2010/03/02 デスクワーク中心の日中、夕方からリサーチミーティングに再び参加する。 [平日]

6:30 今日は早目に病院に到着する。モーニングカンファレンスが始まるのでそれに伴って回診も早まるのだ。昨晩は遅かったので、少し身体が重い感じがする。いつも通りに教授を待つ。
6:45 回診を始める。昨日の手術患者を中心に回る。2ヵ月以上経つが、会話内容はいまだに理解しきれない。雰囲気だけはつかめるようにはなっている。しかし、文句を言っている患者は今の所見ていない。
7:10朝の回診は教授のルーチンワークであるが、Dr.高もレジデントを連れて行っている。今はレジデントのDr.呂がついている。
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7:15 毎週火曜・金曜で行っていたモーニングカンファレンスが再開された。2月は正月月間ということでずっとお休みだったのだ。また、手術室に張り出してあった統計を見ると、2月の手術件数は例月よりも100件程度少なかったようだ(骨科は毎月500例程度の手術をこなし、全科中トップの数を誇っている)。
7:30 今日は、Leoとかいう会社のinnohepというDVT予防の注射薬の紹介が行われる。朝食はマクドナルドのメニューが並べられている。朝早くから誰かが人数分を買い込んできたのだろう。なかなか準備は大変かも知れない。
8:00 内容はイマイチ解らなかったが、朝食をゆっくり摂ることができた。オレンジジュースが余っていたのでもらっておく。この後は、引き続きスタッフミーティングがあるそうなので、看護師、レジデント、その他は退席することになった。
8:30 手術室に本日の手術内容を確認しに行く。午前中はTKA・THA・脊椎などばかりなのでフリーにさせてもらおう。
9:00 何となく気だるいので図書室に行って休憩する。奥の方の机でジャーナルを読みつつゆっくりすることにする。
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11:00 何度か目覚めては雑誌に目を通していたが、2ページ程しか読み進んでいなかった。しかし、お陰で良い休養が取れたようだ。
11:30 地下のフードコートに簡単な昼食を早めに取りに行く。喉が渇いていたので、ミネラルウォーター、ポカリスウェットを買い込む。
12:00 医局に戻り、PC checkする。すると妻から電話での症状確認の結果が早くも戻ってきていた。何と仕事が早い!家に閉じ込めておくのは勿体ないか?JOTに投稿した橈骨遠位端骨折のfollow up不足の症例たちであるが、概ね成績は良好なようだったので安心した。
14:20 手術室に向かう。午後は、Dr.馬の外傷症例などが入っていたので見に来た。すると、手関節掌側の結核性の滑膜炎という症例の滑膜切除術を行っていた。ルーペも用いず、手技的には少しtraumaticな気がしたりする。。。手の外科専門というより、外傷外科医がどこの部分でも扱っているという印象である。自分もそのように言われないように、特に手の外科領域では組織に愛護的に、周りの見ている人からも術野が綺麗だと言われるように臨みたいものである。
15:10 次の症例は、脛骨遠位端骨折のセカンドステージ手術が予定されている。夜の急患の時に、レジデントのDr.呂と腓骨のORIFと創外固定が行われていた。今日は創外固定を外し、脛骨をプレート固定するようだ。MIPOではなく使用するプレートの関係もあり、openで内固定するとのこと。他の手術室では、Dr.干が脊椎後方固定をMr.シー達としており、もう終わりそうだったのと、Dr.呉の抜釘(脛骨をMIPOで固定していたので、その小皮切で抜去していた)。
16:00 外来看護師に外来に来るよう呼ばれた。教授が少し余裕あるらしく、症例を色々と紹介してくれた。その中でも、前から是非見たいと希望していた舟状骨偽関節に対する血管柄付き骨移植の症例があった。来週月曜に手術予定となった。また明日は、先天奇形のハンドの症例も2つ組まれている。帰国前にハンドの症例が集中してきた。良いチャンスと思われる。
17:00 再び手術室をうろつくが、Dr.Salimにも逢わないし、今日は形成外科の手術も特にこれと言ったものはないようである。手持無沙汰になってしまう。
18:00 フードコートで野菜中心のバランス良くオカズをチョイスして夕食にする。そう言えば、最近左の奥歯がまた少し痛んできた。特に強く噛むと。少し緩んできたのかも知れない。帰国しても保険がないと歯医者にも通えないということを思い出した。
18:30 医局に戻って作業していると、会議室に続々と人が入ってきた。今日はリサーチミーティングがあるそうだ。Dr.Hsiaoが良かったら参加するか?と言ってきてくれたので、時間もあるし顔を出すことにする。
19:30 成功大学(台南:ここから高速だと車で30分くらい)の学生を中心にここのラボで行っているバイオメカの研究の進捗状況を確認している感じだ。学生はみな熱心であった。

2010/03/01 3月に突入。いよいよ残り2週間を切った! [平日]

