 実はDr. salimが先ほど休憩室でメッカの方向に向かってお祈りをしていたのは知っていたのだが、黙って出てきた。そう彼は敬虔なイスラム教徒なのである。スーダンの医療事情やら給料やら、スーダンに来たら何でも間違いなく経験出来るよ(何しろマイクロが出来る医者は2人しかいないとのこと)とのことなどを聞かされる。さすがにそれは・・・。
19:00 こんな時間から口腔癌の摘出術後の再建手術が始まる。耳鼻科で摘出を行った後の再建のようだが、準備までにかなり時間が空いたようだ。Dr.Salimとスタッフの一人がするようだ。形成のFellowである彼は、結構いろいろとさせてもらっているようだ。Dr.Tuの場合、一緒に手術に入って詳細に教えてはくれるが、全て自分でするため執刀をする機会は殆どない。たまに試しにさせてくれる程度だ(要は時間がないのである・・・)。形成外科はマイクロの症例は豊富だが、整形外科のマイクロとはまた違う。こちらのやり方もたまには見て置くのも良い勉強になるだろうと思い、志願して見学させてもらう。ちょうど、形成外科のボス(ここの院長:かなり腰が低いんですけど)が見回りに来ていたので、挨拶して了承を得ておいた。勝手に形成外科の手術とかまで見ていたら、それぞれのボス達が面白くはないだろうから(Dr.Tuには形成外科の手術でも見たいのがあれば見てもいいと既に言われている)。再建は前腕掌側遠位からのradial forearm flapである。基礎的なfree flapであるので勉強しておこうと思った。橈骨動脈を犠牲にしてしまうが比較的有用な皮弁と思われる。橈骨動脈から出ている細かい分岐にだけ気を付ければそれ程難しい皮弁ではないと思う。血管茎も太いし意外と初心者向けなのかも知れない。
20:00 だいたいharvestingが終了した感じで手術室を後にする。地下のフードコートも閉まってしまうので。どうも、骨科の方でももう一例急患手術が入っていたようだった。こちらは特に顔を出さずに帰ることにした。
20:20 地下のフードコートはたいがい閉まってしまっていたが、3つだけ(1つはジュース屋)まだ営業していた。今日はまだ残っているメニューで頼むしかなかった。肉ソボロ飯的な感じと冬瓜とチキンのスープにした。
20:40 帰り際に教授にばったり会った。今台北から戻ってきたのだという。今からまた病院で仕事をしてから帰るのだろう。本当にお疲れ様です。

2010/01/17 日曜観光はなぜか家族ぐるみの大所帯で [休日]

10:00 Lillyとそのおじさん、友人(インドネシアから来たという?)と4人で車に乗り込む。ドミトリーの前まで迎えに来てくれた。車は比較的大きめのセダン(トヨタ)だったので余裕がある。まずは、Lillyの実家があるという台南近郊に向かうことになった。インドネシアから来たという彼女は、おじさんの家でお手伝いさんをしながら他にも仕事をしているようだ。漢語はまだあまり解らないようで、英語もそこそこといった感じ。おじさんもまあまあ英語を話せるので、何とかコミュニケーションは取れる。Lillyはだいたい喋れるので、たいがい漢語を翻訳してくれたり、こちらの言葉を伝えてくれたりする。時々、日本語も織り交ぜてあげる。変な使い方をしていると少し訂正してあげたりした。意味は伝わるけど、ネイティブにはおかしい言葉ってあるから。そう考えると、自分の話す英語何てネイティブにはちょっと恥ずかしくて話せないかも知れない。。。。ネイティブでない人達だから気軽に話せているような気がする。もう少し上達したら、次の段階としては出来るだけネイティブと関わることかも知れない。生活する上での日常会話程度は困らなくはなっているので。
10:40 台南のLillyの自宅に到着した。軽くお茶くらい頂いて出かけるのかと思ったら、何とスナックやチョコなどを頬張りながら、いきなりカラオケタイムとなってしまった。何でもお母さんがカラオケ好きで良く日本語の曲を歌うのだそうだ。くちなしの花?とか何とか酒?とか日本の演歌を4-5曲、お父さんやおじさんも歌いだした(中国語の曲)。みんな聴かせるだけあって、そこそこ上手い。日本語もスムースだった。しかし、会話は殆どできないようだ。単語や簡単な挨拶程度は解るらしい。いきなりのカラオケ接待に戸惑ったが、歌えと強要されなくて良かった。こういう人達は聴くのではなく、自分たちで歌う(聴かせる)のを楽しんでいるようなのだ。
11:20 何と家族全員で出かけるようだ。車2台で9人と大所帯である。何のツアー団体?って感じになってしまった。予想外の展開に唖然としていく。。。これから景色の良い場所に行って、昼ごはんにするのだそうだ。車で1時間ほどかかるようである。
12:00 何だか山道をくねくねと登り始める。舗装はされているが、あまり広くもなく少し気分が悪くなったが、途中の展望台のような場所に到着して景色を眺める。ここは奇岩が連なる景勝地で台南のはずれの山あいに存在するのだが、地球の歩き方には載っていない。草山月世界とかいう名前らしい。結構有名なのだそうだ。しばし、記念撮影などを行ってから再び移動。