6:45 1週間の始まりということで少し早めに到着する。Dr.許は既に到着している。彼の家は街中に近いから、車で来てももろもろ30分近くかかるだろうから、かなり早起きしているハズだ。レジデントは当たり前なのだが、最近の若い医者は忙しいのを好まなくなっているのが気がかりである。これは万国共通の現象のようだ。でもレジデントの時くらい忙しくなくてどうやって充分な経験を積むというのであろうか?要領良くというのがbaseにあるらしい。
7:00 今日は、教授の肌のツヤが一段と良いようだ。50過ぎにしては肌ツヤ良い方なのだが(頭のてっぺんは寂しくなっているけど)、今朝は上機嫌のよう。
7:30 回診中にその理由が判明した。私が教授の昔の友人の連絡先を調べ上げて(mailアドレスが解らなかったからクリニックに直接FAXを送ったりした)、その旧友からメールで連絡があったのだそうだ。6年間連絡が取れなかったそうで、かなり嬉しかったようだ。アメリカのMayo clinicで1年に渡り、行動を共にしていたそうで、兄弟のような関係だと言っていた。自分としてはそれ程大した仕事をした積りはないが、凄く良い仕事をしてくれたと大喜びだった。だから今日の手術は実に気分良く気合いが入ってできそうだと言っている。結構、単純な人でもある。
7:55 Op室で教授とともに朝食を取る(手術日はいつもの様にFloraが買ってきてくれる)。やはりその旧友との話で持ち切りだった。暫くはこのネタで引っ張れそうだ。
8:30 1例目は珍しくTKAを教授がされる。裏の列では、Dr.許がTHAを行うようだ。2人とも金持ちのVIP患者らしく、当然麻酔がかかる前に教授自らが挨拶して自分が執刀しているような気にさせている。久しぶりにTKAの手伝いをさせてもらうことにした。香川でY先生のTKAの手伝いで何回か入って以来だ。昔は、周南のM先生の人工関節や大学ではO隊長、Dr.Okのもとで執刀もまあまあしていたが、もう関わることもないだろうと思っていた。教授のTKAというものを一度見てみたかったので良い機会だった。
9:00 駆血はタニケットを用いずonにするだけ。Approachはmidvastusでpatellaのmarginにはretinaculumを付着させて(閉創時に縫い易くするため)関節内を展開する。アシストは当然Mr.シーとZimmerのベテラン(少し日本語も解る)が付き、実に連携良く無駄がない。迷いがないというのが、手術が早く進んでいく重要なポイントと思われる。このアシスタント達が教授のやり足りない部分を補うように上手くアシストしている。何も解っていないやる気のない研修医を付け、指示しながら(指示してもうまく動かなかったりする)するより、はるかに効果的だというのが実に良く分かる。可哀そうなことに教授の手術にはレジデントはあまり参加できていないというのが実情である。レジデント達の本音もいずれは聞いてみたいものだ。
9:20 インプラントはpatella非置換で、tibiaサイドはPS(PCL温存しない)type、またfemoralサイドとともにセメント固定である。セメントは教授自ら作っている間に、アシスタント達が洗浄したり余計な軟部組織を取ったりと短時間で済ませている。1時間もかからずに終了。
9:30 THAの方も大方終了しつつあった。インプラント会社の人間が手術に関われるという、日本では現在禁止されているこのシステムにより、これだけ効率の良い手術進行をサポートしているのである。ここのやり方は良いとは思うが、しかし日本では実現不可能なシステムなのだ。
10:00 片付けも相変わらず素早く、次の脊椎症例がスタンバッている。2例目からは、シンセスのベテランMr.レイが加わっている。彼らは手術の予定をみてしっかり行動している。現に、Mr.レイは1例目の最後の方では、ソファでPCをいじって何やら作業していた。私が現れたのを見ると、もう1例目のTKAは部屋を出たのか?と焦って聞いてくる。遅れてはならないという緊張感が彼らの中にはあるおだろう。それだけ教授の神通力が行き届いているということなのだ。
10:30 脊椎にもそのままの勢いで参加させてもらう。何となく出血が多かったが、教授は構わず続けている。早く終わらせることが出血を減らす手段の一つであることを理解しているのだ。4 segmentの後方固定をルーチンワークとして1時間15分で終了させる。もうこのペースにさほど驚かなくなってしまった。アシスタントが彼らなら自分でも2時間程度で終わらせられるような気になってしまう。アシスタントが彼らでなければどうなるか解らない。
11:30 裏の2例目のTHAの方も大方終了している。今日はいったん医局に上がってから、昨晩食べなかったおにぎりなどを食べることにしよう。早く食べないと痛んでしまうし。
12:00 医局の机でPCを開きつつ昼食をとる。昼からの1例目は、脊椎とTKAなのでいったん休憩にして、昼2例目から参加する積りだ。文献検索などをしておこう。
13:00 PubMedで論文作成のための文献検索をしていると、昨年はじめにJBJSに自分が載せた論文内容を支持するような内容の論文が幾つか発表されているのを見つける。自分のが世界に先駆けて発表出来たことに改めて良かったと思う。やってきたことが間違いではなかったと解ると、何となく嬉しいものであるし、次につながるパワーとなってくれる気がする。
14:30 Dr.許と先日一緒に撮った写真を交換したりしながら、次の手術の準備が終わるのを待つ。彼はすでにこの時間までにTHA2つとTKA1つを終わらせている。彼と記念写真をパチリ。
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15:00 脊椎の3例目を終わらせて教授がやってきた。次の手術は第5中手骨の骨腫瘍に対する切除+プレート固定である。Enchondromaと思われた。病的骨折を防ぐための手段でもある。何か所かscrew固定をやらしてもらう(ハンド用のドリルを使うのではなく、エアトームの先端にドリルをつけて行う。ペンシルホルダータイプなので持ち易いと思われた)。
16:30 隣の部屋で進んでいた脊椎手術をほぼ終わらせて教授がまたやってきた。今度はよその病院で受けた上腕骨近位端骨折のORIF後の変形癒合の症例で、hemishoulderarthroplasty(人工骨頭)の予定だ。変形癒合後はもとの解剖が解り難くなっているので、そのメルクマールを見つけるのがポイントである。前回皮切(deltopectral approach気味)を利用して展開する。電気メスでmuscle fiberをsplitして展開する。メルクマールのcephalic veinは解らなくなっていた。容易にplateとlooseningをおこしたscrewが露出し、全体を剥離していく。これらをまず抜去した後に骨切りを行っていく。通常であれば、ここでbicipital tendonが小結節と大結節を分ける重要なメルクマールとなるのだが、この症例は解らなくなってしまっている。しかし内側でsubscapurais muscleが付着している個所が小結節で、外側上方でsupraspinatusなどの腱板が付着しているのが大結節なので、その解剖を意識して全体像を把握した後に剥離を行い、これらを骨切りしていく。変形してしまった骨頭を切除し、これら腱付着部である大結節と小結節を分けていくのである。Bicipital groove付近から骨のみを持ちいて分ける。この際、小結節側の骨片を内側へ、大結節側の骨片を外側上方にretractしておく。ここでしっかりとこれらsubscap・supraspinatusの周囲との癒着を剥がしておくことも重要である。この分け入った間から不要な変形癒合した骨頭が覗いてくるので骨ノミやロンジュールで徐々に取り除いていくのである。Glenoid側は比較的きれいでlimbsはそのままにしておく(人工骨頭の求心位を保つため)。骨切りの場所がポイントであり、この位置によりステムをどこまで髄内に刺入すれば良いかが決まる。微調整は骨頭surfaceの厚みでもできるが、基本はこの位置とステムの深度だろう。加えて、骨頭は後捻(40°程度)しているため、その方向を意識してステムを挿入するべきである。位置決めを行った後(Mr.シーがしっかりと電気メスでその位置をマーキングしていた)、本物のインプラントを髄内に挿入した(セメント使用)。ここの施設はインプラント設置の際は、基本的にセメント使用としているようだ。セメントが固まってから骨頭のサイズ・深さ調整を行う。アシストにはZ社の彼が入っている。
17:30 骨頭を設置した後(off setのついたタイプを使用した)、始めに骨切りを行った大結節と小結節にK-pinで骨孔を開け、エチボンドを2ヵ所ずつ通しておく。設置したステムに付いているホールにこれらエチボンドをバランスよく均等に縫着していく(大結節はやや上方、小結節はやや下方に位置するという解剖学的位置も考慮)。更に、内側と外側のこれらエチボンド糸同士も縫合して解剖学的にほぼ再建された。更に、splitしていた腱板部分もバイクリルで縫合していく。これでかなり表面はsmoothに再現された。1つ1つがどれも有用な手技である。次から次へと手技をアシストする要領の良いZ社の彼と仲良くなった(少し日本語も解る)。
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18:20 途中、外来手術のケルバン腱鞘炎の手術をこなした後、麻酔がかかって待ち呆けているDRUJ背側亜脱臼症例に対するPL腱を用いた再建術を始める。小皮切で行うらしい。この手技も自分でmodifyして編み出してきたのだそうだ。背側には3ヵ所の小皮切が入る。尺骨遠位外側、DRUJ直上、リスター結節部である。外側から尺骨遠位の骨内を通し、DRUJ背側に至り、第4コンパートメント内では伸筋腱群の下(橈骨骨膜の直上)を通す。第3コンパートメントまできて、更にEPLの下を通し、リスター結節に骨孔を開けて第2コンパートメント側にいく。この経路を一直線上にsmoothにすることがポイントである。孔を開ける際は皮切が小さいので、cannulate typeのドリルで行った方がやり易そうだった。手技的には慣れないとこの皮切では少々難しいかも知れないが出来ないことはない。
19:00 これら骨孔作成までに少し時間がかかってしまう。やはり集中力もこの時間だから落ちてしまっていることもある。続けてPLの展開は横切開ではなく縦切開だった。いざという時は延長出来るからかも知れない。必要な長さ分のみ採取を行った。
19:40 更に、この採取したPL腱をこの骨孔に通す作業でも苦労する。あの手この手で行ったが、結局は一気に引き出そうとせず、1ヶ所ずつ徐々に行うのが良かったようだ。いつもならしていることなのかも知れないが、皆疲れが出てきているのか思考回路がぱっとしなくなっていた。
20:10ようやく終了となる。自分にとっては新しい手術術式であり新鮮で良かったが、教授はさすがに疲れが伺える。その中で、Mr.シーは疲れを知らない男である。
20:20 Dr.許が電話している。奥さんにしていたのだろう。まだあと1例残っていたが、教授の計らいで、チーフレジデントの彼は帰っても良いことになった。彼も今日は朝から執刀が続いていたから疲労はあるだろう。最後の手術は3人ですることになる。
20:30 次も同じ部屋だが、ものの見事にテキパキと仕事している。最後の手術が準備された。当初は、上位型BPI患者に対する肩機能再建でLD flaptransferを行う予定であったが、僧帽筋・三角筋の縫縮という簡便な手術術式に変更になってしまっていた。正直、これは手術時間の問題が影響していたことは否めない。最後にこの手の手術を組んでいると、疲れていたり、時間がなくなると術式が変わってしまうことも時に経験する。出来るだけ、無理な予定は組まない方が無難だろう。患者の身になってみれば、そんなことで手術術式が変わってしまうのではたまったものではないだろう。
21:30 本日、全ての手術が終了した。最後の手術は、一度同じ術式を見たことがあるのでだいたい解っていた。果たしてどれ程の効果があるのだろうか?ダメだったら、当初予定のLD flap transferをいずれ行うことになるのだろうか?などと意地悪く考えてしまったりもする。
22:00 教授とともに街に食事しに出かける。疲れているようだが、この仕事後のリラックスできる時間が幸せのようである。食事後は、また行きつけのマッサージの店に行こうということになった。支払いを考えなくて良いので気が楽である。もう遠慮はしないことにしている。相手をもてなすことが、教授の最大の楽しみのようでもある。

2010/02/27 ゆったり土曜日。Dr.許夫妻と日本食料理屋に行く。 [土曜日]

7:00 7Fの詰所でDr.Tuを待つが、今日はなかなか現れない。今日は7:30から病院全体の講義があるので早いと思っていたのだがそうではなかった。
7:40 Dr.許とMrs.ティンの3人で挨拶回診をしておくことにする。今日はどうやら教授は珍しく寝坊してきたようである。いつもきっちり時間通りに来られても下は辛いだろうから。たまには良いだろう。
8:05 Dr.許は出席を取りに(IDカードで出席の有無を確認されるのだそうだ)もう始まっている講義に向かっていった。自分は手術室に向かっていく。
8:15 もう教授は手術室に来てすでに着替えていた。回診は手術後にさっと回るのかも知れない。今日は昼から台北に出張すると言っていたので、手術も4件しか組まれていない。
8:45 ソファで少しゆっくりしてからOp室内を覗くと、関節鏡視下のlateral releaseとTKAが始まっている。関節鏡はいつもの如くMr.シーが行っていた。ここまで鍛えるには時間がかかっただろうが、教授の影武者(しかも実に忠実な。よっぽど変にプライドの高い医者なんかより使い勝手が良い)として、なくてはならない存在になっている。彼にはたいがいのことを任せているが、レジデントや他の医者にはそうではないのだ。
9:00 Mr.シーの動きを少し見つつ、部屋を後にする。昨晩少し夜更かしをしたので、ちょっとソファでくつろがせてもらう。
10:20 そろそろ2例目が始まる頃だろうと、覗きに行く。腱板断裂症例が既に始まっていた。何例か見たので、それ程もう新鮮さはなくなったが、注射ではなかなか良くならない難治性の肩関節周囲炎の症例には、簡便な手技なのでやってあげても良いかも知れない。しかも伝達麻酔で出来そうなので。
11:00 もう1つの部屋でもう1例の腱板断裂(以前の手術後の癒着の症例)が始まる。こちらは切開して、subacromial spaceの癒着を剥離し滑液包炎による滑膜様組織を除去するだけで終わってしまった。また、患者が創をきれいにして欲しいとの希望があったそうで(自費で美容形成にかかると2万NTDかかるそう。約6万!?)、ただでしてあげると言っていた。確かに瘢痕をとって、皮下をきっちり丁寧に縫ってあげるだけだし。。。
11:40 手術の片付けも終わり、教授は早めに退散して行った。レジデントのDr.邸も、Dr.許も今日は早く終わるので余裕があり、いつになくおしゃべりだ。たまにはこういう日もなければ若いDrは辛いだろう。Dr.邸は午後から台南の彼女に会いに行くらしいし、Dr.許は新しく買ったデジカメのレンズを試すのに奥さんと公園にでも行くとか言っていた。彼が夜は時間あるか?と聞いてきた。何でも日本料理屋に連れて行きたいとのこと。せっかくだから誘いに乗ることにした。
12:30 地下でいつものお粥系の昼食をとった後、部屋に戻る。今日は良い天気だ。
13:30 シャワーを浴び、布団を干すことにした。週末でなければできないのだ。ここは11階なのでベランダから下を見ると相変わらず会陰部が収縮してしまうのだ。
15:00 部屋でのんびりと過ごす。少し昼寝でもとも思ったが不思議と眠くはならなかった。
17:00 約束の場所にタクシーとMRTを乗り継いで向かうことにした。迎えに来てくれると言ってくれたのだが、自分で行くから良いと断ったのだ。
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18:00 時間通りに凸子底という、Dr.許のマンション最寄りの駅に到着。彼が入口で待っていてくれた。少し離れた場所の車の中で、奥さんも出迎えてくれる。英語は結構上手なようだ。
18:40 彼の家族が行きつけという日本料理屋に到着。場所は聞いたが良く解らなかった。造りは日本の小料理屋風って感じか?演歌が流れている。客層は中年夫婦などが多い感じ。
19:30 次から次へとマスターお任せメニューが運ばれてくる。刺身は結構新鮮だが、ワサビがいかにも人工物でありイマイチか?ビールも1本のみ飲む。奥さんは妊娠8ヵ月なので控えていた。味は結構イケた。
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20:10 かなり満足するくらい食べたが、デザートのかき氷の店を案内してくれることになる。
20:40 少し離れた海沿いに近い場所の、創立60年というおばあちゃんのかき氷屋って感じの有名な店に入る。色々なメニューがあるが、お薦めの一品を頂く。今日も全ておごってもらっている。マンゴーのかき氷は食べたことあったが、今日のは梅とかが入った少し珍しい感じだった。味的にはそこまで・・・という気もしたが、珍しいという意味で良かったかな。
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21:00 週末で街中は騒々しかったが(所々で花火が上がる。と言っても日本の花火大会のような凄いものではなく単発でちゃっちい)、満腹になってドライブをしつつ病院まで送ってくれた。

2010/02/26 夜に再びラブリバー沿いランタンフェスタに出向く [平日]