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12:30 さらにくねくねと進み、山あいに存在する大きな山荘のような場所に到着。かなりの車が停まっている。有名な観光地のようである。視界の開けた屋上にレストランがあり、それぞれオープンスペースでゆったりと食べられるようになっている。テーブルは中華独特の回るやつで、真ん中には温めるコンロのようなものがついている。そこには大きな瓶に入ったスープが置かれた。特製のスープらしい(鶏がら、何だか高麗ニンジンのような根菜やらいろいろぶち込まれている)。お土産にと外で売っていた台湾バナナ(小さいヤツ)をくれた。一つ食べたが、それ程甘くないようである。スープから始まり、次から次へと運ばれてくる。皆、自分の分をどんどん積極的によそって食べている。あまり遠慮しているとなくなる勢いである。全体的に味は美味しかった。ここ台南地方は料理に関しては台湾の中でも1.2を争うほど美味しいと聞く。なるほどとうなずける感じだった。ガーリックを使った料理が多かったかも知れない。川エビの揚げたものなんかも味付けが絶妙で良かった。腹9分目くらいになったので止めておいた。
13:50 少し周りを散歩してから車に戻り、次の目的地に向かう。どこに行くかは知らされていないので楽しみでもあった(まだこの頃は)。
14:30 塩で有名な場所にやってきた。何でも塩の山があって、塩に関連したグッズや食べ物なのが多く売られている。塩でできた山は全てが岩塩となっていた(階段などまで)。
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風が強く、何となく目がしょぼつくし、鼻もムズツいてきた。少しアレルギーかも知れない。細かな塩の粒子が刺激しているのか?一行は露店で色々と物色し何やら買いこむ。おばさんが記念にとかいって、変てこな人形のキーホルダー?を買ってくれた。嬉しいような・・・。試食もかなりある。こちらの人達は試食にかなり力を入れているのだ。岩塩を熱でまぶした大きな鍋の中に生きたエビをそのまま入れて蓋をして蒸していた。岩塩の塩味がついた焼きエビの出来上がりである。ぱちぱちと蓋の中で跳ねていて可哀そうだったが、結局はみんなでそれをパクつくことになっていた。何だか常に食べ歩いている感じである。その他、塩栗(甘い栗が塩味!?。でもまあまあイケルかも知れない)や魚の干物なども塩であぶって焼いていた。
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さすがに塩ものばかり食べては喉が渇いてしまったので、ヤシジュースを買った(今日は自分で支払ったのはこれだけ)。他の見所は博物館だったが、そこには入らず。ペットとして売られている子豚(かなり小さい。遺伝子操作でもしているのだろうか?)が人気だった。ポニーもいて子供たちが乗って遊んでいた。
15:40 次の目的に出発する。何となく常に満腹感いっぱいな観光だ。そろそろ帰るのかな?と思いきや、また別の場所に向かい出した。
16:30 台南市内の運河にほど近い場所にある、エビ巻きなどで超有名な店に連れて来てくれる。また食べるのか?とちょっと驚いてしまうが、お母さんはたいてい17時頃夕食を取るのだそうだ。もう今日の夕食なんだなと理解する。しかし、食えるだろうか???出てきたのは、スープなしのひき肉入りのラーメンのようなもので、まあまあ美味しい(お腹が空いていればもっと上手いのだろう)。魚のすりおろし入り団子スープと、メインのエビ巻き(すったエビを揚げたもの)、確かにこれは美味しかった。醤油を甘く煮詰めたようなたれと、なぜかワサビをつけて食べるようだ。言われるがまま素直に食べておいた。さすがにもう満腹となり、店を後にすると、となりの店に入って、焼き芋を買っている。勧められるが、一切れ食べるのに精いっぱい。。。美味しいんだろうけどね。しかし、みんな良く食べますこと。
17:00 運河にほど近い、億載金城という昔の要塞だった場所に連れて来てくれた。少し日が傾きかけているが。。。ここには大砲が幾つも設置されていて、そのうちの一つがまだ実際に使用できるようで、ちょうどそのデモンストレーションが始まるところだった。当時の衣装に着替えた係りのおじさんたちが説明して、火薬を詰めてどーんとするのだ。合計3発飛ばした。当然、音と煙だけ。そんなこんなで見学し、周りを2周歩く(お腹を空かせようということになった)。
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17:50 もうさすがに帰るだろうと思いきや、最後にデザートを食べようと言う。豆花の有名な店が近くにあるとのこと。