7:10 いつもの如く少し遅れて教授がやってくる。今日まで朝のカンファレンスがない日(旧正月期間のため)のようだ。来週の火曜から再び始まるらしい。従って、朝はゆっくり目スタート。
7:30 脊椎・人工関節の患者ばかりで、実はあまり面白くはないのだが一緒に付いて回る。患者の表情はみな明るいのがせめてもの救いか?今日は1人気になったおばあちゃんがいた。鼻の穴が普通にデカイのだ。わざと広げているのかと思っていたが、常に広い。隣の椅子に座っている娘と思わしき人はそれ程大きくもないのだが。。。そんなことを見ながら1人楽しんだりする。
8:00 手術室に本日の予定を見に行く。今日もありきたりの手術のラインナップだ。もう考えを変えて手術見学は教授と形成外科の興味深い症例のみでも良いかも知れない。正直、なかなか(自分の)ためになりそうな手術が予定に入って来ない。実は、急患で既に済まされてしまっていることもあるのかも知れない。
8:20 地下に朝食を食べに行くと、Dr.許も珍しく座って食べていた。AAOSのテキストブックを持参している。彼はこれから教授の外来の手伝いに行くのだが、空いた時間などに読むのだろう。レジデントも色々と大変だ。
8:40 Dr.Salimに今日の形成外科手術予定を確認する。Free flapが何例か入っているようなので、皮弁の採取の際にはPHSにcallしてもらうように言伝しておいた。
9:00 午前中は医局で過ごすことにする。何気なくインターネットを見てみると、今日はバンクーバー冬季オリンピックの女子フィギュアスケートフリーがあるそうだ。テレビ中継は見られないが、PCで速報なら確認できそう。
10:00 PCでDVD勉強をする。手術がないからビデオで勉強でもしておこう。論文も作成したいところだが、なかなかやる気が起きてこない。何とかしなければ。。。
11:00 鈴木明子がSPではイマイチだったそうだが、フリーで現在首位に立ったそうだ。皆頑張っているんだなとか思う。でもすぐに抜かれていってしまったようだ。
11:30 安藤美姫や浅田真央もこれから滑るらしいから、今日は医局で昼食を食べることにしようと思い、急いで地下のセブンイレブンに行って食料を買ってくる。
12:00 演技は見られないのだが、インターネットの実況中継が1分ごとに自動更新されるので、情報は伝わってくる。テレビで見るよりも想像力を掻き立てられる。ちょっとハラハラしてしまうのだ。
12:30 金ヨナが凄い得点を出して首位に立った。その次を滑る真央ちゃんはかなりプレッシャーだっただろうね。トリプルアクセルを2回決めた(世界初?)らしいけど、得点はそれ程伸びなかったようだ少し失敗もあったのかな。でも日本代表の皆さん大変お疲れ様でした。
13:30 こちらの人は冬季オリンピックなど殆ど興味がないようで話題にすら上がらない。南国のスポーツではないし、台湾からは選手は出場していないし。まあ当然でしょう。さて、手術室に立ち寄ろう。Dr.馬がMr.シーとレジデントとともにACL再建を始めようとしていたが、関節鏡が準備できてないらしく、待ち呆けていた。暫く皆とだべった後にお暇する。ここのスタッフから見て私はどういう立場に写っているのだろうか?暇を持て余してそうな感じか?外科の腹腔鏡での腸縫合の様子を外から見たり、看護師の働きぶりを観察したりもする。
14:00 手術着を重ね着したまま白衣を羽織り、外に出る。図書室にでも行ってみようか。教科書で勉強をする。もっとうまい時間の使い方を早めに考えなければ、このままでは時間が勿体ないかも?
15:30 Dr.Salimから連絡があり、形成外科のflapの手術が始まるとのことだったので、向かってみる。1つの方はradial forarm flapで既にharvestingが終了してしまっていた。採取の方が興味あるんですけど。。と残念がるが親切にも連絡してくれたのは有難い。
16:00 そうこうしていたら、Dr.Tuが外来に来てくれと連絡が入る。昼間はたいてい呼ばれないのだが、午後の遅めから呼ばれることがある。以前一緒に手術に入った、母趾軟部組織欠損に対する、reverse island flapのfollow upであった。皮弁採取部分が手術直後は陥凹していたので、今後どうなっていくのか興味があり、followを見たいと言っておいたのだ。わざわざ呼んでくれるのだからやはり有難い。しっかりと陥凹は膨らんできてsmoothになってきていた。分層植皮を採皮した下腿外側部もそれ程目立たなくなっている。
16:45 再び、手術室に戻る。もう1つのflapは、下顎部のがん摘出後に、以前、free fibulaを行ったらしいのだが、それが生着しなかった症例のようだ。デブリは既に済んでおり、今回はfree iliac boneを行うようである。やはりfree flapの失敗症例は悲惨である。上の方のレジデント(背が高くて態度がちょっとデカイ)がharvestingを行っている。慣れてはいるのだろうが(症例がかなり豊富だろうから)、骨を切除する時のノミの使い方は、やはり整形外科の方が上手いなとか思いながら見ていた。結局は、形成外科がかなり凄い技術を持っているのではなくて、少し特殊な分野を扱っているというのに過ぎないのだということが解って来た。大事なのはやっぱり正確な解剖の知識(+経験)と愛護的な剥離の技術、血管吻合の技術に他ならないと思う。
17:20 最後まで摘出せずに、手を下してどこかに消えて行ってしまった。仕方なくソファのある休憩所に赴く。そこには、少し疲れた顔(黒人だから顔色は変わらない・・)の、Dr.Salimがでんと座っていた。少し喋っていたら、少し時間をくれと言って、お祈りを始めた。初めは何やらアラビア語でぶつぶつ唱えていたが、少し経つと、地べたに座り出しお辞儀をし出した。邪魔してはいけないので、そーっと外に出て行った。日本では味わえない光景だった。彼は、奥さん子供一人と来ているのだが(半年予定)、食べ物が困ると言っていた。イスラム教だから、高雄で唯一のイスラムの料理を扱う店に行って、週末に食材を買い込んでくるのだそうだ。奥さん達も彼が仕事に行っている間は、さぞかし暇だろうなとか思ったりする。何をしているのだろうか?
17:50 Opは少し偉そうなレジデントがしているので、再び入る気も失せたので手術室を後にすることにした。
18:50 医局で作業をしていると、今日はいつもより早めに教授が外来を終えて部屋に戻ってきた。今日の夜や週末のことを心配してくれている。1人にさせておくのが申し訳ないとでも思っているのだろうか?
19:00 今日は手術室のヘルパー男性と麻酔科看護師(2人とも日本語を勉強しているということで、時々手術室で喋ったりしていた)の3人で街に出かけることになっている。
19:10 手術室待合室で、Johnがやってきた。英語も堪能なので会話には不自由はない。彼のバイクの後ろに乗せてもらい、街まで行くことになっていた。ヘルメットは準備してくれていた。彼女も自分のバイクで追っかけてくるとのこと。
20:10 途中、Johnのアパートに寄ってから、街に到着した。バイクだとかなり時間がかかることが解った。しかし、車では見られない風景もあり結構新鮮であった。
20:30 今まで教授達では連れて来てもらえなかった、若者の街(渋谷みたいな感じ)周辺も案内してくれた。さすがにお腹が空いて来ていたので、レストランを目指す。
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21:00 パスタの店(別に台湾ならではでもないのだが)に入って食事を済ませる。食後に飲んだココナッツミルクがかなり美味しかった。
21:45 ぶらぶらとバイクで走りつつ、先日もDr.呂たちと訪れたランタンフェスタにやってきた。この間よりも人が多い。今週末で終了だからかも知れない。二度目ではあったが始めてのように楽しんでおいてあげた。
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23:20 何だかんだ過ごして、遅くなってしまう。Johnに帰りもバイクで病院まで送ってもらう。
24:00 到着したのは日付が変わってからだった。この時間は少し肌寒い。途中バイクで走っていた時、周りに何もない寂しい場所では寒いくらいだった。台湾でバイクに乗るというあまりない経験をした一日であった。

2010/2/23 日中は優雅に図書館で、夜はランタンフェスタに繰り出す [平日]

7:00 教授をいつものように待つ(Dr.許、Mrs.ティン、私の3人で)。他の2人はやることもあるが、自分はこの時間結構手持無沙汰なのだ。手帳を開いて今後の予定を立てたりして過ごす。
7:10 回診を始める。昨日の術後患者が10人以上もいるのだが、それ程みな重篤感はない。手術時間が脊椎でも1時間ちょっとなので大手術という認識がないのかも知れない。術後の疼痛管理(麻酔科看護師が行う)もしっかりされているためと思われる。日本みたいに医者がなんでもしているような国では効率良く管理するというのも難しいだろう。
7:50 回診終了し、その足で今日の手術予定を手術室技術員の部屋に見に行く。それ程興味を惹かれる手術が今日もない。暇だったら手術をさせてもらおうかなとも一時期考えたこともあったが、最近はそういう気もあまり起きなくなってしまった。もうありきたりの手術では、そんなにがつがつ経験しようとは思わなくなっているのかも知れない。それよりマイクロや皮弁の手術を、本当はもう少し経験したいんです。。。
8:10 地下で朝食を食べる。途中、レジデントのDr.呂やDr.温も買いに現れる。2人とも結婚しているのだが(台湾のドクターは比較的結婚が早い印象)、朝ご飯は家では食べてこないようだ。
9:00 医局に戻り、自分のPCを持参して総務課に出向いてみる。地下ではワイヤレスのインターネットが使えるということが解ったので、自分のPCでも設定さえすればつなげるかも知れないと思ったからだ。しかし、色々と担当者に電話などで問い合わせてくれたりもしたのだが、Windows XPまでなら設定できるが、Vistaやセブンはまだ対応していないのだとか。同じく病院のLANケーブルへの設定に関しても同じ回答だった(これは以前も聞いたことあったが)。何で今時、Vistaもダメなのだろうか?病院自体は新しく綺麗なのにここら辺の整備は遅れていると言わざるを得ない。インドでは出来たのに。おそらく設定させすれば出来るのだろうが、それを理解している人間がいないのかも知れない。
10:00 仕方ないのでいったんドミトリーに戻る。今日はdutyがないのでfree行動なのだ。確認しなければいけないメールがあったのだ(4月からの外勤の件や骨折治療学会への台湾からの演題登録の件など)。いろいろとメール関連の仕事を済ませる。
12:30 再び病院に戻り(部屋のドアから病院玄関までは普通に歩いて6-7分)、地下に昼食を取りに行く。今日は夕方から街で開かれているランタンフェスティバルに行こうということになっていたので外食になるだろうからと、昼間は簡単に済ませることにした。
13:30 図書室に出向く。今日は色々と文献を探すことにしている。図書室の受付の男性(2人とも色々と親切に教えてくれる。英語力そこそこ)に電子ジャーナルの探し方やコピーの仕方を詳しく教えてもらった。図書室にはあまり雑誌のバックナンバーの在庫がないと思っていたら、電子ジャーナルとして保管されているようだ。この方が実に効率的で便利である。コピーの手間が省けるというものだ。今時、雑誌をいちいちコピーするというのは時代遅れなのかも知れない。
14:00 欲しかったジャーナルの論文を次から次へと印刷していく。簡単にできてしまうので(病院関係者しか当然できない。暗号入力などが必要なので)コピーし過ぎた。読まなければ意味がない。
15:00 医局に戻って論文を少しずつ読んでいく。最近は、辞書を使わなくてもある程度のスピードで読めるようになっている。やはり何でも慣れが必要なのだと思う。論文も必要な部分とそうでない部分があるので、全部を読破する必要もない。この辺りは要領かも知れない。今まで苦手だった論文を読むと言う作業も少しずつ克服していかねばと思う。
17:00 そろそろ外来も佳境は過ぎたかなと思い、立ち寄ってみる。下腿軟部組織欠損に対してGlacilis muscle free flapをした若い女性が処置室ベッドで待っていた。軟部は綺麗にカバーされて(少しbulkyではあるが)いるが、足関節の可動域制限があるようだ。まだ創外固定を装着している。Flapの手術は素晴らしいが、やはり問題は初期治療にあるのだと思う。日本では全国的に平均すれば台湾の平均よりは上であるということは言える。諸外国はトップと底辺の差が激しいので、よりトップが目立つということに他ならない。そういう意味では日本の医療は良いと言えるのかも知れない。
17:30 レシデントのDr.呂(昨日当直だったので本当は帰っても良かったらしい)とプロパーのLilyと高雄市内で開かれているというランタンフェスタに向かう。Lillyは以前、家族を交えて台南周辺を案内してくれた少し変わった女性だ(良く喋るがちょっとくどいか・・)。彼女のお母さん(日本語でカラオケしてくれた)が頭痛持ちだからということで、日本の頭痛薬を買ってきて欲しいと言われていたのだ。まだ外は明るい中、病院を離れるというのは少し気が引けるが(まだ教授は外来しているし)。。。
18:40 途中、多少渋滞があり時間がかかったが、街中に到着する。まずは腹ごしらえということで、地元の麺類の店に行く。Lillyが外来からもらってきたというカラスミと一緒に付け合わせるネギ、梨、りんごなどを持参している。今日のお金も教授が既にLillyに渡しているとのこと。Dr.呂も漁夫の利かも知れない。カラスミは相変わらず美味い。。。でも、やはり食べ過ぎは良くなさそうだね。
19:30もう既に暗くなっており、川沿いに正月の雰囲気を残している感じで露店や手作りの灯篭、人形(今年の干支の虎の形が多い)、ランタンがずらっと並べられており圧感だった。3人でふらふらと見ながら歩く。台湾は露店などで試食をさせることが多い。しかも半ば強引に。商品がなくなってしまうのではないかと思えるくらい。
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19:50 たくさんのパフォーマーやらもいる。川の中に特設された浮島ではサーカスのような催し物をしている。クレーンで男性と女性を夜空に釣り上げてライトをあて、パフォーマンスをしている。上のクレーンを見ると、私の会陰部周囲が吊りあがる感じがしてきたので見るのを止めた。。。
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20:20 歩いて少し離れたバーのようなところに連れていかれた。そこにはLillyの友人という女性とその知り合いの男性もいて食事していた。この男性は45歳ということだったのだが、両親が日本語を話せるということで、少し日本語を話す。日本から留学生が来ているから、日本語を少し話せる彼を連れて来たのかも知れない。この2人は煙草を吸うので、いささか閉口する。
21:20 Dr.呂も初対面らしくあまり面白くないようだ。そろそろ自分も帰りたくなっていた。もう一軒だけ知り合いの店に行こうということになり連れて行かれる。そこは11月の学会の時に日本人Dr.Tmと一度来たことのある店だった。
21:50 お客の中に小さいマウスを財布に買っている女性がいて、連れの男性とともに見せにくる。キーキー泣いていて可哀そうな気がするが。。。遺伝子操作でもしたマウスなのだろうか?結構小さい(まだ生後20日目とか言っていたが、体長7-8cmくらいか?)。間違って潰してしまいそうなくらいだった。
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22:30 そんなこんなでそれ程盛り上がりもしない(あまり話にも加われない)飲み会は自分の提案で帰ることにした。Dr.呂と一緒に帰路についた。今日は少し歩きたくもあったので、MRTを使って病院まで戻ったのだった。

2010/02/22 形成外科ドクターと遭遇、スーダンのDr.Salimにも久しぶりに再会 [平日]