18:20 そろそろ暗くなってきた。その店は確かに人気店のようで行列ができていた。豆腐関係の食べ物を扱っている食堂のようだ。アンコ入りの甘い豆腐を少しばかりもらった。味は甘すぎず美味しかった。今日食べたものは全て美味しかった。せっかく腹筋で少し引っ込めてきたのに、お腹の張り具合が気になってしまう。
18:40 ようやく観光は終了となった。さあ帰路に着くと思いきや、何だか道を間違えたようだ。街中で誰やらに電話して(もう一台とはぐれたらしい)、何とか復帰。
19:30 帰ると思いきや、いったんLillyの自宅に戻り小休憩をはさんだ。ここで両親や兄弟、親戚の人達は別れる。かなり濃厚な観光をさせてもらってしまった。このような観光が毎回続くとなるとちょっときついかも知れない。ドイツは全て独りで回っていたわけだからな~。たまにはこういうのもいいけど、基本は自分で行動したい人なのですな。
20:20 病院に戻って来る。かなり満足した1日であった。体重計がないので、お腹の出方で判断しなければいけない。今日も腹筋続けなければ。。。。。

2010/01/14 恒例の骨科晩餐会に出席させてもらう [平日]

7:25 遅刻してしまった。6時に目覚ましをして起きたのだが、その後が記憶がない。今日は7時過ぎで良いということになっていたのでちょっと余裕をかましていたのだ。Dr.Tuに連絡をしようとしたが、PHSの番号の控えは病院だった。携帯は電波が届かない。まあ焦っても仕方ないのでゆっくりと病院に向かった。しかし、まだDr.Tuも来ていなかった。もう回診しているのかと思ったのだが。。。今日は木曜日で、手術日でも外来日でもない唯一の日だから朝には余裕があるのだ。
7:45 ようやく到着する。昨日よりは元気そうだ。回診もいつもよりはゆっくりと回り、説明を丁寧にしてくれる。時には看護師にも指導を行っていた。時間がある時はこのようにしているようだ。昔は看護師に怒って指導していたのだそうだが、今はそういうことはしなくなったと言っていた。人前で大の大人を叱ることは、確かにあまり良いことではないと私も経験上知っている。こっそりと後で指導してあげる方が効果的だ。しかし中にはそれに応えてくれない不届きものも混じっているが。
9:00 包交も何人か行い、回診終了。いずれの患者も経過は良好である。回診中に教授が、宗教なので信じる者がある患者は術後の回復が早いと経験上思っている。と言っていたことが印象に残った。これは術後の問題だけでなく、何にでも言えることだと思った。信念・哲学・宗教がある人間の方が何でもやり遂げられるというものなのだ。改めて自分の信念というものを問いただしていかねばと思った。
10:00 医局で作業を行う。今日の午前中に教授と隣の大学の研究室(バイオメカのラボがあるそう)に同行することになっているので、教授の時間が空くのを待っている。毎週、木曜日には研究室の方にも顔を出しているとのこと。こういう時間に与えられた(というより無理にお願いしてもらった症例だが)仕事をやっておこう。Summaryの読解をして日本語でまとめる。演題提出予定だった日本外傷学会の締め切りは1/31までと延長されているのでまだ時間はある。骨折治療学会のネタがまだ見つからない。このままだとまた何か同じネタの焼き直しになってしまう。何かないだろうか?先にこの仕事を片付けてからでないと話を切り出しにくい。もう一つ狙っておく。
11:30 少し遅くなったが、隣の大学(義守大学:I-Shou university)の研究室に連れて行ってもらう。
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Dr.Hisaoも一緒である。彼は研究班のチーフで、この病院や共同で行っている研究を取り仕切っている。病院2Fから大学につながる連絡通路(初めて通った)から大学に入る。ここは専用のIDカードがないと出入りできないようである。この大学は医学部や看護学部はないが、OTやPT、生体力学などの工学系の学科があるようだ。
12:00 時々、病院内で見かける若いDrやここのラボで主に研究しているチーフのPhD.などに挨拶する。幾つかの機械(バイオメカニカル実験や動態解析関係)を説明してもらう。まだ出来てからそれ程経っておらず、全体的に新しい。これから色々と更に充実させていきたいと言っていた。
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臨床と研究の両立を高いレベルで目指している所は実に素晴らしい。臨床だけ、研究だけという人間は良くいるが、彼らの言い分は臨床の人間は、研究なんてしているヒマがあれば臨床すると言うし、研究の人間は基本的に臨床が出来ないのだ。バランスがとれて始めて良い医者なのではないかと思う。常に上(良い治療)を目指すという姿勢こそが発展へとつながる。惰性で生涯のライフワークを過ごしたくないな~。勿論、生活のための仕事と割り切る部分も当然必要であるとは思っております。
13:00 地下の食堂に向かう。今日は詰め合わせの弁当にしてみた。味は濃い目でちょっとニンニクが効きすぎか?