7:00 回診。1週間の始まりなので今日は少し早めに到着して待っていた。教授がお世辞にもあまり似合わない赤色のジャンパーを着て登場する。あまりファッションには拘りがないようだ。
7:30 今日の手術は外来手術を入れて14例予定されている。11人が新たに入院してきている。先週まで患者が3人しかいなかったが、一気に24-5人に膨れ上がっている。患者の回転も早いので、入院してもいつの間にか退院してしまっている。この周りの早さは経営的にはかなり有利だと思われる。日本みたいに退院を遅らせて欲しいと粘る患者もたまにはいるようだが、保険の問題などもあって、それ程多くないようである。日本の場合は国民皆保険のせいで多くの人間が甘えてしまっているのだ。医療はタダで当然みたいな。
7:50 手術室で朝食をとる。朝から少しこってり系のチャーハンおにぎりみたいな物をもらった。
8:30 今日のスタートは何と3列である。脊椎後方固定、TKA、腱板損傷。腱板の方は準備セッティングを済ませておいて、脊椎が落ち着いた頃に教授が登場するスタイルだろう。レジデントと技術員がスタンバッていた。
9:20 ある程度目処がついたのだろう、教授が腱板の方に現れる。こちらを見学したが、断裂の程度が大きかったので、今日はacromioplastyだけではなく、しっかり腱板をmobilizeして上腕骨大結節部にエチボンドで縫着していた。閉創の際にdeltoid muscleをかなり大きく展開したからということで、splitしたmuscle fiber方向の間に埋め込む形で人工靱帯を挿入して縫合していた。Original techniqueだそうだ。。。Deltoid contructureを防ぐためらしいが。日本ではまずできないだろう。こういう症例は通常関節鏡でするだろうから。
10:00 少し時間が空くのでいったん医局に戻り、病院PCでメールcheck(Dr.呉が日本の骨折治療学会に登録する予定の抄録を私のメールアドレスに送ってくれているとのことなので)。Dr.馬の分と合わせて2人分しっかり添付されていた。しかし問題は、使用言語が主に日本語に限られているということだ。スライドも殆ど日本語なので、彼らには少し厳しいかも知れない。招待講演で外人も来るがそれ程多くはない。日整会なら英語セッションも設けられているが、骨折は今まであまり一般公演で日本人以外が喋っているのを聞いたことがない。でもきっと良い機会だと思われるのでapplyしてあげることにした。後日、学会事務局に問い合わせて、英文抄録の件について問い合わせてみることにしよう。せっかく日本で発表したいと言ってくれているのだから何とか応えてあげねばなるまい。
10:30 spine1例目が珍しく遅れていた。もう終わっていたかと思ったのだが、インプラントで何か不具合があったようだ。TKAの方は2例目が始まろうとしていた。今日もレジデント2人と技術員、器械屋でテキパキこなしていた。どうもこの中に手洗いして参加する気にはなれない。
12:10 TKAが終了し、Dr.許たちとともに昼食をとる。脊椎は2例目が今度は順調に進んでいた。
13:00 図書室にて、pubmedで文献検索を行う。今度の骨折治療学会発表のための下準備である。Free journalをインターネットからダウンロードしてコピーする。思いがけず、図書室の受付でお金を請求された(インターネット使用とコピー代、20NTDと安かったが)。
14:00 文献を持参して再び手術室に戻る。脊椎は2例終了し、踵骨骨折の変形癒合に対する、外側膨隆部の骨切り、腓骨筋腱周囲の癒着剥離、後距踵関節部(足根洞周囲)の滑膜切除、denervation、加えて人工骨を用いて後距踵関節の部分関節固定を行っていた。日本でここまで変形癒合になっていること自体が珍しいのだが、それに対するサルベージ手術の1つとしてオプションとして覚えておいても損はないだろう。特に足根洞周囲のdenervationについては強調していた。ここが痛みの原因となっているそうだ。
14:30 4つ目の部屋(外来患者用手術室)で手根管症候群(CTS)の患者が待っている。踵の閉創をMr.シーに任せてこちらにやってきた。彼はカメラを向けると陽気に答えてくれる。礼儀も正しくイイ人だ。
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日本でも多いこのCTSに対する教授の手術はどのようなやり方なのか気になっていた。この手術自体はこの病院ではあまり見られない。このような疾患に手を煩わせる時間はあまりないのかも知れない(儲からないから?)今日は2例も予定に組み込まれていた。手術自体は実にtraditionalな方法で、wrist creaseでカーブさせて比較的近位までopenで展開していた。近位から遠位に向かって横手根靭帯を切離していたのが印象的だった。確実ではあるが、手を付くところに皮切が入ってしまうのでpillar painが気にはなる。しかし、正中神経の皮枝や母指球枝を確実にみる方が重要だと言っていた。それも一理あるかも知れない。皮切自体は、日本で行っていたやり方(遠位から近位に向かって切離)の方が小さいしレーズナブルのような気がする。神経には極力触れず、屈筋腱の剥離なども殆どしていなかった。癒着を避けるため、多くの症例で横手根靭帯の切離と充分なreleaseのみに留めているそうだ。
14:50 Floraが買ってきたコーヒーやパンで休憩に入る。レジデント、Mr.シー、Mrレイなどが揃った。教授はこのような休憩がないと息が詰まってしまうであろう。
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15:10 先ほどと似たような踵骨骨折の変形癒合後の症例の手術が始まる。休憩後にすぐに手術を始められるこの環境が何とも羨ましい。休憩中に全て準備が整っているのだから。やはり麻酔看護師の存在は大きい。日本でも麻酔看護師を作ろうと言う動きがあるようなのだが、医者(おそらく麻酔科?)が反対しているのだそうだ。おそらく本当の現場を知らない愚かどもが、ただ反対しているだけに違いない。きちんと法整備をして資格を与えてあげれば下手な医者よりも断然使えると思うのに残念である。ここら辺が日本の嫌なところ(変化を望まない行政)。
15:40 3つ目の部屋で、尺骨神経麻痺(外傷後)の筋膜下前方移行術が始まる。この手術には手洗いをしてルーペ装着で参加させてもらった。40代後半の女性で外傷後に外反肘となっており、尺骨神経が易脱臼性である。痛み・しびれが強いようだ。肘関節周囲炎も伴っていると考えられた。皮切はオーソドックスに内上顆と肘頭の間やや前方よりで少し大き目に展開していた。前腕内側皮神経は確認できなかったが、尺骨神経は既に前方に位置していた。神経周囲を伴走静脈とともに前方に移行すべく剥離する。関節内からのeffusionや滑膜増生、瘢痕形成が著明であり、ここが疼痛の1つの原因であると考えられた。また尺骨神経本幹から関節に向かう分枝(神経刺激で運動神経でないことを確認)を凝固焼却した。この手技は疼痛を除くためには有効な手段であると考えられる。全体的な手技の中で重要なポイントとしては、剥離し展開していく際に、神経の分枝と思われるものは全て神経刺激で運動神経ではないことを必ず確認してからcutしていくことである。このような細かい確認が術後症状を更に改善させるために重要なのだと思われる。
16:20 上腕骨内上顆部でsubfascialに(神経にtensionがないことを充分に確認して)神経を前方に移行する。この際、関節内からの瘢痕様組織で関節包周囲を簡単に縫着していた。皮下ではなく、筋層下でもない理由としては、皮下はirritation painが出易いことをあげ、筋層下だとmuscleのcontructionによって神経が刺激されることがあるので筋層下が良いとのこと。
17:30 TKAの4例目が終わっていた。脊椎もいつの間にか4例目が始まっている。暫くみていないうちに。。。状況は不明。合間に休憩室でゆっくりしていると、早口で喋るドクターが挨拶してくれた。形成外科の先生で(まだ若そうだが)かなりactiveに手術をしている先生のようだ。英語名Alexだそうで、台南の成功大学でラボも持っているらしい。マイクロや手の外科なども扱っているらしく、色々と症例をデジカメで見せてくれた。この病院には設立当初の6年前から勤務しており、その間に形成のボス(院長)のもとで多くの手術を執刀してきたと言って自慢げに話してくれる。かなり自信家の先生のようだ。趣味は自転車をパーツから作ったり、バイクに乗ることだと言っている。良く時間があるね?と問うとまだ独身だから自由なんだと言っていた。いったい年齢はいくつなのだろうか(実は同じくらいなのかも知れない)。自分に自信があり、チャレンジをしようとする人間は、良い人間もいるが野心家で患者本位の考えでなかったりもするので、少し様子をみておこう。初対面でこれだけ自慢されると少し閉口してしまう。悪い奴ではなさそうなのだが。深くは付き合いにくいタイプかも知れない。
18:00 続けて、スーダンからの研修生Dr.Salimも現れる。Long time no see !とハイタッチして挨拶。何故か彼は自分に友好的だ。同じ穴のムジナと思ってくれているのだろうか。しばし正月中の話などで盛り上がる。4月まで台湾にいて、いったんスーダンに戻り、お金の工面をした後に今度は東京に研修に来るのだそうだ。東京に来たら必ず連絡すると言っていた。
18:10 手根管の2例目も合間で済ませ、あとは最後のばね指(何で外来の小手術が一番最後になっているのかも不明)を残すのみとなっていた。
18:25 かなり疲れた様子で(脊椎4例目もほぼ終了したよう)教授が本日最後の手術に現れた。
母指のばね指で珍しくもないが、なぜかレジデント含めみんな残っている。心なしか教授にパワーがなく、手間取っている。傷が小さすぎるようにも思えた。アシストもイマイチだったのもある。疲れた様子で今日はお開きとなった。
19:00 暫く、形成外科の手術室にいた。下顎~口腔癌摘出後の再建で、血管柄付き遊離腓骨移植が行われている。Dr.Salimも外から見学している。腓骨のharvestingにかなり時間がかかっている。この執刀医はあまり慣れていないのか?と思われるくらいだった。自分はドイツでcadaverの経験しかないが、もう少し解剖は解っている積りである。近位から遠位まで可能な限り腓骨を切除していた。遠位側にモニター皮弁を付けていた(perfolator vesselsを確認しつつ)。muscleは血管周囲に多少なりとも付けて剥離しなければならないのだろうが、あまりにも筋肉を犠牲にし過ぎのように思えた。一度本当に上手な人(たぶんDr.Tuは上手と思う)の手技を見てみたいと望むのであった。
19:30 何となく執刀医の機嫌が悪く、看護師との間にも少し険悪な空気が流れていたので、その場をおさらばすることにした。こういう時は退場しておくのが賢いというものだ。
19:50 地下のフードコートで少し変わったメニューをオーダーしてみた。オムライス(ご飯は普通の白は飯)にカレーのようなルー(味はカレーではない)をかけて食べるのだ。たまには気分を変えてみるのも良いかと思ったが、イマイチだった。

2010/02/21 温泉でゆっくりした後に何故か洞窟探検を体験するハメに・・・ [休日]

11:00 昨晩夜更かししてしまったこともあるが、かなりゆっくりと目覚める。9時半に一度目覚めたが、案の上二度寝した。午前中は曇天であまり天気は良くないように見えた。
12:30 病院地下に朝食・昼食をとりに向かう。お粥とマンゴーミルクをオーダーする。
12:45 1人で食べていると、少し離れた席にフローラと子供2人が座っていて、一緒に何やら食べていた。目が合ったので挨拶して近づく。13:00に病院入口で待ち合わせをしていたので、その前にお互い食事を済ませていたのだ。
13:00 フローラの車(韓国ヒュンダイの4WD)で今日の目的地の温泉に向かう。外は少しずつ晴れ間が広がり、温かくなってきた。上着が要らなくなるほどだ。
13:30 はじめは少し人見知りをしていた2人だが(11歳と10歳の男の子)、英語を勉強しているようで、少し喋りかけてくれたりもする。だいたいこちらの言っていることは解るようだ。少しずつ打ち解けてきて、何やらコンピューターゲームを見せてくれて、やらせてくれたのだが意味不明で上手く出来なかった。それは電子辞書におまけでついているしょぼいゲームだった。
13:45 目的地の温泉(まだ新しい感じ)に到着。
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比較的裕福層が利用するような豪華な造りの建物で、基本は各室に温泉があり(家族風呂的)楽しむような感じ。他にもフィットネス、ジム、プレイコーナー、レンタルサイクリング、カフェ、レストランなどの施設がある。待ち合わせのMrsティン達一行がまだ到着していなかったので、敷地内をぐるっと4人で散歩する。傍から見たら家族に見られるのか??子供たちは心なしかはしゃいでいるようだ。
14:00 Mrsティン(病棟専科看護師)家族(中学生くらいの女の子と旦那)、Mrsティンの妹家族(男の子2人と旦那)と予期せぬビッググループになってしまう。この大人数で温泉?とどうやって入るのか?と訝しがってしまう。
14:10 館内に案内され、それぞれの部屋(部屋の中に温泉付きの浴槽や休憩スペースがある)に振り分けられる。子供は子供らでまとめられ、その他は男性、女性で分けていたようだ。幸いに1人で個室を準備してくれた(またもVIP扱い?)。何とも贅沢だったが、90分間中で身体を洗い浴槽につかり休憩してゆっくりくつろぐことができた。
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15:30 終了の10分前に電話が鳴る。ミネラルウォーターやコーヒー・お茶などは持ち帰ることにする。日本ではこのようなシステムの温泉は、まだ限られた場所にしかないかも知れない。
16:00 皆がそれぞれの場所から戻って来たのでこれで解散か?と思っていたが、またこれからどこかに行くようであった。行き先は不明のままだ
16:20 少し車で走って到着したその場所は、大岡山という所で、お寺と洞窟(鍾乳洞)で有名な所のようである。夕食も食べに行くそうで、その前にお腹を減らそうということで山道を歩かされることになる(Mrs.ティンだけは途中で引き返し、車内で待っていた)。
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16:40 何か所か洞窟も見たし、そろそろ帰るかなと思っていたのが、内部の狭く深い鐘乳洞に入りにいくようだ。Mrsティンの妹の旦那がアドベンチャーにウルサイ人のようだ。妹は英語が達者で結構お喋りである(少しクセがあるキャラかも?)。フローラはあまり乗り気でないが、仕方なく付き合わされていた。内部は懐中電灯がなければ真っ暗だし、狭いし(途中這いつくばったり、よじ登ったりして進まなければならない場所もあった)、せっかく温泉でリフレッシュ出来たのに、何でこんなことをしなければいけないの?と思いつつも付き合ってあげる。
17:50 最後の鍾乳洞はかなり狭く、長かったため、途中でフローラの長男が泣き出してしまう。確かに泣きたくなる気持ちも解る。もし、ライトが全て切れてしまったらと思うとぞっとしてしまう。。今は携帯があるから何とか連絡は出来るかも知れないが。
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18:20 ようやく外に出る。もう暗くなってきてしまっていた。まだここから山道を降りて寺のふもとまで帰らなければならないのだ。足元を注意しながらみんなで降りてくる。しかし、このメンバー全てが洞窟で立ち往生(怪我したりとか・・)していたらどうなっていたことだろうか?
18:40 Mrs.ティンが駐車場の車でずっと待っていた。きっと待ちくたびれたことだろう。自分もまさかこんなことになるとは思っていなかった。
19:00 ジュースを飲んだり、少し休憩してから車で夕食の場所に向かうことになった。
19:30 岡山市内(結構栄えていた)にある地元の食堂に到着する。ここで丸いテーブルを囲んでみんなで夕食だ。それぞれ好きなメニューをオーダーしみんなでつつきながら空腹を満たした。
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20:40 長い半日が終わった。予想できない体験をした一日であった。

2010/02/17 再び高雄に戻ってきた!ラスト1か月だ。 [出国]

7:15 台湾行きの飛行機の時間は毎回同じなので、出発時間も解っている。外は若干小雨がぱらつく天気だった。今までたいてい出発時の天気は良くない。
8:30 福岡空港国際線ターミナルに到着する。何となく人は多い印象。日本人よりも中国語を喋る集団が多かった。それもそのはず、今は中国の旧正月(春節)にあたるので、その影響であると思われる。追加のお土産や頼まれた頭痛薬などを買い込む。
9:15 登場口ゲートに妻とともに並ぶ。ドイツ出発の時はまだ妊娠は判明していなかった。今はもう妊娠8ヵ月に入ろうとしており、かなりお腹が膨らんでいる。びっくりするくらいになった。また1ヵ月近く不在にしてしまう。無事を祈るばかりだ。
9:30 今回は荷物も少なく、すんなりとセキュリティチェックはパスし登場口に向かう。やはり中国人・台湾人の人が多い。
9:50 機内に乗り込む。妻が展望デッキから見送りをしてくれているのが、途中の通路から確認できた。少し寂しくなる。1ヵ月頑張って参ります。
10:10 出発する。チャイナエアラインのスチュワーデスは日本人も結構含まれていた。日本人がピンク系で台湾人がパープル系のコスチュームなのか?何となくそんな気がした。比較的綺麗な人が多かったように思う。隣が何となくぼさっとした大柄な30くらいの男性だったのだが、通路側の席だったので良かった。
11:00 昼食を食べて、映画(ハリウッド版アトム)を見ながら過ごす。途中、気流が悪く少し気持ち悪くなってしまった。
12:00 予定より15分ほど遅れて到着した。桃園国際空港は結構広く、イミグレーションまでが遠い。バッゲージクレイムでは、比較的すぐに自分のトランクをゲットできたが、予定より遅れてしまっていたので、急がなければ、THSR左営駅到着時刻が遅くなりそうだ。
12:30 出発間際のバスに何とか乗り込むことが出来た。12:52分発のTHSRに乗れれば、予定通りの時間には着きそうだが、何とも微妙な時間で焦っていた。
12:46 何とか駅に到着する。急いで切符を購入する。間に合いそうでホッとした。
12:52 左営行き(南下)新幹線に乗り込む。そこそこ込んでいたが、少しゆっくりできるので一安心。この新幹線ももうだいぶ乗らせてもらった。
14:30 途中、少しウトウトしたら、もう到着してしまった。改札口では、Dr.Tuが1人で待ってくれていた。何とも申し訳ない。。。今日病院は休みとのことだが、いつもの如く朝から病院に顔を出して、さっきまで仕事をしていたのだそうだ。
15:00 昨日は、まだ休み期間であるにも関わらず、外来をして220人くらい診たそうだ。病院全体で350人の外来患者だったというから、6割以上がDr.Tuの患者だったということになる。休みなのに働き過ぎだ。明日も正月休み中なのに手術を3例組んでいるそうだ。
15:10 車窓から馴染みとなった病院が見えてくる。何だか戻ってきた感がある。ここでの生活は不思議と苦になっていないのである。
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病院敷地内を通り、いつものようにドミトリーの前まで送ってくれた。教授は病院の自分の部屋に戻っていった。これからまた残った仕事をしにいくのだろう。
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16:00 部屋の空気の入れ替えや簡単な掃除、荷物の整理などを行う。早速、インターネットの設定をし直してメル確認などを行う。
17:30 今日は、まだ休み期間ということで、地下のフードコートも2つしか空いていないし18時頃には閉まってしまうとも聞いていたので、早めに夕食をとりにきた。また、お土産の明太子を医局の冷蔵庫に入れておくことにした。
18:30 ドミトリーに戻りゆっくりする。また、明日からの勤務に備えることにしよう。あと25日間だ。何とか実りの多い研修になるように頑張ろう。