13:30 Op室の入口に手術スケジュールを見に行ってみる。TKAや脊椎などが多い。骨折の手術もあるが時間がなかなか解らないので、今日は研究日ということにしてデスクワークメインとすることにする。
14:30 医局の秘書さんたちが仕事をしているが、あまり忙しくない時は何か食べたりして比較的余裕がありそうである。台湾の豆で出来たお汁粉のようなスィーツ(ジュースみたい)をくれる。豆や寒天みたいのが底に沈んでいてすくって食べる。結構イケル。一人が日本語を勉強中だった。教科書を見せてくれたが、結構勉強熱心なようだ。みんな色々と頑張っているんだなと思った。
15:00 症例報告の解剖を勉強していたが、手術方法がイマイチ解りにくかったので、教授の部屋を訪れる。今日の午後は部屋で色々と公務をこなしているようだ。時々面会の人も訪れている。質問には嫌な顔をせず親切に色々と解説してくれる。絵まで描いてくれた。お陰で良く理解できた。それに加え、今月分の給料を台湾ドルで手渡ししてくれた。これで生活費には困らないだろう。来月以降は日本円であげることも出来るからと言われた。何とも有難いことである。また、4月の来日の件であるが、既に日程スケジュールを立ててくれているようだ。秘書のCrystalが航空券も手配してくれた。関西空港到着時には、必ずや出迎えて差し上げようと思う。それが多少なりの恩返しというものである。引っ越し直後、出産前と大変な時期ではあると思うのだが。。。
16:00 図書館に出向く。病院のIDをもらえたので本を借りることができるようになった。Kevin Chuang先生の手の外科の教科書を2冊(DVD付き)を借りた。1ヵ月借りることができるよう。InjuryやJHS(A)の論文をpick upしておく。
17:20 Crystalから連絡があり、Dr.呂が医局で待っているとのことで戻った。今日の晩餐会に彼らが連れて行ってくれるので待ち合わせしていたのだ。
17:35 着替えて、Dr.温とともに3人で会場のSprenderホテル(前回の学会でも使用した所)に向かった。この時間は渋滞もあるようなので少し早めに出ることにしたのだ。彼らはまだレジデントなので会話も気楽で結構楽しい。色々と興味深そうに聞いてくるのでこちらも聞き返すという感じで、良い英会話の練習になっている(お互いネイティブではないけど)。台湾のDr.はたいてい英語を解するが、そのレベルには多少差があるようだ。あまり得意でないDr.もやはりいる(日本のそれ程ではないけれど)。英語の苦手な日本人は無口になってしまいがちなのだ。
18:15 少し早めに会場に到着した。まだ誰も来ていなかった。大きい丸テーブル(良く中華料理屋で見かける回転するあのテーブル)が一つあり、そこに皆で座るようだ。総勢12人程度だろうか?今日はDr.Tuは来ないとのこと。No.2のDr.干がここでのトップになる。一番上なので、色々と話が出てくる。他にもMr.シンやMr.レイ(脊椎の器械メーカー)、プロパーの女性も2人来ていた。たいがいこういう場はプロパーが支払っているようだ。持ちつもたれつの関係なのだろうか?プライベートホスピタルならではのようであるが、日本の接待よりかなり癒着気味の感じだ。昔は日本もいいシステムだったのにな~。とバブル期の頃をうらやましがったりする。
19:30 料理はコース料理だが、特別これというものはなかった。ビールをまあまあ飲んだ(飲まされた?)。こちらの人は目が合うと、コップを掲げて飲みましょう!みたいな合図をするのだ。必ずしも全て飲み干す必要はないのだが。。。
20:50 結構、話し込んで遅くなったようだ。Dr.呂が病院まで送ってくれるそうだ。彼もビールは2杯くらい飲んでいたが。ここらへんもまだ飲酒運転の認識は甘い。
21:20 帰宅する。少しほろ酔い加減だ。明日は朝のカンファレンスが予定されているので少し早めに起床しよう。

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