2010/02/05 いよいよ一時帰国の日となった。 [旅程]

7:00 Dr.Tu不在のままDr.許、Mrsティンと3人で回診を始める。今日は朝ののカンファレンスはないため、ゆっくりとしているのかも知れない。患者数が多いため先に回っておこうという。
一通り回診し、最後にBPIのFFMTの包交を行った。
7:30 ようやく教授がやってきて再び回診につくことになった。大多数の人は2回回ったことになる。患者にとっては良いことなのかも知れない。ある意味、抜けなく症状の変化などもダブルチェックで観察できるかも知れないからである。とは言っても2周目は多少退屈であった。
8:30 外来に降りてみる。Floraが今日の帰国前に外来に寄ってくれと言っていたからである。まだ教授外来は始まる前だったので、それ程忙しそうではなかった。冷蔵庫から何やら取り出してきて、カラスミとソーセージを箱ごとくれた。荷物が・・・・と思ったが、温かい心遣いに感謝する。みなとても親切な土地柄なのだろうか?
9:10 医局で作業をしていると、Dr.呉(一番年下のスタッフ、自分と同年代)がやって来て、今日帰国するそうだから、お土産を持ってきたと言って渡してくれた。台湾のパイナップルケーキとのことだ。妻と一緒に買ってきたとのこと。病院忘年会の時に、Dr.呉familyにも会っていたので何となく覚えている。またお土産が増えてしまった。
9:30 いったんドミトリーに戻って、再度荷造りをすることにしよう。予想外に荷物が増えてしまったので結局はトランクで帰ることになってしまった。暫く、この部屋を留守にします。また2週間後に戻ってきま~す。
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11:00 荷物を持参で再び医局に戻る。いったん、荷物を置いておいてから軽く昼食を食べに地下に降りることにした。12時頃に、プロパーのMr.Waterと待ち合わせをしているのだ。今日はマンゴーミルクを食後に頼んでみた。
12:00 Mr.Waterが病院救急入口に車を回してきてくれるというので、少し遅れてトランクをごろごろさせながら向かう。途中で、Dr.葉とすれ違うと、今から帰国?と心配してくれて、わざわざ救急入口まで付いてきてくれた。
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Mr.Waterがまだ現れていないのを知ると、すかさず携帯で彼に連絡をかけてくれたりする。程なく彼が現れた。とても面倒見が良い先生である。
12:30 彼の車でTHSRの左営駅まで向かう。彼はなかなか明るくて人が良いので話しやすい。日本語も覚えようと頑張っている。彼は33歳くらいで、まだ独身だとのこと。こちらでは結婚は遅い方なのだと言っていた。早く相手を見つけて結婚したいらしい。などと取りとめのない話をしながら到着した。
12:40 桃園に向けて新幹線に乗る。これから一時帰国をするが、こちらはこれから正月(春節)に入るため休暇モードになる。時期的にはちょうど良かったかも知れない。2/17に再びこちらに戻ってくるのだ。それまでは日本に1人残した妊娠中の妻と暫くはゆっくり(実はゆっくりもできないのだが・・・)したいものである。

2010/02/04 何と台湾で牙科(歯科)診療を体験する! [平日]

8:30 今日は、朝の回診には来なくても良いということで、この時間に手術室に集合ということになっており、朝はゆっくり出てきた。教授は早めに来て回診や会議をしているらしかった。
8:45 本日はDr.Tuの手術日ではないのだが、朝1例のみ、他のDr.の手術室枠をもらって行うことになっている。以前、下腿軟部組織欠損に対してfree flap(Gracillis muscle)を行った症例に対するSTSG(分層植皮)を行う。21歳と若い女性だが、下腿はCosmeticalには可哀そうだとは思うが見事に血流の良い軟部組織で十分にカバーされている。しかし、受傷時の軟部組織ダメージの影響でflap周囲の皮膚は壊死を起こしていたので、同部もデブリを行う。皮下の脂肪組織からは良好な出血が見られているため、植皮も問題なく生着するであろう。
9:10 大腿前外側部よりデルマトームで採皮を行う訳であるが、若干足りなくて追加で採皮する。アキレス腱直上をカバーすることもあり、若干厚めの皮膚 を採取した。Meshを入れているため、整容的には少なからず目立つしbulkyであることは否めない。ドイツでALTのfree flap術後にbulkyになった脚を細くして欲しいとの希望からliposuction(脂肪吸引)を行った経験もあるだけに、若い女性の脚の太さに対する願望というのは計り知れない。しかし、と言って薄いflapを選択して血流のない組織で生着しないなどの問題が生じる方が問題である。整形外科(骨科)は整容よりも機能を重視する。究極的にはこの2つの両立が重要であることに異論はあるまい。
9:35 終了となる。この症例は比較的長く経過を見させてもらっており、経時的な画像も残してあるので思い入れがある。日本で同じような症例が来た時にはきっと思い返されることだと思う。
10:00 遅めに簡単な朝食をフードコートに取りにくる。今日はジュース屋でパパイヤ牛乳を買ってみた。医局に持って帰り作業しながら飲むことにしよう。
10:30 今日はfree dayなので、デスクワークをひたすら行う。日本からのメールが病院で見られないことが痛い(病院のコンピューターでインターネットはできる)。
12:00 図書室に出向く。図書室の裏の方の一角で落ち着いた場所があり、最近そこが気に入った。
少し調べ物をすることにする。
13:00 昼食も地下に行く。ちょうど外来看護師も買いに来ていた。数ある中のお粥(今日は海鮮がゆにしてみた)をチョイスする。値段も手ごろで美味しいのだ。
14:00 医局に戻って作業をしていると、牙科(歯科)のDrより呼び出しがかかった。先日、Mrs.ティンが連れてきてくれて予約をしてくれていたのだ(いつ受診かは知らなかった)。早速、牙科外来に向かう。少し待たされた後、40くらいの中堅歯科医師が対応してくれた。外れた銀歯のインプラントを持参してみせる。ここでなら新しいものを作った方がいいと思うが、保険は効かないので日本円で3万円くらいかかると言われた。明日いったん帰国もするし、3月までの滞在でfollowもしにくいということから、応急処置だけをしてもらうことにした。外れたインプラントと土台の方を綺麗に掃除して戻してくれるとのこと。しかし、硬いものを噛んだりすると外れることがあるから注意するよう言われた。4月に入って余裕ができたら、埼玉で歯科受診して考えることにしよう。
15:50 パスポートナンバーがいるらしく、いったんドミトリーに戻ったりして終了となった。今日の料金は日本円で450円と何故か安かった。ロビーを歩くと何だか人が多く、椅子が並べられている。何やら催し物がここで行われるらしい。時々あるそうだ。
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16:30 医局で教授に会ったので、症例の術中写真のスライドを何枚かもらう。これで発表用のスライドを作るのも楽になった。
17:00 今日は教授への面会やらでたくさんの人が待っているようだった。それに加えて幾つかのミーティングや会議が入っているようだ。
18:00 医局での仕事も一段落したので地下のフードコートに寄って夕食を食べてから部屋に戻ることにした。暫くは硬いものは控えることにしよう。

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